203 原爆の図丸木美術館にて

藤井貞和

終わりの始まり、富山さんの海峡、富山さんの背筋、富山さんが光(ひかり)の
州(しま)に佇つ。 となか(海峡)のまぼろし、となか
地上絵のめぐり、くねり、のたうつ、ゆく、むかう、みんな、みんなして
土偶も、空の神も、むなしい世紀に(1984年の藤井が
光、州を通過したとき)、案内員のBさんが、「ここからは だまります
言いません、若い人たちが、みんなで哲学の徒であろうとしたとき」と、しかし
海つ路を行く念いと、そこにうずくまる若者たちとを、富山さんは見据え
描きとるのでした
(2011年)
  海の炉芯をだきしめよ    幼い神々
こえを涸らして、「東アジアが祈りの姿勢にはいった」と、富山さんは
描き出しました。 表情のない喪志の希望に、難解であることがみんなの
詩らしい詩、そのようにして無為を叩くキーボードのうえで終わる、終わらない
または始まる。 いくり(海石)に立つにんぎょひめです、母よ
若者はすべての比喩をやめる。 みんなの叙事詩のたいせつな情報を載せて
針は斃れ、胎内で聴く母語のはて、やさしいな、待ってて
  海つ路に波がさらう    潮合いの迎え火
現実ならば醒めないで。 遠い原野と至近の原野と
ふたつの過酷さのあいだで、みんなが生まれる、みんなとみんなとの
あいだのように、あいだのように迎え火を振る
  震央の水が凜として向く    潰(つい)える三月
どうあるべきかを問う子供の思想だった、胎内で聴いた鈴の音と、波の音とを
二つに分ける、背中のたてがみのように。 海底のひがし市場と
にし市場とをわける、霧雨のなかで、どうあるべきか、〈子供の科学〉に
希望はあるか
  たいまつをかざして    国つ罪が沸きあがる四海
釜山から向かう昭和二十年(1945)。 十月のぼく(藤井)は広島を通過する
きょうのみんな、わたしたち、おいら。 海の炉芯に祈る
祈るな。 歳月をして語らしめよ。 しめるな。 日本語の背理
歴史の構想力。 抽象による数学的自然。 だれもいなくなったあとの
夕月夜(ゆうづくよ)と かげかたち。 落涙型の土偶のあしどりに
かげがなくなる、いなくなるかげに、それでも希望をかかげる?
  草原に遠き乳牛    かげが斃れて
浜通りよ、空の神が降りてくる、みんな、降りてくるのは乳のあめ牛
浜づたいに啼いている、みんなのあめ牛、病む仔牛を曳いてどこへ去る
母牛のあしおと
  炉の芯を匍いずり    水源がなめ尽くすまで
なめくじら息の緒の銀線をなすりつけて匍いよるところ
かたつむりら舞う国の罪人のために、涸れる海底の井戸
類的実存を一千ページ余のかなたへ、学習するカードには書き記してあった
いまはない、哲学者のみんなが去る
  校舎のありしあたり    神々が浜通りを去る
なあ、叙事詩の主人公たち。 言えなくなった、意志・苦痛、意志・苦痛
「うつく・しい」と、さかさに言おうとしただけなのに、みんな
虫のことばになりました、消える人称的世界!
  負けないでZARD   海底の卒業式ができなくなっても
風のチョウチョがひらひらとただよい去ってゆきます。 それだけ
ただそれだけなのに、きょうはね
  波間からとりだせなくて   風だけが
  はいっていました   USBメモリー
風の音を送ります。 遠雷に載せて、壊れたぼくのEメールで
  送るよ   走り火の海の底から
訪ねて来て! どこ、辺りの「どこ」、眠らずに来て
海底の虹が住む    住所不明のゆうびん番号
どこへ行けばよいのか分からない、みんなの山彦よ
玉つひめ、葛(くず)のしげりに、無色のちりに
  まがつ神おまえの建て屋に祈る   ゆき向かえ いま
  絃を切れ弁財天女    おしら神はかいこをつぶせ
哀吾、哀吾よ、きみの名は「哀吾」。 建て屋を描く
富山さんのシカゴ大学のホームページの表紙
画面の叙事詩に、一人また一人、名まえが浮上する
終りの始まり
  うたへ講義がさしかかる    まがつ火ノート
  こころに波をうち据えるうた    海やまのあいだにうたう
来週は休講ですよ。 原爆の図丸木美術館での
富山妙子展(2016)から帰ってきました。 題名「となか」(渡中)に
霊獣の物語を。  海峡の辺りは白い波です
 
 
(光州にバスが近づくと、アンネーウォンのBさん(おなまえ忘失)が、その〈経過〉を語り出した。まったく知らないことで、仰天した。バスがいよいよ街にはいるというときに、「ここからは言いません」と、彼女は案内を終えた。韓国への「観光」旅行を友人たちと試みたのだった。まだ、富山さんの活躍をぜんぜん知らなかった。博物館などをまわり、そこに一泊したのだが、Bさんの話を聞いたあとだったので、物音のない、人影のない、死の街の底に沈むような思いだった。真鍋祐子さんの著を知るのはずっとあとになってからである。今年の延世大学校での開会イベントのようすについて、悠治さんの先月の「水牛のように」が5時間のユーチューブを紹介していたので、リアルタイムの富山さんにお会いすることができた。真鍋さんのご好意にあまえて、いくつか、『東洋文化』などを送ってもらった。みんな、みんなありがとう。)