べリンガーの時間――翠の石室52

藤井貞和

東洋図書の学習図鑑シリーズを、
読み耽った人は多かったろう。
八木健三さんの『地学学習図鑑』には、
べリンガーの人工化石のことが出てくる。

ベリンガーは若者たちが泥岩で造って、
山に撒いておいた「化石」を採集して、
本に著した。 『化石図譜』だ。
最後に自分の名前が古代文字で書かれた石をみつけて、
いたずらであることに気づき、
今までの自説をすっかり変えなければならなかったが、
時すでに遅かったという。

八木さんの本には、
──「時はすでに遅かったのである」とだけある。
時がすでに遅いとどうなるの?
少年時からの私の疑問だ。

最近見つけた、昭和十八年に台湾で出版された、
早坂一郎さんの『随筆地質学』には、
ベリンガーのその化石図譜から、
見返しや「化石」が載せられていて、
〈時すでに遅く〉のあとのことも書いてある。
──「時既に遅く、
彼の図譜はあまねく学界に流布した後であった」と。

このたび矢島道子著『化石の記憶』が出て、
ベリンガーの「嘘石」、人工化石事件の真相が詳しく書かれている。

……

──『鉱物学習図鑑』、
──『両棲爬虫学習図鑑』、
──『動物学習図鑑(獣類篇)』、
──『進化学習図鑑』は、同シリーズの神戸(かんべ)伊三郎著。
神戸さんは生涯に七十冊出した、文字通り博物学の見本みたいな人。
少年時、奈良市内にいた私は、神戸さんの家を訪れて、
採集した石を見せた。 神戸さんは病床で仰向いて寝ており、
手だけが動くのである。 かれの掌に私は石を乗せる。
のろのろと手が動いて、顔のうえに持ってゆき、
じっと見てから、「黄鉄鉱!」。
また掌に石を乗せると、のろのろ手が動き、じっと見て、「蛍石!」。

(『図書』1月号に「嘘石・博物学」として出したのを、やはり詩集版みたいに改稿しておきたい。)