若松英輔編『新編 志樹逸馬詩集』(亜紀書房)を、私も求めました。
立川へ出て、ジュンク堂(書店)で装丁に引かれて手にすると、新編志樹詩集でした。
木村哲也『来者の群像—大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』では、(編集室水平線の、
ホームページによると)志樹さんが故人だったため、取材が叶わず、言及も、
わずかなものになったとのことです。 若松さんは解説で、
神さまへ
妻へ 友人へ 野の花へ
空の雲へ
庭の草木へ そよ風へ
へやに留守をしている オモチャの子犬へ
山へ 海へ
医師や 看護婦さんへ
名も知らぬ人へ
小石へ (「てがみ」より)
を引いて、明恵の手紙である「嶋殿へ」を思い合わせています。
嶋へ、そして嶋の大桜へ、明恵は呼びかけて手紙をしたためます。
込山志保子さん作成の年譜も、志樹を支える家族や仲間たちにふれて、
心を打つ労作でした。 古書ですが、
思想の科学研究会編『民衆の座』(河出新書、昭和30年)では、
志樹が「病人——西木延作の生活と思想——」という一文を寄せています。
(明恵の友達の義覚坊という人の詠歌は不思議なリズムで、「ウレシサノ アヲフチ(青淵)ニ シヅミヌル ウカブコトゾ カナシカル」という、およそ短歌のリズムから外れており、同道して上京することが、嬉しいのか、悲しいのか、青淵とは何だろう、岩波文庫『明恵上人集』の注には語調が整っていないが、欠脱によるものでなく、本来この形であったか、とある。不可解な「かりごろもこずゑも散らぬ山かげに ながめわぶる秋の夜の月」(これも破調)について、義覚坊じしんの解答に、「かりごろも」は雲のことで、月が着ているのだという。「こずゑ」は雲のね(峰あるいは根)で、雲の先に円座ばかりの雲があるのをいう。「山かげ」も曇れるを言うと。ようするにぜんぶ、雲という次第。一つ一ついわれがあるので、けっしていい加減に作る歌ではないという主張である。「嶋殿へ」のエピソードは『栂尾明恵上人伝記』上に見える。)