友人たちもほとんど親が死んで、そろそろ自分の終活もという年齢にさしかかっているので、たまに会うと、モノを捨てるとか、結局困るのは服と本だとか、という話になる。一方で、企業を定年退職した独り身の友人は、マンションをリフォームしてホテルのようなすっきりした部屋に暮らし、荷物整理は集中してやらないとね、とあっさりいってのける。でもねー、そうはいってもねー。私はお菓子の空き箱とか空き瓶なんかも捨てられないタチである。
モノの絶対量を減らさないとあとあと大変というのはわかるけれど、ガンガン捨てまくるあの「断捨離」っていったい何なんだろうか。昨年のコロナ禍での非常事態宣言のときは、みんながモノの整理に励んだせいか、たしか仙台市のごみ焼却場も満杯となり、処理は限界といっていたような。つまり、やっているのは大量廃棄じゃないか。断捨離を提唱する女性が、衣服には旬があるので自分は1シーズンごとに服を買い換えると書いていたのを読んで、こういう考えとは絶対に相容れないなと感じた。数ヶ月で処分ということは、モノへの愛着はない、ということなのだろうか。私は衣服は皮膚の上にまとう、もっとも身体に近いものであると思っているので、それを数ヶ月でゴミにすることには根本的な疑問が湧く。モノと人の関係って、そういうものじゃないでしょ。
というわけで、ということでもないのだけれど、いま私がいちばんやりたいと思っていること、それは「繕いもの」です。このところ遠ざかっていた糸と針を使って、あれこれ直したい。親指のところに穴の空いた靴下とか、使い古して真ん中がすりきれた暖簾とか、ところどころ虫に食われてしまったセーターだとかを、直して蘇らせたいなあ。そう思っていたら、友だちがダーニング用の木製のダーニングマシュルームをプレゼントしてくれた。ダーニングというのは、ヨーロッパの伝統的な布やニットの修繕方法で、穴の補修がしやすいように裏からキノコ型の道具を当てて使う。昔、靴下の穴を繕うのに電球の玉を使ったと聞くけれど、それと同じ。こういうモノも、現代の消費者に合わせて手芸メーカーがつぎつぎと商品化している。それにも疑問は感じるが、友だちがくれたのは、知り合いの木工作家、筑前賢太さんがろくろで挽いてくれたものだ。
さっそく母の緑色の虫食いセーターにダーニングを試みた。安価なものだったけれどきれいなグリーンでウール100%だから、捨てるのは惜しい。穴にキノコを当て、手持ちのオレンジ色とクリーム色の刺繍糸を3本どりにして、ちくちくと穴をふさいだ。祖母や母がやっていた繕いは、緑の布なら緑の糸を使ってなるべく目立たないように仕上げるものだったけれど、本やネットで見るダーニングはあえて目立つ色の糸を用いて、「ここ直しましたよ」と宣言でもするように修復している。
胸元にオレンジ色のテンテン模様のアクセントができて完了。ま、いいか。なかなか楽しいので、靴下のダーニングもやってみる。こちらはグレーの地に青とオレンジの模様なので、足先の穴をこの2色の糸でふさいだ。マイナスをゼロに戻す繕いとは少し違って、きれいな色の糸を通していると、小さくても新たなものを創り出す楽しみみたいなものが感じられてくる。こうやって、直して直して。傷んだら、また刺して。手をかける中で、ちっぽけな靴下やどうということもないセーターが息を吹き返して、再び着用ができるものに蘇ってくるのは、ささやかながらよろこびだ。
東北には「ぼろ」とよばれてきた継ぎ接ぎの衣服がある。擦り切れたところに布を当てざくざく縫って、さらに傷めばまた布を重ねて縫う。もう原型がわからないほどの継ぎ接ぎだらけの夜着や野良着だ。30年くらい前、佐渡の民俗資料館で見た当て布だらけの漁民の手袋が、私のぼろとの出会いだったのだけれど、ごわごわの布の塊のようなミトンは、どこかおだやかで平穏なものと思い込んでいた女の手仕事のイメージを吹き飛ばした。
それは貧しさの中の工夫であり、生活の一つのあたりまえの行為なんだろうけれど、布の当て方とか針の刺し方の工夫に、創造のよろこびを感じる一瞬があったのではないのだろうか。
そして、ぼろは柳行李や簞笥にしまわれ、代々女たちに受け継がれ繕われてきたのだから、必要に迫られてやる仕事だったとしても、糸を通せば、誰かを思ったり、長い時間の中にじぶんを位置づけて考えるようなひとときもあったかもしれない。
ちょっとの繕いものでも、気持ちが急くときは針目は曲がりがちで、落ち着いた構えのときは針目がそろう。おもしろいものだ。10年前の大震災のとき、三陸に暮らす友人のところに雑巾を縫って持っていたことがあった。泥に汚れたところをぬぐうのには雑巾だ、という単純な思いからだったが、いま振り返ると、雑巾なんてとんと縫ったことのなかったじぶんが、なぜそんなことをしたのかわからない。それからしばらくの間、タオルを2つに切って折りたたみ、雑巾を縫う小さな習慣ができて、縫っていると気持ちが落ち着いた。津波があまりに乱暴に土地も人も奪っていったから、その対局にあるようなことを反射的にやろうとしていたのだろうか。
さて、というわけで、連休は少しでも繕いものをしたい。ついでにいうと、もう衣服に高いお金はかけたくないし、新しい服をどんどん買うこともしたくしない。からだになじんだものを大事にして、父が着ていたカーディガンとか、祖母の形見のマフラーとか、おしゃれだった母がこの先残していくだろうあでやかなツーピースなんかを、なんとか地味好みの私に合うように直せないか工夫しながら、じぶんがここにいることを確かめたいなあ。