227 改稿 ―平和―

藤井貞和

ドームのしたには、原爆部落(と言った。)がひろがり、
石川孝子(女教師)は、教え子のひとりひとりを、
尋ねてまわる。 ある子は粗末な墓碑のしたに眠る。
特撮は、爆風に蹴散らかされる廃都をスクリーンに映す。
小学生たちが、みんなで泣きながら手をつなぎ、
映画館から出てくると、なぜかきょうは令和五年の夏だ。

 
(改稿と言っても、「平成22年4月25日」を「令和五年の夏」に変えただけです。ずるいね。ぼくらは乙羽信子を憎みました。数年ぶりに広島を訪れた女先生が、滝沢修の岩吉爺さんから孫の男の子を奪い取って、島へ連れ帰ります。そのことの意図を思うと、言いたくなる、いろいろはありますが、何を言っても今がむなしいな。学生のころ、東京から鈍行を乗り継いで長崎を訪れ、資料館と言ったか、平和公園と言ったか、その夜また乗り継いで帰ったことがあります。その長崎で編集室水平線を展開する西浩孝さんによる、増補新版『言葉と戦争』(初版は大月書店、二〇〇七・一一)が、今日で校了です。この本の重要な意義の一つは、パリ不戦条約(一九二八・八)が戦争を否定し、それの放棄を掲げた点に注目することでした。『非戦へ』(おなじく水平線、二〇一八・一一、「平和」初稿を含む)に引き継がれます。ええっ、戦争の廃絶が唱えられて世界はまだ百年しか経ってないのですね。こんにちに世にあふれる、それの悲惨を告発し、軍備を批判する議論はたしかにたいせつです。そうでなく、起源から廃絶へ論じる本が、なぜすくないのかな、どうしよう。)