食文化研究家の林のり子さんをお呼びして、リアス式海岸の小さな半島の町、宮城県唐桑町(現・気仙沼市)で料理講習会をやったのは…いま資料を広げてみたら、1994年のことだった。あれから24年も経つのか。へぇ、とじぶんでも驚きながらちょっと振り返ってみることにする。
「新しい郷土料理をつくろう」と企画し始まった講習会は5回連続して開催され、最後には100人もの町の人を招いて料理を振る舞う発表会が開かれた。私は林さんを仙台から唐桑まで運ぶ運転手兼記録係として、ずっと講習会を見守る立場にあった。おっとりとしながらも頑固な林さんとどこまでも陽気な唐桑の若い女性たちはびっくりするほどウマがあい、受講生たちは講習会終了のあと、このまま解散したくないと「唐桑食の学校」というグループを立ち上げた。その後10年以上にわたって林さんを講師に活動を続け、つきあいはいまも続いている。
忘れもしない第一回目の講習会。さぁてこれからどんな料理をつくろう、まずは素材探し、と臨んだ林さんの前にあらわれたのは、遠洋船を上がったばかりの鈴木さんという年配の男性だった。テーブルにのせたカツオの刺身を前に、鈴木さんがいった。
「長い航海になるとカツオをショウガ醤油で食べるのも飽きてしまってね、マヨネーズかけるんだね。ニンニクのすりおろし入れたりしてね」そのひと言に、林さんの目が輝いた。「それは地中海のアイオリソースよ! マヨネーズにニンニクのすりおろしとカイエンヌペッパーを入れて、魚料理に使うの」
唐桑はすぐれた漁船員を輩出する町として知られていて、世界の海にマグロを追う漁船員がそのころ町内に1000人ぐらいいた。彼らと話していると世界中の寄港地の名前が出る。まさに、世界に直結する唐桑。
講習会のテーマは決まった。「唐桑で世界の家庭料理をつくろう」林さんは、唐桑の夏の風景に地中海を、冬の風景にノルマンディ地方を重ね見たようで、カジキマグロとトマトやパプリカなどのカラフルな野菜で地中海料理を、唐桑の海で育つカキやホタテでノルマンディ料理をつくる提案がされていった。
ここからがさらにおもしろかった。『カツオは皮がおいしい』という著書がある林さんは、素材をていねいに見て一つも捨てることなく使い切るのが信条。一方の唐桑は、いつも魚介類がふんだんに手に入るから、おいしいところだけ食べてあとは捨ててしまうのがあたりまえ。それだけに繰り広げられる調理のすべてが、唐桑の女性たちには驚きと発見だったといってもいい過ぎではない。
カツオを下ろし「先生、アラは捨てますねー」といえば「ちょっと待って、スープにしましょう」と指示が飛び、パセリの茎を捨て葉だけを刻んでいると「もったいないわよ、茎も全部みじん切りにね」とひと言。そして、牡蠣のムースを蒸し鍋で仕上げ「わぁ、うまくできたね」と皿に移し鍋を洗おうとすると、「あ、蒸し鍋の底に牡蠣のエキスが落ちているんだから捨てないで」と待ったがかかる。そのたびにとまどい、顔を見合わせていた彼女たちも、回を重ねる中で林さんが何を大切に料理をしているかを感じとるようになっていった。
極めつけは「ホタテのコライユグリーンソース」。名前のとおりホタテを使う料理なのだが、「みなさんは、いつもホタテをどんなふうに食べているの?」と林さんがたずねると、ホタテ養殖の盛んな町だけに「貝柱は刺し身にして、あとは捨ててる」という。このソース、何とそのヒモだけを使う料理なのである。
半信半疑で料理に取りかかる。みじん切りにした玉ねぎを炒め、ざく切りのヒモと肝を投入し、生クリームを入れて煮込み、できあがりの直前にたっぷりとみじん切りにしたパセリを加える。白いソースにホタテの黄味がかった具が浮かび、鮮やかな緑のパセリは雪の中から萌え出る草のようにみえた。
ごはんにかけて食べると、実においしい。「ヒモだけなのに、いい味」「いつも捨ててたなんて何やってたんだろう」「こんな風に使えばいいのね、活かし方次第だね」…素材のすべてを活かしきるということの意味としぐさが、すとんとみんなの胸の深いところに落ちていった瞬間だった。
リンゴの5つ割も、語り草になるような作業だった。アップルパイをつくるために50個ほどのリンゴを用意して、みんなで皮むきにとりかかろうとしたら林さんがいう。「4つ割じゃなくて5つ割にしてね」
えぇっ? 5つのガクが大きくなったのがリンゴの果実で、リンゴのお尻を見ると、その成長のあとを示すように五角形の星型がのぞいている。この星型の凹んだところに向かって包丁を入れると、種がとりやすく、廃棄する部分も少ないということなのだ。「大量に用意するときはひとつひとつの捨てる量が全体に響いてくるのよ」と林さん。お尻とにらめっこしながら皮むきをすると、たしかにそのゴミの量は驚くほど少なかった。
5回の講習会が終わるころには、林さんの考え方、作業の仕方はみんなの中にしっかりと浸透して、「先生ならこうやるはず、こういうはず」という想像がいつのまにか規範として根づいているのだった。
ともに台所で作業をすること、ことばを実践の中でたしかめていくということは、想像以上の伝える力を持つようだ。座学だけではこうはならなかっただろう。知識として覚えたことは忘れるかもしれないけれど、しぐさとして身についたことはきっと消えない。20年がたったいまも、きみんなは台所でパセリの茎をきざみ、ホタテのヒモは捨てずに使っているはずだ。
講習会から20年が過ぎたころ「唐桑食の学校」代表の藤原理恵さんに、「ねえ、まだリンゴ5つ割にしてる?」と聞くと、「してるよ」とごくごく自然に答えが返ってきた。文化の伝播とは、きっとこういうことをいうのだろう。