仙台ネイティブのつぶやき(59)床から起き上がる

西大立目祥子

 新年明けて2日、母が転倒し救急車を呼ぶ事態になった。高齢者の転倒は半分が室内、というけれど、母の転倒も寝室のベッド脇、しかも私の目の前でのことだった。朝、ベッドを整えていた私の横にトイレから戻ってきて、あぁっと思ったときは床にバタン! パジャマの裾をじぶんで踏んだようだ。
 床に尻もちを着いたら、母はもう自力では起き上がれない。私一人の力では立ち上がらせることができず、すぐ前に暮らす義妹を呼んできて2人で何とかベッドに引き上げた。そして、大したことはないだろうとそのまま寝かせ、私はのんきに新年の初売りに出かけてしまった。

 11時ころだったろうか。お雑煮を整えて、起きたらと声をかけ上体を起こしかけると「痛い、痛い」と訴える。無理に誘導すると、認知症の母は事態が飲み込めず怒り出す。だましだましリビングまでそろそろと歩かせて椅子に座らせ、まずは食事をとらせた。

 つかまり立ちくらいはなんとかできるのだけれど、歩かせようとすると悲鳴のような声を上げる。もしやこれは「大腿骨骨折」なのでは? ひやりとした。高齢者は布団の上で転んでも骨を折る、すぐに手術、そして入院…最悪の事態がつぎつぎと思い浮かぶ。調べると、車で10分ほどの急患センターは整形外科もあるようだ。でもいったいどうやって車に乗せたらいいんだろう。2、3歩の歩行がやっとやっとなのに。それは、無理。そう考えて119番に電話することに決めた。でもお正月だしなぁ。そうも思って「あのー、サイレン鳴らさないできていただくわけには?」と恐る恐る聞くと、「それはできません」と一蹴。

 運び込まれた病院での検査の結果、幸い骨折もヒビもないことが判明して、胸をなで下ろした。いま冷静な頭で考えると92歳の事故としては、かなり稀有なことかもしれない。
 しかし、介護は看護に近いものとなり、当初1週間ほどは施設に預けることもできず過酷な毎日だった。寝かせてばかりでは筋力の低下が心配で日中は起こしたいのだけれど、歩行が困難だから、2メートルおきくらいに椅子を並べ、あそこまで、次にあそこまでと寝室からリビングまで歩かせる。最初は頑張る母も痛みに耐えかねて怒り出す。結局、車椅子をレンタルし
室内も車椅子で移動。一日中、座らせたままにする日が続いた。
 事故前は、達者とはいえないまでもあちこち動き回っていたのに、いっこうに歩こうとはしない。立ち上がることはしても歩かせようとすると「痛い」と股関節を押さえる。骨折もヒビもないというのに、何が起きているんだろう。不安が募った。

 私たちは意識もせずに骨と筋肉を動かして動きまわっているけれど、自力歩行が困難になった母を前にしてひとつひとつの動作を考えると、相当複雑なことをやっていることに気づく。そもそも母はなぜ床から自力で起き上がれないのか?
 床に仰向けになったところから体の起こし方を考えると、まず右か左に大きな寝返りのように向きを変えないといけない。背筋、腹筋など大きな筋肉の力がいるし、肘を立てて上体を起こし首を持ち上げる筋力も必要だ。そして、腹ばいになったところで、今度は膝を立て這う姿勢になって、つぎに右足か左足を前に出し踏ん張らなければならない。立ち上がるためには、大腿四頭筋、太ももの裏側のハムストリング、お尻の大臀筋も欠かせない。このうちのどこかの筋肉の機能が落ちると、起き上がれなくなるのだろう。母の場合は、どこの筋肉力が不足しているのか。それとも柔らかさに欠けているのか。

 2週間たっても、歩けない状態は続いた。車椅子にはしっかりと座っていられるし、立ち上がることもできる。しかし歩行になると、とたんにダメ。あれこれ、体の動きを考える日を送った。
 図書館で借りてきた『リハビリ体操大全集』(講談社)という本には、骨盤を立てて座っていられるかどうかが寝たきりになるかどうかの分かれ道という記述があった。確かに、背もたれなしの椅子に座るためには、腹筋も背筋も骨盤まわりの筋肉も使う。いまはすっかり寝たきりとなった叔母と3年ほど前に会ったとき、ソファによりかからせても体位を維持できなくてぐずぐずと横に倒れていってしまったことを思い起こした。もはや背骨まわりの筋力もなかったのかもしれない。母は椅子に腰掛けていられるから、寝たきりまでにはまだ猶予はあるのだろうか。

 母のようすを観察しながら、「寝たきり」ということばにもはやじぶんも無関心ではいられない。私は仕事場では椅子とテーブルだけれど、家で仕事をするときはもう20年近く、座布団に正座で通してきた。食卓で仕事をすることもあるけれど、座った方が集中力が途切れない。おへその下の丹田に力が入るからなんだろうか。背もたれは当然ないから、気づかないうちに背筋や背筋を鍛えているのかもしれない。正座は膝関節、股関節の可動域を広げることにもなるらしい。  
 以前、幸田文を主人公にしたテレビドラマを見ていたとき、文が女学校に出かける前に台所でお膳にご飯と味噌汁と漬物かなんかをのせて座敷に運び朝ごはんを食べるシーンに心動かされて、一時期、朝食をお膳で食べていたこともあった。あれも復活しようか。寝たきりを遠ざけるためにも。

 3週間が過ぎる頃から、母はときどき自分で椅子から立ち上がることが増えてきた。歩きたいのだ。歩こうとして、違和感に気づき座り直す。促さなければ立つことはなかったのに、自ら動こうとする。そのようすを見ていて「自発」ということばが浮かび、ケガの治癒の局面が変わった気がした。
 動こうとして動けないというのは、苦痛をともなうことだ。たとえば、意識のある人が寝返りを打てないというのは虐待にも近いような苦痛であるらしい。そのために、介助者は動こうとする意思を汲み取り、寝返りを打つ手助けをしなければならない、と本にあった。母も動きたくて動けず苦しいのだろうか。どこかいらいらした表情にそんな思いを読み取る。

 そして4週目を迎えようとする1月末、お泊りサービスから帰ってきた母は、なんと!じぶんで歩いていた。92歳の復活劇。これには、私たち家族もヘルパーさんたちも舌を巻いた。いやー、すごいね、と。誰もがこのまま車椅子生活になると思っていたのだ。
 自発的な意思を受け止めるやわらかな身体があって、人は動く。意思と身体のスムーズな連携。それは見ていてよろこばしいものなのだ。赤ん坊でも高齢者でも。母の表情はどこか和んできた。復活劇の要因は何?と聞かれる。答えは一つ。よく食べること。

 この1年ほど、どこか施設に預けようかと迷い続けてきた私は、このまるでドラマのようなひと月を過ごしてようやく決心がつきつつある。私自身の介護疲れを恐れてというより、母の自発力と復元力がまだまだ信じられると思えたからだ。どんなにまわりが気をもんだとしても、ケガをしたその人に力が備わっていなければ復活はありえない。この人はまだ大丈夫。どこか新たな生活の場に連れ出しても、じぶんの世界の中でけっこう楽しく残りの数年を生きていけるのじゃないか。