団扇と女優

北村周一

私はことのほか団扇が好きで、汚れたり破れたりしても捨てることができずに大事に使って参りました。
団扇といっても、いまふうのプラスチック製のものではなく、骨組みが竹製の、少し大きめの団扇のことです。
私が子供の頃は、どの家にも目立ったところに団扇が一、二本は置いてありました。
夏はむろん涼しい風を起こしたり、蚊を追い遣ったりと出番が多いのですが、それだけではなく、台所や風呂のマキを焚きつけたり、炭や練炭の火を熾したり、ときには塵取りの代わりになったりと、用途はさまざまでした。
団扇には当時はやりの女優さんの顔が描かれていて、うらがわには、○○米穀店とか、△△酒造店とか広告が印刷されておりました。
団扇に描かれた、女優さんのまったりとした笑顔を見ていると、日常のよしなしごとがふと馬鹿らしく思えてきたことも、二度三度ではありません。
団扇そのものが醸し出す特別な雰囲気もありましたが、その団扇を手にしている人が、祖母であったり、父や叔父であったりと、持つ人によって場面が変わるのも興味深いことでした。
そしてなにより、風を送る相手があるときは、たとえば母が小さな子供を寝かしつけようと団扇をあおいでいるとき、また相手が、老いた病人のときなど、いろんな光景を思い出すことができます。

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女優というお仕事に就いて、もうどのくらい経ちましたでしょうか。
長くこの仕事を続けていると、どこまでがほんとの自分なのか、わからなくなることがあるように思います。
ほんとうの自分といっても、それがどんなだかはっきりといいあらわすことはできませんけれど。
役を作っていくうちに、その一部が自分の中に残ってしまうことがあるのかもしれません。
自分自身が気づかなくても、まわりの家族が変だなと感じるときがあるようです。

私には三人の子供がいます。夫はすでに他界しております。
子供は、うえ二人が男の子、末が娘です。
長男は学校を出て独立しておりますが、した二人がまだ学生で、いまは三人暮らしというわけです。
私は仕事の都合で、いったん家を出ると帰りが遅くなりがちなので、朝食だけはみんなで摂ろうと決めて、子供たちも朝だけ一緒の食卓についてくれます。
とはいえ次男は、夫の死後ますます無口になってしまい、私がなにをいっても、軽く返事をするだけで、自分から話すことはめったにありません。
娘はといえば、思春期はとうに過ぎたというのに、学校へは行かず、たまにアルバイトに出かけているみたいですが、ふだんは夜昼逆転の生活をしております。
それでも三人一緒に朝食を摂るスタイルは変わりません。
娘も食堂にやってきて、テーブルにつくことはつくのですが、寝たふりとでもいうのでしょうか、目を瞑ったままじっとしているだけで、なにもものいわず椅子に座ったままなのです。
私が出かけた後にひとり食事しているのでしょうが、なんとももどかしい限りです。
そんなある日、風邪でも引いたのでしょうか、娘が自室から降りて来ず、次男と二人だけの朝食となりました。
あの娘、眠たければ、あんな寝たふりなんかしてないで、
自分の部屋で寝てればいいのに、
なんかあてつけがましいわよ、と次男にそれとなく話しかけてみました。
次男は黙って聞いていましたが、食事を済ますと、ぽつんとつぶやくように、こういいました。
あいつ、寝たふりしてるんじゃないよ。
ほんとうに寝てるんだよ。
みんな一緒になると、落ち着くんだってさ。