仙台ネイティブのつぶやき(20)土に生きる人

西大立目祥子

 昨年秋遅く、大津波の被害を受けた仙台の沿岸部でお米と野菜の収穫祭が開かれ、会場に設けた農業相談コーナーで通訳をやることになった。でも外国人に仙台の米づくりを説明する、というのじゃない。回答者である地元農家、佐藤善男さんの仙台弁を相談にくる人にわかりやすく伝えるというのが仕事。「ヨシオさんの通訳だよ」というと、みんなフハハと笑った。
 
 善男さんにお会いしてみると別に通訳が必要でもなく、お餅を提供した会場の片隅に長テーブルを出しておしゃべりをしながら相談者を待った。これが案外と盛況なのである。中高年、少なくとも地方の人々はかなりの比率で、農によろこびを見出しているのは確かなようだ。

 一人目は70代と見受ける女性。「妹から畑預かってやり始めたんだけど、今年はジャガイモと大根植えたのね。来年も同じもの植えて連作障害みたいなのは出ないんですかね?」とおずおずと話す。ああ、大丈夫だねと答え、作付けのコツを話す善男さん。2人目のアスパラガスを植えたあとの植え付けについても、即座に回答。静かな口ぶりで話す横顔を感心しながらながめた。

 3人目は、掘り起こした赤ガラ芋(里芋)を持ってやってきた。根にはいくつもの里芋がくっついている。「来年に向けてどういう作業をしたらいいのか」という質問だ。「この芋をとって種芋にすればいい。藁を一つひとつにからめて土をかぶせるんだね。来年7月ころになると芽が3、4本が出てくるから、そうしたら肥料を一回かける。それまで肥料は入れないことだよ」と、これまた的確。

 いっしょにきた男性が、脇から「玉ネギ植え付けたいんだけど、急に寒くなってきて、いまからでも大丈夫ですかね」と聞いてきた。「11月中なら大丈夫。薄いビニールを張って20センチくらいの間隔で植え付ける。石灰窒素を入れてはだめだよ。玉ネギの苗はねえ、細いくらいのがいいんだ。太い茎のはすぐに花が咲いてしまうんだよ」とこれまた具体的なアドバイスに、質問の男性は熱心にメモをとっていた。

 話はつぎつぎといろんな野菜に広がる。「ナスは根もとにビニールかけてはだめ。ナスの根は浅いところに張るからね、ビニール張ると暑さにやられてしまうんだな」
「ジャガイモは畝の高いところに植える。そうして水は控えめにして、葉が少し黄色に見えるくらいでちょうどいい」
 話をききながら、ジャガイモは南米アンデス山脈が原産で、いつかテレビで標高の高い乾いた山々で農家の人が腰を折って種芋を植え付ける作業を見たのを思い出した。野菜が生まれたふるさとに思いをはせれば、育て方をイメージしやすいのかもしれない。来年もこの農業相談をやるなら私も少し勉強してきて、野菜の原産地の話をしたらもっと楽しくなるかな、と思いつく。
 
 何より、細部を詰めていくような具体的な話は、そばにいて何時間聞いていても飽きることがない。その経験にもとづく確かな自信に満ちた話に「篤農家」ということばが浮かんだ。昔は、研究熱心ですぐれた技術を持ち、まわりに先駆けて新たな品種を導入するような篤農家とよばれる農家が地域には一人二人必ずいたものだ。

 善男さんは、深沼という浜に生まれ育ち、先祖から受け継いだ田と畑を守ってきた。農業の先生は父親。父親の先生はそのまた父親。そうやってこの土地での農業技術をからだに刻み込み、蓄積し発展させてきた人なのだ。そして、自分なりの技術を磨く支えとなったのが「ノート」の存在だ。

 ここ何十年にもわたって、日誌のようなかたちで大学ノートに毎日の天候や作業の記録をつけてきたという。「たとえば1月1日なら、毎年毎年その日の記録を同じページに書く。何十年もたつと、暖かい年、寒い年、いろいろあっても、そのページを開けば今日は何をすべきかがわかるんだ」

 記録と実践と反省と。そのたゆまぬ繰り返しの中で得た深い納得を、まわりからは頑固者といわれようが善男さんは決して曲げることなく実践したきたのだと思う。だから、昭和61年の8月5日の大水害で宮城県内の多くの田畑が水没したときも、前日にじっくりと空を眺めてすべてのジャガイモを掘って災害をまぬがれたし、平成5年の大冷害で東北の太平洋側の米が大凶作となったときもさほどの被害は受けなかったという。

 その農業人生を支えてきたノートを、善男さんは大津波で失ってしまった。でも、こういうのだ。「全部、俺の頭に入ってっから大丈夫なんだよ」と。

 深沼は災害危険区域となり、家を再建してすむことはできなくなった。少し離れた地区に家を立て、善男さんは塩抜きした田んぼでの米づくりを再開し、毎日毎日育ち具合を見に通う。津波被害を受けたエリアでは、農業の法人化が活発になっている。
それを否定はしないけれど、新たな就農者も含めみんながやりやすいやり方で、技術を平準化する農業の中からは、善男さんのような一人黙々と土に向かい飛び抜けた技術を持つ農業者はきっとあらわれないだろう。

 そのこだわりの米づくりについては、また別の機会に。