113ミミズクドリ――っこ、って啼く

藤井貞和

和歌三神にお参りして、「俳句がじょうずに
なりますように!」って、祈願したらば、
授かったのは、ぐにゃぐにゃの非定型だ。
かたちもなく、あるのは虚空に向かって
投げ出されるこわいろだ。鳥啼(とりなき)、
鳥啼というような声だ。(奥の細道みたい。)
字は「泪(なみだ)」で書く、書き初めです。
かたちがなくなる、なんて、「できっこない」と
思いながら、「っこ」がわからなくなっちゃっ
た。「っちゃっ」もわからん。んで、きもち、
寄せて、ちいさくひだりしたに書きました。

(「それ以降詩を書くことは野蛮だと怒りのように椅子から立って」〈早野英彦〉。阿木津英さんは早野の「椅子から立って」という言い差しの終り方について、結論もならず、さらに続く惑いを暗示する、という。「推敲はもはや必要なくなりてただ定型に縋り書きつぐ」〈斎藤梢〉。前者は金井淑子編『〈ケアの思想〉の錨を』ナカニシヤ出版(新刊)より。後者はどこからだったかな、メモより。斎藤さんの『遠浅』はいまもっとも読みたい歌集の一つながら、未入手。和歌の浦に玉津島神社へ行ってきました。引き潮、遠浅になりつつある現代です。恐れなければならない。)