アオリスト―― 翠の石室54

藤井貞和

足の冷たい、宇宙のひとが立つ。
泛いているのは鳥のすがた。
時間(とき)は終わる、
朱鷺(とき)も終える。
萍(うきくさ)を、青墓のひとがうたう。

ここにいられるうちに、ここに、
ただよっている。 はたしてそうか、
萍の種(しゅ)を救うために。 はたして、
水田はいつまであるか

(『種の起源』150年。時間にしろ、150年ぐらいかもしれないのだから。「池の萍となりねかし」と、1000年つづくうたを見逃すべきではない〈西郷信綱氏の『梁塵秘抄』に見える〉。古代ギリシャ語や諸言語に、アオリストという時制がある。アオリストは限定できないときをあらわすから、普通なら「過去」ということになるのが、「限定できない」という限りで、現在でもあれば、未来でもよいので、原始日本語はアオリストかもしれないと『言語学大辞典』にある。一千年まえに飛び立つ鳥が、いま羽ばたきをしていたってよかろうと思うと、われわれはアオリストにいるのかもしれない。)