ピアノ練習のあとで

高橋悠治

6月はアンサンブル・ノマドの練習とコンサートがあった 月末にはパラボリカ・ビスでの音楽と詩の交錯を語るイベントがあったが そのことはまたあとで

今年はピアノ演奏技術を維持するために バロックと自作やサティなどに限っていて ずっと離れていた20世紀西洋音楽とその後の多様化と分散の結果できた音楽を練習してみた

香港にいるアメリカの作曲家で 長年の友人だったポール・ズコフスキーを看取り 灰を海に撒いたクレイグ・ペプルズの作品は テッセラの「新しい耳」でソロを2曲彈き ジュリア・スーと2月に録音したが ニューヨークのズコフスキー追悼コンサートから ペプルズの2台のピアノのための「遊ぶサル」とストラヴィンスキーの「2台ピアノのソナタ」をノマドのプログラムに入れてもらった

ペプルズのアルゴリズムを使った作品の空白の多い 限られたピッチの組み合わせが変化するスタイルには興味をもっていた いわば唐詩的な側面でもあり ヨーゼフ・マティアス・ハウアーが易占で選んだ12音遊戯に近いかんじがする サルが果物を投げ交わす始まりの部分はともかく 拍の変化のなかでディジタルなパルスを感じつづけるのはなかなかできない 共演した稲垣聡や中川賢一にはなんでもないようなことでも 昔から音階やオクターブ奏法など 均等なものは苦手で 一柳慧の「ピアノメディア」は弾けず クセナキスの「エヴリアリ」はもう弾きたくないし 弾けないと思う 練習してよかったと思ったのは かなり低い椅子に座っても 鍵盤上の離れた位置に平行移動するのは可能だったこと 今年3月に演奏し録音もしたチャポーの「優しいマリア変奏曲」も もうすこしらくにできたかもしれない 今年はまだクセナキスの「アケア」をアルディッティたちと演奏する予定がある どうなることか

むかしクセナキスの「ヘルマ」やブーレーズの「第2ソナタ」を弾いていた頃は 超絶技巧とは反対のやりかた 制御能力を越えた状況で疲れ切ったときに 身体の緊張がゆるんで 自由にうごけるようになる それは古代ギリシャ語の最初に習うプラトン(ソクラテス)のことば「試練のない生は生きるに値しない」が指している身体技法だったと いまでは思えるが もうそういうやりかたはしない おなじに見えるもののわずかなちがいを感じられるように そのものではなく その表面と それを囲む空間の気象変化を感じて 風のままにただよう 不安定なままでいる自由のほうが好ましい 速度をぎりぎりにまで落として それができても おなじやりかたをくりかえさない それとおなじように 右手と左手は それぞれの指は ちがう時間でうごいていく

コンサートのプログラムに取り上げられた自分の昔の作品でも そういう試みはしていた 管楽器はタンギングをしない 弦楽器はコントロールしにくくなるまでに弓の毛をゆるめて 力を抜いた状態で弓の速度を変えながら弾いてみる すると抑えていた意識以前の身体内部の感触が透けて見える瞬間がある でも これにも慣れてしまうと 浮かび上がってきた異なる感覚もまた どこかへ沈んでしまう すこしずつやり方を変え 片足が沈まないうちに 別な足を出す そうして どこへいくのか