ネイティブのつぶやき(58)宮城県美術館、現地存続!

西大立目祥子

11月16日は、午前中からあわただしかった。9時過ぎくらいに、ある知人から電話が入り、今日の知事の記者会見で重要な発表があり、宮城県美術館の移転案は撤回される見込みだと聞かされた。しかし、一方でまだ誰にも知らせないようにと、釘も刺された。その2時間後くらいに、今度はいっしょに活動をやってきた知人からも興奮気味の電話があった。「移転案は撤回です。これから〇〇先生に連絡します」という。どうも本当らしい。

 まさに急転直下。11時半に知事の記者会見が始まり、知事が「宮城県美術館は、現地に存続させる」と発表すると、NHKのほか地元放送局が臨時ニュースのテロップを流し、河北新報は「宮城県美術館移転断念 県決定現地存続へ」と大文字が踊る号外を出した。そうこうするうち、ここ何ヶ月かの活動で知り合いになったテレビ局や新聞社の記者から、活動を推進してきた宮城県美ネットに取材をしたいと連絡が入り、宮城県美術館で応じることにした。月曜で休館日だったのだけれど、この美術館は建物のまわりは庭園になっていて休館日も入り込める。何社ものテレビ局や新聞社がきていて、質問に答えたり、バンサイさせられたり…そうこうするうち、飲み込みの遅い私もようやくほんとなのかもしれないという気分になっていった。

 昨年11月18日に、宮城県が築38年になる前川國男設計のこの美術館を突然、移転すると発表して以来、現地存続の活動を始め、要望書を何度も県に提出し署名活動やロビー活動を展開してきた。特にこの7月に、要望書を提出した団体が連携し「宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワーク」という会をつくってからは、30代から80代までのメンバーが団子になって、ほぼ休みなし昼夜なしといっていいほどの熱の入れ方で突っ走った。移転は、建物の解体や売却を意味することだったから、誰もが本気だったのだ。疲れているはずなのに疲れを感じないのは、全員興奮した頭で愉快に笑いながらやってきたからなのか。集団のパワーというのは、全員上機嫌のときに最も発揮されるんだなぁと、いつもみんなの顔を見ながら思っていた。

 それまで知らなかった同士がつながり、一つの目的のために動いていくおもしろさは事務局だけにとどまらなかった。会員の申込みハガキや申込みフォームに「なんでもやります」「手伝います」などと書き添えてくださる方があまりに多いので、手伝ってもらおうよということになり「県美応援団」を組織した。10月10日に開いた第1回目の会合には、40人近い人たちが参加してくれて、何かひと言を、とお願いすると、「デモもやりましょうよ」「署名もう一回やらないとダメ」「絶対に阻止しよう」などと熱い思いが会場にあふれ出てくる。封筒の発送作業も手伝ってくれるので、活動を直接支えてくれるなくてはならない存在になっていった。

 11月29日には、知事の移転撤回後、初めて応援団の集まりを持った。安堵感と達成感がそれぞれの表情に浮かんでいる。あらためて自己紹介を、とお願いすると、口にしてくださったのはこの会の活動の中で自分が得たことだった。「自分の意見をいえる機会をつくってくれてありがとう」「この歳で市民活動をやるなんてね」「残りの人生も悪くないかな、この歳でこんなに署名活動やって達成できたんだから」「人の輪が広がっていくのは楽しい」「未来の県民にあの美術館を手渡すお手伝いができてよかった」「またあの場所の県美に行けるのだから、幸せ」。にこやかに話す人たちの年齢は40歳代から70歳代まで。頑張って実現できたという思い一つでつながるネットワークは、しばらく消えそうにない。

 活動はここで終わりにしないつもりだ。会を継続して、会員も増やし続けながら、つぎは宮城県美術館に直接かかわっていく活動につなげたい。声を上げるためには、何か組織がいることも痛感させられた。私たちの会を中間組織といったらいいのかわからないけれど、個人ではあげにくい声も、誰かが組織をつくり束ねていけば大きな力になりうる。いま会員は2100名。これだけの人たちがこの会に自分の思いを託して声をあげたことになる。

 それにしても、宮城県美術館はしあわせな美術館だと思う。県内広く、たくさんの県民に愛されているのだから。それは青葉山や広瀬川に近い自然豊かな場所に立地していること、質実でありながらもきめ細やかな質感を持つ建物であること、公園としても楽しめることなど、いろんな魅力があるからだ。

 この県民には自明の豊かさを、知事も県も当初はほとんど理解できていなかったのだ。だから、こんな乱暴な移転案が飛び出してきたのだろう。行政と住民の何という意識の乖離。知事は記者会見で、移転する場合は総務省の地方債を使うことに
なり、その場合は前の建物の除去が条件であるため、建物の譲渡先を自ら探したが不発に終わったと話している。もしそれがうまくいっていれば、移転は強引に進められた可能性は十分にある。

 もはや私たちが大切と思うものが、いつまでも維持される時代ではなくなった。大切だと思うものは、通い、手をかけ、いざというときには声をあげなければ守れない。そしてそのためには人と人がネットワークを組み、どこに誰がいて力になってくれるかを知っておかなければならない。今回のこの移転騒ぎが、図らずも残してくれたものはこの人と人のつながりだ。つぎに何か起きたときは、このネットワークが生きてくるだろう。

 ともかく安堵感のうちに師走を迎えられてよかった。
 応援してくださった全国のみなさま、本当にありがとうございました。