検閲、一
亡き母は「けんえつよ」と答えました、
幼児のボクが訊いたのです。 信書、封書の
したの部分が切られたあとを、
透明なテープでとめてある。 母たちが、
親しいともだちと書き交わしていた手紙です。
ボクは追いかけて訊いた、「進駐軍て、
日本語がわかるの? どうして?」
昭和二〇年代のことです。
検閲、二
さいきん知ることば――「プレスコード」です。
昭和二〇年代のボクらは、每朝の、
しんぶんに眼を通してからの登校でした。
けんえつを経た記事だったなんて、
知らなかったよな。「新日本の建設は、
きみたちの双肩にかかっている」と、
大人たちに言われ、せいじに、
しゃかいに関心を持つように、と。
検閲、三
「落とすやつがいなければ、
落ちてこねえ」――
なんて記事は、見たこと、
なかったよな。
――昨夏は猛暑で、
八月のしんぶんをわりあい時間かけて、
読みすすめてた。 わっと気づいた、
あれ? プレスコードが現代に生きてる。
検閲、四
えいごで「検閲」を何て言うんだろうって、
英単語を次々に忘れるようになる。
Censorshipですって。 嫌疑とか、
検屍とか、権威とか。 言い換えができなくて、
次々に消えてゆく。 わっと気づいた、
げんだいの日本文化をえいごが、
検閲として働いてるよ。(わたしは、
ようやくまぬがれるようになったってわけか。)
(こんかいは与太話。でも12月11日の被団協、田中煕巳さんの演説全文はファイルしました。)