205 海鳥たち、2(輝く)

藤井貞和

(四回ほど、富山さんについて、書いてみようと思って。)

描きの力。 旅芸人の力。 武藤さんは、「すべてが、
どうして輝くのか、出現する」と書きました。

『中南米ひとり旅』(一九六四)をいまひらいています。 ひらいたところに、

銃をもった民兵はコーヒー店のラジオから流れるリズムに合わせて、
小銃を打楽器にし、「ビバ・ラレボルシオン・チャチャチャ」
毎日、日一日とキューバ危機が迫ってくる――

わたくし(藤井)は、一九六一年か、何やってたんだろうな、チャチャチャ。
革命家になる、民兵になる、そんな希望が無くもなくて、
自治会室を訪ねたことがあります、チャチャチャ。 体(てい)よくあしらわれて、
すごすご、その足で、歌舞伎研究会に寄り道しました。

武藤さん「海鳥たちの骸骨がコツコツ、キーボードを叩くさまは、
ほんとにいいですね。 大真面目で、働き者で、
どこかおかしみがあり、この連中のメッセージは必ずどこかに、
衛星経由で、陸上にも届き、解読されそうだと予感させます」

「さらにいえばその貝は1950年代に描いた炭鉱で見ていた、
アンモナイト(図7)に接続するのではないか」と、坂元さん。
「火種として評価したに違いない」と、高際さん。

富山さん「メキシコに行って、リベラの家に泊まるんです。
で、メキシコ革命があるでしょ。 リベラと、トロツキーと、ブルトンと。
リベラは歓待役なんで、国賓のように迎えるわけですね。
……それが39年で、その、トロツキーとブルトンとが、
宣言出すんですね。 反ファシズムのね。 ところがもう、時代が、
出したとき、そこに刺客が来て、トロツキーは殺されるんです、メキシコで」

(高際さん、『東洋文化』101、より)

 富山さんがリベラの家に泊まったみたいですね。(そうかも知れません。)

きょうは絵のページだけ見ることにしました。
セルリアン・ブルーの銅鉱石を見て、富山さんはチリの鉱山へ行きたいと思いました。
日本を出発しました。 太陽と馬、11ページ。
香港の水上生活者、23ページ。 香港からは多くの難民が乗船する。

藍銅鉱かな。 孔雀石かも。 鉱石をへやに並べて、富山さんは好きだった。 日本の鉱山をふらふら歩いて、そこから炭坑です。 暗い地底から太陽の輝くところへ向かう。

武藤さんが言う、「レベッカさんに漏らしたぼくの疑問。 どうして富山さんの世界は、すべて輝くのか」。
「進歩の先回りをして、待ちわびていたとすら思える」と小林さん。

私は清津峡小学校最後の卒業生です。 まさか、ここまで素晴らしい作品になるとは。

とてもきれいで、「こんな学校にかよってみたいな」とおもいました。 ……学校、つぶさないで! 針ケ谷小学校女子

(2010、アジアを抱いて、全仕事展パンフレット、火種工房、より)

(『群像』の今月号に、私の「ビラヴド」(一九九五)を、斎藤倫さんが「ポエトリー・ドッグズ」(連載)で、石牟礼さんの「茜空」にならべて引用している、思い返す。書くのに十年、書くというより、書けなかったな。書いたとしても、内容からすぐには世に出られなかった。こんにちの報道にも「いじめ」が聞かれるたびに傷ましく思い出す。もう四半世紀かよ。題名をトニ・モリスンの「ビラヴド」から(勝手に)受け取った日に、ようやくかたちをなし出した。四半世紀かいな。おいらのうそつきの〈詩語〉が一瞬、きらっと輝いて消えた時、ところ。藍銅鉱がおいらのコレクションのなかできょうも眠っている〈アンモナイトも、孔雀石も〉。)