まだ終わらないコロナ騒ぎのなかで 昨年録音したCDが続けて発売された 波多野睦美の「ねむれない夜」 青柳いづみこの「物語」「高橋悠治ピアノリサイタル とりどりの幻想 白昼夢 夜の想い 記憶と再会」
それから台湾のピアニストJulia Hsu のための「夢蝶 Dream Butterfly」(2017) と低音デュオ(松平敬と橋本晋也)のための「ぼうふらに掴まって」2018) (川田絢音の詩)を含むOpen Space 43 に続いて こちらが Craig Pepples の「Example1」を弾き Julia Hsu が 「遇見・歧路・迷宮 Encounter Crossroad Labyrinth」を弾いてくれた Open. Space 44 そして Roger Turner と2019年に静岡の青嶋ホールで即興演奏の記録 Yuji Takahashi + Roger Turner imaszok 03 がこれから出るらしい
栃尾克樹とのシューベルト「冬の旅」のことは書いたかな アカデミー賞をもらったという記事を読んで どこのアカデミーかと思ったら「レコード芸術」の賞だった
なにかがうまくいったと思えるとき こんなはずではなかった これではないと思いながら 仏教でdukkha (苦と訳されるが むしろ思い通りにならない状態か)というのはこれか いるべき場所もなく 行く先も定まらずに 何を待つともしれず 待っている状態
日本では自主規制とか自己責任というようなことばで ロックダウンではなく 拘束社会を作れる 21世紀型の「自発的隷属」とも言えるだろうが どこかはっきりしない違いがある この風土のなかにいて 過去が造り上げた檻の外に出るのは いっそうむつかしいのかもしれない
数学や論理 分類や分析から離れて 身体の感覚から音楽を創ろうと思ったのが1970年代だった もう半世紀前になる それから東南アジアや 日本をふくむ東北アジアの伝統音楽を観察しながら だんだん20世紀現代音楽の風潮から離れて あれこれの小さな探りをくりかえし さらに うごこうとする前の一瞬のためらいで 思っていた方向やリズムとはちがうものに変わってしまう そこから崩れる感じ 外れて逸れ それに気を取られて さらにずれていく 隙間の空間 そこに垣間見る風景 この不安定な状態を保つのはやさしくない 気がつくと しっかり押さえて 止まっている それでも止まっているように見える内側でうごいているなにか
うごいているときは逆に でこぼこ道をすべったり跳ね上がったり傾いたりしながら どこへともなく風景が移っていく
昨年4月23日にオフ・ガーディアンで読んだローズマリー・フレイの「パンデミックから全体主義への7歩の道」 は パンデミックの緊急事態宣言からあいまいな情報を伝えながら 全員を孤立化させ スマホによる位置測定とワクチン接種で 監視社会を作りあげるプロセスが書かれていた 分子生物学者から医療問題のフリー・ジャーナリストになった人の予測は 今振り返ると 当たっていた この先どうなるのか そもそも「先」があるのか 世界は暗い