209 黒雲の二刷り

藤井貞和

散会のあとから消灯する世界、終わる古い歌、
古い歴史、黒煙は空気の陰画、黒雲の二度目、
人類が滅ぶときに書く、正当な理由はなくて、
人類史を終わらせる、正当な理由がなくては、
軽犯罪としての侵攻が、ゆえなくして建物の、
船舶のページを消す、軽犯罪に潜む悲しみで、
地上がすこし固くなり、泥の海の引きかげん、
戦車のざんがいは兵士の妹たちののちである、
拘留や科料におびえる犯罪が終わる、劇場も、
産院も、吐き出す黒雲によって、空爆される、
神話の二刷りが届けられる、鉄器に轢かれる。
 

(〈返信メール〉あなたの連載月評の力作にふれてうれしかった。第二の詩集もありがとう。こういうおしごとや詩集が実ってゆくのはほんとうにうれしいこと。詩人がいま、この時、どういう、何をするという問いかけですね。全土が、焦土や、原発被災と化す。詩が何をしなければならないか、まったくわからない。避難の母子の疲労しきった表情を見るたびに、あなたの言うとおりです、詩を直撃するかのようだ。それが詩人の負い目なのだろう。私はあるサイトに、わずかにウクライナの音楽の出てくる作品を書きました。友人のサイトから、ウクライナのうたと竪琴と。ちらと「うた」が出てくるだけで、心がいっぱいになります。〈追伸〉物語はどこかで戦争に加担するし、うたも謳歌するときがある。私は物語とか、うたとか、これまで関与してきて、息をのむ思いがする。詩の相対的役割があるわけでなし。映画も物語です。内田樹さんはウクライナの映画を6本観たら、対露戦争が3本、飢えそしてカニバリズムが2本だったと言う。既視感のある対露戦争だと。こんな戦争と物語との悪循環を、断ち切りたい。うたも、悪循環でしょう。一九九九年のベオグラード空爆で、十四階からくれた、「こわくないよ、こわくないよ」というメールを思い出しながら。)