足しげく通っている大崎市鳴子温泉鬼首(おにこうべ)地区。北は秋田県、西は山形県と接する山間のこの地区には、ここだけで守り育てられてきた在来野菜がある。その名も「鬼首菜」。
地元の人たちが「地菜っこ」とよぶこの青菜、平成2年には100戸ほどの農家が栽培していたというのだけれど、平成も終わり近づいた29年にはわずか2戸になってしまった。このままでは消えてしまう、復活させようという動きが出てきて、昨年夏に3軒の農家が種まきし栽培して漬物などの加工を試みることになり、私もその手伝いにまわることになった。
とはいっても、私は食べたことのない野菜なのである。栽培してきた農家から、小さなカブをつけた20〜30センチほどの鬼首菜の写真を見せてもらい、手にのるような大きさの小松菜やほうれん草のような青菜かと想像はするものの、味はまったくわからない。手さぐりの実験だ。
8月末、種まきして3日目という畑を見に行った。種は畝を起こした畑に等間隔でていねいにまくのではなく、広い畑にラフな感じでぱらぱらとまいていくらしい。暑い日が続いたからだろう、黒い土の上に濃い緑色の何ともかわいい2、3ミリの双葉が一面に芽吹いていた。収穫は11月頃と聞いた。
長年この地に暮らしてきた人に、「鬼首菜ってどんな味?」と聞きまわる。「おいしいよ」と即答の人もいいれば、ああ、と記憶をたぐり寄せるような表情になって、「あの辛みがいいんだ、鼻に抜けてくあの辛みがなぁ」とうなづきながらに答えてくれる人もいる。その顔がいかにもしあわせそうで、暮らしにしっかりと根を下ろしてきた野菜なのだということを教えられる。
ある人はこうもいった。「秋に収穫して漬物にすると、独特の辛みが何ともうまいんだけど、春の食べ方もあるんだよ」。聞けば、雪の下で数ヶ月眠りについた鬼首菜は、春先、ちょうど雪解けのころに春を教えるように新芽を伸ばしてくる。そこを収穫して食べる。「ああ、鬼首に春がきたって思うんだ」。それは、春一番に食べる菜っ葉であり、長い冬がようやく終わり自然がいよいよ動き出すきざしでもある。重い雪に耐えた鬼首菜は甘味を増していて、その甘さはひときわやさしくやわらかな春の到来を感じさせるものだったのかもしれない。春一番に山の動物たちが新芽を求めるように、栄養を蓄え続けてきた冬のからだを浄化して整え直す効能もあったのだろう。
鬼首菜は順調に育って、9月には青々とした葉をつけ、11月に入ったころには霜が降りたという朝の畑の写真が送られてきた。畑一面の緑や赤紫のふさふさと茂った葉っぱが霜で白くふちどられていて、何という美しさ!そろそろ冬到来という季節なのに、強く豊かに葉を伸ばすこの青菜が豪雪地帯の鬼首でつくられてきたわけもわかるような気がする。
11月末、久しぶりに訪ねると、ほら食べてみてと大きなポリ袋にどさっと入った鬼首菜を渡され驚いた。こんなに大きな青菜だったとは。丈は60センチほどで、生育がよければ1メートルほどにもなるという。葉の茎はしっかりと固く葉も薄くはない。カブの部分は小さいもののたくさんの髭がからみつくように伸びていた。確かにこの上部の葉を支えるにはカブだって強くなければ持たない。八百屋の店先に並ぶ食べやすく扱いやすい青菜ばかり見ている私の想像を越えていた。
地元の人が一番に押す「ふすべ漬け」にトライする。「ふすべる」とは「ゆがく」という意味で、カブの部分も含め適当な長さに切ってさっと湯通ししたあと、3パーセントくらいの塩でもんでいただく即席漬けだ。鮮やかな緑の青菜漬けを口に含むと、確かに鼻に抜ける辛みがたっておいしい。歯ごたえもかなりある。でも数日おくと、色はあっという間に抜けて茶褐色になってしまった。
加工の試みに先立って、鬼首菜を研究してきたという高橋信典先生(宮城県農業短期大学名誉教授)の講演会を開いた。20数年前、鬼首出身の学生からこの青菜のことを教わり卒論を指導しているうちに自分も病みつきになって、仙台の自宅でもプランターで鬼首菜を育てているというおもしろい人である。先生によれば、他の地域で栽培してもこの辛みは出ないし、辛みはワサビやカラシと同じシニグリンという成分を含んでいるという。
もう一つ、興味深い指摘があった。鬼首菜は山形からこの地に入ったのではないかというのだ。山形にはいろいろなカブの系統が点在しているのだという。あらためて地図を開いてみると鬼首の西は山形県最上町に接していて、県境には標高1261メートルの禿岳(かむろだけ)がそびえたっている。だが、その南には標高796メートルの花立峠(はなだてとうげ)があって、断崖絶壁をぬって折り畳むような悪路が通っている。先生は、行商人がこの道を通りかなりの数行き来していたはずだと推理するのだ。
12月21日。積雪なった鬼首の公民館で鬼首菜の試食会を開いた。ふすべ漬けのほか、醤油漬け、塩をきつくした保存漬けなど数種類を来た人たちに食べてもらった。だれもが辛みがおいしい、と感想をのべてくれた。40歳代では鬼首に暮らしてきた人たちでさえ、食べた経験があまりないこともわかった。
窓の外には、白い油絵の具を分厚く塗ったような禿岳が神々しい姿で光輝いている。あの山の近く、いまでも冬期間はとざされる細い道を誰かの背に背負われて、けし粒ほどの小さな種が運ばれてきたのだろうか。そして、それはいったいいつ頃のことなのだろう。
この先、食べ方の工夫の試みは続くのだけれど、ルーツをさかのぼるような、辛みが何ともいいと答える笑みに迫るようなものにしていきたいと思う。成果はまた新たな機会に。