215 真珠貝の浦

藤井貞和

「われ、若くして東西を知らず、
芸能を見る目、またくなかりき。
詩とドキュメンタリー、思潮社の一冊、
不意に手にして、乾武俊を知れり、昔日。

黒い翁、歳月をへだてて、
ふたたび、わがまえに、天の雫か、
地湧(じゆう)の声か、
詩の人、思いを伝えて今日に到る。

山本ひろ子、何びとぞ、くどきの系譜を、
コピーに作りて、われに呉れたり。
山本ひろ子、真珠貝の湾に、
三月二日より、フォーラムをひらくと。

木村屋の座に集う、若きら、若からぬらに、
伝えん意志の仮面よ、舞え、新作、
カイナゾ申しに参りたり。 黒い媼の、
花開きうらうら、和歌の浦々。」

(二〇一三年三月の、しかも文語詩は私のおそらく唯一だろう。再度の入院先から、和歌の浦でのイベント〈仮面フォーラム〉の開催を言祝(ことほ)いで、参加の代わりにメールで寄せた、「真珠貝の浦に成功を祈ってる」と。翁劇「カイナゾ申しに参りたり」は、九十二歳の乾武俊の新作。企画の山本ひろ子の提題は「芸能と仮面の向こうがわへ」と言う。『詩とドキュメンタリー』〈思潮社、一九六二〉は半世紀まえの乾さんの詩論書で、なぜか私は持っている。「くどきの系譜」は大阪文学学校の文芸誌に乾さんが連載していた評論。『黒い翁』(解放出版社、一九九九)は立ち読みして手放せず、五千円という高価ながら買い求めて、こんな本が出てるよ、と私は山本さんに告げた。これがすべての始まりとなる。白い翁の古層に三番叟〈黒い翁〉を見るというのは、芸能史の起点となるだろう。今回は忘れていた旧作。)