(四回ほど、富山さんについて、書いてみようと思って。)
描きの力。 旅芸人の力。 武藤さんは、「すべてが、
どうして輝くのか、出現する」と書きました。
『中南米ひとり旅』(一九六四)をいまひらいています。 ひらいたところに、
銃をもった民兵はコーヒー店のラジオから流れるリズムに合わせて、
小銃を打楽器にし、「ビバ・ラレボルシオン・チャチャチャ」
毎日、日一日とキューバ危機が迫ってくる――
わたくし(藤井)は、一九六一年か、何やってたんだろうな、チャチャチャ。
革命家になる、民兵になる、そんな希望が無くもなくて、
自治会室を訪ねたことがあります、チャチャチャ。 体(てい)よくあしらわれて、
すごすご、その足で、歌舞伎研究会に寄り道しました。
武藤さん「海鳥たちの骸骨がコツコツ、キーボードを叩くさまは、
ほんとにいいですね。 大真面目で、働き者で、
どこかおかしみがあり、この連中のメッセージは必ずどこかに、
衛星経由で、陸上にも届き、解読されそうだと予感させます」
「さらにいえばその貝は1950年代に描いた炭鉱で見ていた、
アンモナイト(図7)に接続するのではないか」と、坂元さん。
「火種として評価したに違いない」と、高際さん。
富山さん「メキシコに行って、リベラの家に泊まるんです。
で、メキシコ革命があるでしょ。 リベラと、トロツキーと、ブルトンと。
リベラは歓待役なんで、国賓のように迎えるわけですね。
……それが39年で、その、トロツキーとブルトンとが、
宣言出すんですね。 反ファシズムのね。 ところがもう、時代が、
出したとき、そこに刺客が来て、トロツキーは殺されるんです、メキシコで」
(高際さん、『東洋文化』101、より)
富山さんがリベラの家に泊まったみたいですね。(そうかも知れません。)
きょうは絵のページだけ見ることにしました。
セルリアン・ブルーの銅鉱石を見て、富山さんはチリの鉱山へ行きたいと思いました。
日本を出発しました。 太陽と馬、11ページ。
香港の水上生活者、23ページ。 香港からは多くの難民が乗船する。
藍銅鉱かな。 孔雀石かも。 鉱石をへやに並べて、富山さんは好きだった。 日本の鉱山をふらふら歩いて、そこから炭坑です。 暗い地底から太陽の輝くところへ向かう。
武藤さんが言う、「レベッカさんに漏らしたぼくの疑問。 どうして富山さんの世界は、すべて輝くのか」。
「進歩の先回りをして、待ちわびていたとすら思える」と小林さん。
私は清津峡小学校最後の卒業生です。 まさか、ここまで素晴らしい作品になるとは。
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とてもきれいで、「こんな学校にかよってみたいな」とおもいました。 ……学校、つぶさないで! 針ケ谷小学校女子
(2010、アジアを抱いて、全仕事展パンフレット、火種工房、より)
(『群像』の今月号に、私の「ビラヴド」(一九九五)を、斎藤倫さんが「ポエトリー・ドッグズ」(連載)で、石牟礼さんの「茜空」にならべて引用している、思い返す。書くのに十年、書くというより、書けなかったな。書いたとしても、内容からすぐには世に出られなかった。こんにちの報道にも「いじめ」が聞かれるたびに傷ましく思い出す。もう四半世紀かよ。題名をトニ・モリスンの「ビラヴド」から(勝手に)受け取った日に、ようやくかたちをなし出した。四半世紀かいな。おいらのうそつきの〈詩語〉が一瞬、きらっと輝いて消えた時、ところ。藍銅鉱がおいらのコレクションのなかできょうも眠っている〈アンモナイトも、孔雀石も〉。)