明治の登山家、小島烏水の山岳紀行文を青空文庫に入力した時、ハイマツを集めて焚き火にしたり、雷鳥を捕まえて食べた話が出てきて、現代の感覚との違いに驚いた。当時の上高地はまずトンネルなどはなく、狩猟を主にする狩人が住んでいただけだから、今の賑わいとは異なっている。
私が小さな頃の屋外の焚き火と言えば、キャンプファイヤーという大きな焚き火を囲んで、踊ったり歌ったりするイベントが多かったが、実は東京の品川に住んでいた私は、4歳から10歳くらいまで薪で風呂を沸かして入る生活をしていた。考えれば50年ほどになるので何があっても驚かれないかもしれないが、当時でも薪を使って風呂を沸かしている家は少なかったように思う。ということで、実は薪を割ったり、火を付けたりといったことは意外と得意だったりする。
大学に入ると進学した学校が山の中にあったせいか、それとも、山の中を分け入るような学問を志したせいか、あるいは両方か、自然と野営の道具を抱えて歩くようになっていった。当時はちょうど、大学のワンダーフォーゲル部が大きなキスリングを背負って日本アルプスを縦走していた最後の時代で、火を起こす道具としては灯油やガソリンを使用した魔法のランプのような形をした大きな火器を使ったことのある最後の世代になった。一方で、米国のバックパッカーの文化が入ってきた時代で、米国製の火力の強いガソリンストーブを学生時代は愛用していた。
ところが、社会人になると重いストーブを背負うこともなくなり、その代わりに火力は弱くなるが軽量のガスストーブを愛用していた。このガスストーブの流れは今でもあまり変わりなく続いているが、3.11でガス缶の互換がなくて困った経験から急速に仕様の統合が進んだ。
さて、最近、ふと、キャンプ用品にまた興味を持って眺めているが、所帯道具を背負って歩くタイプの野営から、野営自体を楽しむタイプの活動に変わってきているようで、燃料も携帯性や効率を優先するよりも、むしろ情緒を楽しむために、薪や炭を使用することが増えているようだ。
情緒で思い出したが、社会人になって数年経った頃、春の夜桜見物に闇の鎌倉の某公園に、野営用のガスランタン持参で出かけたことがある。今考えると周辺の住宅の方達にはとんでもない迷惑をかけたものだが、日常とは異なるランタンの光に職場のメンバで楽しんだものだ。そう考えると火には人間の感情に訴える何かがあるのかもしれない。