仙台ネイティブのつぶやき(23)今日も種付け

西大立目祥子

 友人のUは家畜の人工授精師だ。 
「おらいの牛、発情したみたいでね、ちょっと来てけねすか?」
彼の携帯には、昼夜を問わずこんな電話が入る。出番はメス牛が発情したときなのだ。牛の発情は21日周期で半日から1日程度続く。肉牛の繁殖農家にとってはこのタイミングを逃すと3週後まで待つことになり、それは経営に影響するから、日頃から牛をつぶさに観察してその兆候が見られたらただちに人工授精師をよぶという運び。先日、種付けに同行させてもらった。

 早朝でも夜遅くても、雨でも雪でも、彼は電話が鳴ったら山間地の農家へ車を走らせる。着くやいなや、手際よく手術着のような青いエプロンと腕の付け根まである長いゴム手袋をつけて牛小屋へ。目当てのメス牛の腸に腕を差し入れ、まず腸の中の便をかき出し、それから再び腕を腸内に差し込んで卵巣や子宮の状態を触診する。腸内から手で探ってわかるらしい。職人技みたいなものなんだろう。

 まだ早いと判断するときはいったん農家にまかせ帰ることもけれど、授精適期となったら、そこで種付けになる。この日は、もうやれると判断したのか、すぐさま車に戻りトランクから冷凍のタンクを降ろしてフタを開けた。タンクの中には種牛の精液が冷凍保存されている。見せてもらうと、ちょうどボールペンの替芯のような容器に入れられ牛の名前が記されていた。「1本0.5ccで3千円ぐらいから。スーパー種牛になると3万も5万もするよ」と説明してくれる。常時、何種類かの種牛の精液を持って動くらしい。頭の中には、それぞれの種牛の特長─たとえば体が大きいとか、サシ(霜降り肉の脂)がよく入るとか─がしっかりと入っていて、掛け合わせるメスの特長を考え合わせて交配するという。農家が飼うメス牛の父が誰かまで覚えているんだろう。「Uさんは血統のことがよく頭に入っているからね」というのが農家の評。この日は「美津百合」という種牛の精液を解凍して子宮内に注入し、種付けは完了。終わると、玄関先で人工授精伝票と授精証明書を発行し1万6千円を受け取っていた。

 それにしても肉牛はすごい世界だ。選りすぐりの種牛を見出し、後継牛を育て、その精液を管理活用していくことが、農家の経営を助け、ひいては県の畜産振興の屋台骨となる。
 宮城県には、かつて「茂重波(しげしげなみ)」というスーパー種牛がいた。昭和49年に兵庫県から導入されたこの牛がすばらしい肉質を誇っていたようようで、仙台牛のブランド化がなったのもこの牛がいたからこそ。何しろ宮城県唯一の「みやぎ家畜市場」には、茂重波よありがとうといわんばかりにその銅像が立っているほど。宮城では、その息子や孫たちが活躍中。息子には「茂勝」がいたし、いまはその息子の「茂洋」や「忠勝美」が懸命に働いている。ま、つまりは、その精液をバンバン活用中ということです。

 肉牛の世界はすごい、というのは、人はここまでやるのか、と驚かされたいうことにほかならない。この世界は、生殖技術開発の実験場なのだ。優れた牛のクローンもつくれるし、オスメスを選択することもできる。スーパーメス牛の卵子とスーパー種牛の精液で、つぎの代の種牛がつくられていく。経済動物の宿命なんだろう。

 さて、種付けから約280日が過ぎれば子牛が生まれてくる。生まれると農家はJAに分娩報告書を提出し、それをもとに耳標をつけ鼻紋をとり、母の名、父の名などを記載して登録が行われていく流れ。つまり牛は戸籍を持っていて、耳標の番号は屠殺後もトレーサビリティの番号として生き続けていく。牛は100パーセント、いや120パーセント、人の管理下におかれている動物といってもいいかもしれない。

 とはいっても生命体、自然そのものである。早産もあれば死産も流産もあるし、そもそも種付けして首尾よく妊娠するとも限らない。農家は「お産は大仕事だよ」という。
うまくいくことを願ってもかなわないこともあるとよく知っているだけに、そのことばには実感がこもる。
 月足らずで生まれれば、たいていは処分されるのだろうけれど、中には手をかけ育て上げる農家もある。知人のTは、20日早く生まれ立つこともできなかった子牛をあきらめず、哺乳瓶でミルクをやり1年をかけてほかの牛並みの大きさに育てた。「この牛が、いまはいちばん働いてくれてねえ、この春7産目。みんな恩返ししてるんだっていうよ」と目を細めるT。愛情をかければ応える。人と牛のあたたかな交感に、ようやく気持ちがなごんだ。

 繁殖農家は、子牛を10カ月ほど育て市場に出荷する。その牛を買って20カ月ほどで800キロをこえるような巨体に仕上げていくのが肥育農家だ。体格だけでなく、与える飼料を変えて、最後は肉にサシが入るような肉質に持っていくのが技量の見せどころらしい。しかし、これは牛にとっては健康的とは決していえず、最後はビタミン不足でふらふら、引いてもらわないと前に歩き出すもしんどい状態になるらしい。そのお肉が高級店のメニューに並ぶのですね、とろけるような味わいの仙台牛として。

 愛玩動物しか接したことのない軟弱な私の頭は、経済動物の世界の現実におたおたするばかり。牛は生き物なのになあ。ことばを失い、ため息が出た。
 一方「発情」だの「種付け」だの「冷凍精液」だの…飛び交うことばに当初はドギマギしたが、話を聞いたり現場を見たりするうち、こっちはもうすっかり慣れてきた。(いまはもう人の前でも平気で口にできます。)
 そして、Uは、じぶんも繁殖農家として15頭の世話に追われながら、今日も種付けに山を走っているはずだ。彼の家には年頃の娘がいる。慣れというのはおそろしい。家にかかってきた農家からの電話に、叫ぶのだそうだ。「お父さん!また種付けの電話だよ!」