仙台ネイティブのつぶやき(27)山の暮らしを継ぐ

西大立目祥子

 先月、山形で地域づくり活動をする若い人5、6人とお酒を飲む機会があった。みんな30歳ぐらい。出身地をたずねて、ちょっと驚いた。山梨、長崎、神奈川、大阪…と東北以外からやってきた人ばかりで、もちろん山形生まれは一人もいない。

 ざっくりとその理由を私なりに探ってみると、ひとつには1992年に開学した東北芸術工科大学の存在が思い浮かぶ。けっこう目的意識をはっきりと持った学生が集まり、地域と緊密なプログラムの中で学び、卒業後も山形に住み続けて仕事を起こしたり地域とかかわり続ける人たちが、少数とはいえいるのだ。

 そして、もうひとつは「地域おこし協力隊」という制度だ。2009年に総務省が始めたこの制度は、地方の町や村が都市の若い人たちを住人として受け入れ、集落の人たちと暮らしてもらいながら、農作業の補助から生活支援、地場産品の開発や販売、都市住民との交流などのにない手を育てようとするもの。期限は3年で、生活費や活動費が支給される。

 東京や名古屋、大阪などの大都市にますます人口が集中する流れの中で、あえて田舎暮らしを選択する人たちなのだから変わり種なのだろうけれど、それだけに都市の暮らしに限界を見て、自分自身の新たな生き方やこれからの社会のあり方を模索するのに一生懸命なのだろう。地域移住への足がかりにする人もいるし、任期の3年を終えたあと地域にそのまま定住する人もあらわれ、あちこちで活躍を耳にするようになってきた。この山形の飲み会でも3人が地域づくり協力隊、もしくはその出身者だった。

 実際、地方の町、特に山間地では息子・娘世帯は家を離れて都市に移住し、年寄りの一人暮らし二人暮らしが目立ってきている。ジジ・ババたちは案外と元気にたくましく生活しているけれど、冬場の雪かきや雪おろしはかなり難しくなりつつあるし、ぽつりぽつり次世代が離れていく集落の行く末を案じていることは確かだ。そこに若い人が飛び込んでいけば大歓迎、懐深く受けとめていろんなことを教えてくれるようだ。

 私の知人の息子も夫婦で子育てしながら、新潟のとある町の地域づくり協力隊となった。夫婦そろってミュージシャンである彼らは、家々の雪かきをこなし、自然農法の米づくりを見習い、地域の人が歌うときには生オケをつとめ、ときおり演奏に出かけていく。「地域づくり協力隊+アルファ」という生き方は、地域に根ざす生き方と自己実現という、これまで隔絶していた2つの価値をつないでいるように見える。

 福島のある町に出かけたときは、小さなワイナリーの入り口のラックに地域づくり協力隊の女性がつくったニュースレターを見つけた。一色刷りの表裏イラスト満載の手描きのレターは素朴な味わいで、田舎暮らしを満喫することばでいっぱい。電車やバスの少ない里山を舞台に軽トラでのデートコースを提案したり、東京と移住してからのおサイフ事情を比較したりしている。それを読むと、移住してからの生活費は都会暮らしの約半分。都会は「お金をかせぎほしいものを買う貨幣経済」、田舎は「自給自足など直接的な方法で必要なものをまかなう自分経済」とあって、「いなかで暮らすと生きていく方法の幅が広がっておもしろい」と率直な思いが記されている。(「おにぎり新聞Vol.2」二本松市地域おこし協力隊ニュースレター)
 豊かな中で生まれ育った若い人たちが都市と田舎を等価値に見て、むしろ人同士の付き合いが深く、モノのやりとりや知恵の出し合いをする暮らし方に共感を覚えているのが小気味いい。

 思えばずっと東北の人々は田舎を脱して都会に出ることを夢みてきたし、なまりを恥じて、小さな町や村の出身であることを隠してきたとろもあった。たとえば、宮城県出身者なら、「仙台生まれ」と答えるように。

 でも、彼ら彼女らは違う。山間の集落に入り込み、ともに田んぼや畑で汗をかき、収穫した野菜を農家の人からどっさりと受取りながら、土地で営まれてきた知恵と技を驚きをもって見つめ、人々の生き方を追いかけている。
 その姿に、私は新しい世代が登場したんだと感じるし、集落にかろうじて共同体や自然を活かした暮らし方が残っているいまこの時期に彼らが登場してくれてよかったとも思う。ぎりぎり彼らがその文化を継いでくれるかもしれない。

 山形で出会ったT君は、地域おこし協力隊になったのをきっかけに山形県鶴岡市の山間地にある大鳥集落に入り、マタギの見習いとなり、ひとり地元の人々に聞書きを重ねて『大鳥の輪郭』という民俗誌を仕上げていた。冬期間の積雪は3メートル。高齢化率は70パーセント。社会的には限界集落とよばれるこの地域の人々が、数百年にわたりどのように生業を保ち集落を維持してきたのか、60ページの一行一行に人々への畏敬と愛情とみずみずしい感性があふれていてすばらしい。それでいて、都会の人間が遠く自然の中で暮らす人々を外から眺めて礼賛するのとは明確に違う、内部に入り込まなければ決してつかみきれない圧倒的な自然の生々しさ、怖さも伝えようとしている。

 何人ものT君が、全国の小さな集落を今日もめぐり、地域の人々のために働いて居るはずだ。こうした若い人たちの現れは、私たちの暮らし方、社会のあり方の転換点を示しているのかもしれない。私には、彼ら彼女らがほころび始めた集落の、いやもっと大げさにいえば社会の修復の役割をになっているように見える。