196 金メダルをメキシコ湾の湖へ沈める

藤井貞和

みずうみのな、底にはむかしの親たちの墓の村があってよ、
わしら運転手のはこぶ移転の通知には宛て名が書かれておる、それを、
ゆらゆら藻のかたちして出てくる腕二本へわたすのや。
そのとき、ぎゅっと腹をにぎってくるのが不快で、
ふと気をとられたら、もうわしらは霧のなかよ、
道路の枯らし剤を食いあててバンパーがこぼれる。
ちりぢりになるわしらのタクシーがみずうみに残骸をさらしてよ、
日にあびるボデーのかがやきには思わず感心しちまうほどよ。
町のな、蟻の巣から出て湖上に走りつづけて、
わしらの抽選付きの乗車カードで銅メダルでも銀メダルでも買えるんやから、
なつかしいパンのかたちのそいつと思ってくれていい、
わしらの言い伝えではたましい状のまるいかたちとも称しているわ。
遠い少数の人に宛ててはがきに歌を書くわ、
死んだばあさんに呼びかけてよ、
ぎゅっとなにをにぎってくる世間話や、
みずうみにはすきまがあって身体がものとものとの「あいだ」にこすられて、
わからんうちにしばられるという話をして、
きみらに聞かせる散るタクシーの歌、
聞きながらなにが移転とそのまえとによってわしらの残骸に、
わずかな変化がこもるか、いうこと、
いとおしさの心のちがいが生じるかということよ。
火は蟻のかたちをしていてこっちが巣から覗くまぶしい朝日に思う、
優勝はきみのためにある、むかしの金メダルの伝説はほんとうで、
きらりと光るそいつがみずにゆれて沈みながら、
叫んだというはなし。さあもう行くで、
わしらのタクシーはみずうみを一回りして来にゃ稼ぎにならん。


(観光客をな、わしらのしごとは湖へあんないするんや。ゆうひが出払って、朝日を待たないで、深夜の太陽がな、あの岬からのぼる。祈りを忘れたら、あかん。祈りの詞は教えられん。でもな、教えたる。あんたは研究のために、こんな、地球のうらまできたのや。研究して、研究して、研究して、それでも足りなかったら祈れ。滅んでも、滅んでも、滅んでも、隕石のひとつを持って帰れ。わしらの一九六四年の、東京でな、あの隕石が金メダルや、キラキラしてる。一九七二年のぎゃくさつで、わしらの故郷はもうないんや。おぼえてる神話はないで。無事にお帰り。)