232  海の道の日(良心、3) 

藤井貞和

あるテレビの討論では次のテーマが与えられた。1、日本が武力行使を支持したことについて、どう思うか。2、今後、日本はどうすべきか? 参加者は朝まで、このテーマを討論していた。

例えば、3、空爆の一番の的になっているイラク市民のことを第一に考えると、彼らの恐怖を思うと、国の利益を考えるより先に、人間として、考えることと、することがあるのではないか。

4、戦争の恐怖が想像であっても、現実であっても、そして戦争以外に選択がないように見えても、実際の攻撃は避けなければいけない、と、このような思想を表現する人間の思想家。

5、戦争に反対であること、または非暴力の考えは練習によって得られる思想であり、高度な人間的知恵である。私たちは国民感情が武力行使を支持する方向へ向かわないためにも、このような考えを洗練させなければならない。

6、その一方で、私たちは言わなければならない、平和に慣れっこになることは何がいけないの?

7、沖縄の歌手、きな・しょうきちはイラクへ行って表明した、「武器を楽器へ代えましょう」と。世界で何万人もの人が街へ出て、戦争に抗議をしている。

インターネットでは戦争反対のメッセージやイラストが流れ、人間の盾になるためにイラクへ行った人もいる。それぞれの人がそれぞれの方法で、戦争反対、または非暴力を訴えている。人文字、反戦広告。人間の尊厳の名において、これらすべてを認めなければならない。ちいさな行為でも、思想は体をうごかす、そして声から始める。

アメリカでもイギリスでも、武力行使に反対する人たちがいるということを想像する権利。パレスチナ、アラブ諸国に生きている人たちのことを想像する時間。中欧や東欧に広がる悲しみを想像できる人間の権利。

(以下は「水牛のように」の2023年4月号の「良心、1」へつながります。富山妙子「海の道」の制作を見ようと火種工房へ集まった雨の夜、2003年4月4日。いま、20年後の4月。強力に思い出す。)