宮城県北の温泉町、鳴子で菓子店を営む宮本武さんが電話をくれた。「あの…ご報告です」。どこか沈んだ声がこう続けた。「バードが亡くなりました」。
バードは宮本さんの愛犬で、菓子店兼カフェ「玉子屋」の看板犬。黒短毛のラブラドルレトリーバーだ。何歳だったの、と聞くと「17歳4ヶ月」というので、最近の年齢を重ね弱りかけたバードの姿を思い起こし、ほんとに頑張ったね、となぐさめるしかなかった。
あらためて17年という年月を考えると、犬としては相当な長寿だし、人にとってもその時間は人生の何分の一かを占めるほどに長い。その長い時間、大きな温かい存在を常に感じながら、ともに山を歩き、店でお客さんを出迎え、夜は一つ布団の中で眠っていたのだから、「6代目の犬だけど、こんなに落ち込んだことはなかったよ」というひと言もすんなり胸に落ちる。
私とバードの出会いは7、8年前のことだ。店でコーヒーを飲んでいると「犬、大丈夫?」と聞かれて、うなずいたら奥からやけに陽気な大きなワンコが現れた。犬というのは賢くて人がじぶんを歓迎しているか警戒しているかを、たちどころに感じ取る。この最初の出会いで認めてもらえたからか、以来、訪れると押し倒さんばかりの勢いで大歓迎を受けるようになった。店に置いてあるイベント案内のチラシをくわえて持ってきたり、リードをくわえてうろうろまわりを歩きまわり散歩に行こうと誘ったり…。
一度、せがまれていっしょに散歩に出かけたことがある。少しは町中の道がわかるので、「バード、こっち行こ」と町でいちばん大きな神社の陰の道に入り込んだら、やがて勝手知ったるわが散歩道とでもいうように、バードが先頭を切りぐんぐん歩き出した。途中すれ違う人に「あら、玉子屋のバード?またお客さんと散歩だね、いいこと」と声をかけられたから、どうもしょっちゅういろんな人と散歩に出ているらしい。
やがて、来たことのない山の中腹の広い道に出た。眼下には鳴子温泉の町が広がり、江合川の流れの向こうにはさらに青い山並みが重なっている。さらに引っ張るバードについていくと、峡谷に橋がかかり、そのほとりの一軒家の庭先につながれた一匹の柴犬がいた。微動だにせずじっとこちらを見ている。バードも立ち止まってしばらくの間、2匹は静かに見合っていた。そうか、バードはこの犬に会いにきたんだ。友だちなのか、ガールフレンドなのかはわからないけれど、人の及ばない嗅覚で仲間の存在を知り、じぶんたちの地図をつくり、ときにはこうやって近づいて互いに安否を確かめあっているのかもしれない。その姿を見て安心したのか、「帰ろ」というとバードは素直に従って来た道を戻り始めた。
1時間ほど歩いて店に戻ると、宮本さんが「遅いなぁ、いったいどこまで行ったの?」と笑っている。バードは人気者で、ときおり「バードいますか?散歩させて」と訪ねてくるお客さんがいるのだそうだ。このときとばかり、そんな鳴子に不案内な人たちを引き連れて得意気に数時間も町を歩き回っているらしい。気持ちのいい時間を過ごして戻ると、バードは満足気に床に寝そべり、お客さんはそのつややかな黒毛をなでながらゆっくりとコーヒーをすする。犬と人という種をこえて、ひとつ空間の中で打ち解け、互いを満たすような静かな時間が流れる。
鳴子温泉駅前、玉子屋のバード。店の前を車で通れば、いるかいないかを目の端で確かめ、散歩するバードを見つければ駆け寄って背中をなで、私にとってその存在は鳴子の風景の一部になっていた。
よく犬は人につき猫は家につくというけれど、犬の方がはるかに強く場所につながっていると感じる。猫はふらふらと出歩いたりするけれど、犬はもっと場所に忠実に生き、「定点」としてそこにいる。そして、無機質な建物や道路のわきで、つややかな毛並みと濡れた瞳で存在感を放ち、その場所に光を宿す。
もう1匹、忘れられないのは仙台市内、南材木町という江戸時代から続く町の材木屋の愛犬だったハナで、こちらもラブラドルレトリーバーだ。ふさふさした金色の巻毛を揺らしながら、年季の入った大きな木材倉庫のある敷地内を自由に歩きまわり、その堂々とした美しい姿はオーラさえ感じさせた。よく車の往来の激しい道路のわきで通りを眺めているのだけれど、一歩たりとも敷地から外には出ることはなく、でも撫でてくれる人がいればうれしそうに尻尾を振って応じる。通りかかって「ハナ!」と呼ぶと、お気に入りの木の切れ端をくわえて、ゆさゆさと巻毛を揺らしながら小走りに近づいてきた。おだやかだから子どもたちにも親しんで、下校する近くの小学生たちが敷地に入り込んで寝そべるハナを取り囲み楽しそうにしているのを、何度も見た。
その後、材木屋の閉店が決まり、自由に歩き回っていた大きな敷地から、小さな庭の小屋で一日を過ごすことになったハナは、わずか数ヶ月であっけなく命を閉じてしまった。環境の激しい変化が、無垢な生きものを翻弄し痛めつけたのだろう。
いまこの材木店の跡地は、がらんとした駐車場になっている。ここに明治初期から続いてきた材木店があり、そこに輝くような毛並みの犬が暮らしていたことを覚えている人はもうほとんどいないかもしれない。私自身、この駐車場とあの木造の材木倉庫は連続しているとわかっていても、あまりの風景の変わりように立ちすくむような思いにさせられる。
でも、小さく「ハナ」と、その名を口にすると、名前というものは存在の容れ物のようで、その姿が立ちあらわれるような気がする。そしてあらわれたハナは、決まって木の匂いのする使い込まれた材木倉庫の風景を背景に町にたたずんでいる。
ときおり、なつかしく思い出す人がいるように、犬はまちの風景の一部となって私たちの胸に生きた痕跡を残している。気がつくと、鳴子を歩けばバード、南材木町を歩けばハナの姿を探そうとしている。