仙台ネイティブのつぶやき(79)雪の中で食べるもの

西大立目祥子

寒い。もちろん1月下旬から2月にかけての時期が、1年でいちばん寒いとはわかっているのだけれど、1月25日の気温には驚愕した。最高気温がマイナス4.2度で、最低気温がマイナス7.5度とは。たぶん仙台で経験した中で、最も寒い冬の日だ。

母の気配が消えた家に午後遅くに行くと、前の晩洗い残した土鍋に氷が張っていた。しかも、はかなげな薄氷ではなくて、土鍋の縁の部分は3、4ミリくらいもある。流しの上の台拭きもスポンジも、かちかち。さすが、築62年、北向きの台所だけのことはある。温泉地でよく聞かされるように、こういう日に外で濡れた手ぬぐいを振り回したら棒みたいに固まるのかも。体は寒さですっかり縮こまっていたのに、なんだか愉快な心持ちになってきた。

よし!とつくるのは、浅葱(アサツキ)の酢味噌和え。この時期に出回る東北の浅葱は、まだ育っていなくて手のひらに乗るほどの長さしかない。20本くらいが束になって、長く白いひげのような根の部分がギュッと輪ゴムでしばられ袋に入っている。仙台に入ってくるのは福島産が多く、スーパーや八百屋の店先で見つけると迷わず買う。特に売れ残っていたりしたら、福島の農産物を何とかしなくちゃという気持ちになり、2束カゴにいれてしまう。

いつも青菜は買ってくると、根本を数ミリ切り落としてからボールに水を張って入れておくのだけれど、浅葱はきゅうくつそうな輪ゴムをはずして水の中に白い根をのびのびおよがせてやる。ボールをのぞくと、おやここにも氷が張っている。鍋にお湯を沸かしている間に、じっくりと浅葱を観察した。真っ白な根元はふっくらとしていて、その中から濃い緑色の芽が数センチ伸び始めている。それがいかにも、雪の中に埋もれていても、大地の蠢きというのか芽吹きの力というのか、春に向かって地面の中が動き出す予兆のように感じられてくる。寒さはいよいよこれからさらにきびしくなり、雪も本格的に降り積もってくるのだけれど。東北に暮らす人たちは、冬が長いぶん、この辛くてしゃきしゃきした走りの味で春を呼び寄せようとしているのかもしれない。

歯ごたえがなくなるから長くは茹でない。お湯が沸く間にすり鉢に味噌とお酢と砂糖を少々、すりこぎでごりごり。なめらかに整えたところで、水にとった浅葱をきっちり絞って投入。あっという間にできあがり。私にとっては真冬どまん中の春待つ味だ。
ところで、「あさぎいろ」は「浅葱色」と書く。浅葱色といったら、渡りの蝶アサギマダラのようなターコイズブルーでしょう? どうして濃い緑のアサツキと同じ字なんだろう。

そして、この季節、魚屋で探すのは真鱈の卵の「鱈の子」。「食指が動く」とよくいうけれど、食べたいもの、これだ! というものを目にすると自然に手がのびてしまうのだよなあ。コロナ禍の3年の暮らしで、触るのはひかえるようになったけれど。魚屋のケースに鮮度のよさそうな卵を見つけると、手にとってしまう。真鱈の卵は大きくて、ひと房20センチ以上はある。秋の終わり頃から出始め、年が明けると房が大きくなり、中の卵のつぶつぶも心持ち大きくなってくる。いまが食べ頃だ。

合わせるのは糸こんにゃく。アク抜きした糸こんにゃくを炒め、そこに鱈の子を投入する。どろんと大きな房の薄皮をはぎ、中の卵だけを絞り出すように菜箸でしごきながら鍋に入れるのがちょっと難しい。薄皮は軽くあぶって細かく切り猫たちにやると、よろこんで食べる。糸こんにゃくといっしょに軽く炒めたら出汁を投入して煮込み、お酒と醤油で味付けして、焦げないように注意しながら炒って水分を飛ばしていく。できあがったら、大きめの器にごはんをよそい、上に分厚く盛り、海苔を手もみしてぱらぱらとふりかけ、テーブルへ。「鱈の子どんぶり」はひと冬の間に3回、いや4回はつくる定番食だ。

冬をとおして、落花生もよく食べる。あのかさかさした手ざわりと形と色と網目模様と。落花生はかわいさにあふれている、とひそかに思っているけど、女子で落花生が好物と公言する人にあまり会ったことがない。注意して食べないと殻と赤い薄皮の破片がセーターについたり、テーブルにちらばったりするので、きれい好きの人は嫌がるかもしれない。私も家人にぶつぶついわれながら食べ続けている。

落花生好きは父譲りだ。父には食べ方の流儀?があってフタ付きの空き缶に一袋をザーッと全部あけてしまい、食べた殻も薄皮も入れたまま。まだ入っている殻を探り当てながら食べるのが楽しみのようだった。一度、殻捨てればいいのに、といったことがある。すぐに反論された。これが楽しいんだ、と。ソファに寝転がり、テーブルの空き缶に右手を突っ込んで実の入った落花生をまさぐりつつミステリーを読むのが、彼の夜の至福の時間なのであった。

年齢を重ねていくと食べものもいろんな記憶に縁取られていくんだなぁ、というのが最近の実感。鱈の子どんぶりをつくるときは、いつも母にいいつけられ鍋底が焦げないようにしゃもじでかき回していた、分厚く小さめの使い込んで少しいびつになっていた片手鍋を思い出す。ストーブの上やガスコンロでやった冬の手伝い。ふりかける海苔はあのころは、必ずコンロであぶってから使っていた。いまみたいにジップロックなんてないから、湿気ってしまっていたのか。父のこだわりは手もみであること。高校生のころだったか、私は針のように切った海苔が美しいと思っていてハサミで切っていたら、海苔は手もみ、手でちぎる方がうまい、と却下されたことがある。

母に、お父さんは浅葱の酢味噌和えが好きだったと聞かされたのは、亡くなったあと。肉食、揚げ物好きだったから驚いた。独身時代、福島県の奥只見で仕事をしていたときにお世話になった農家のおばさんが、そのうまさを教えてくれたようだ。雪の中から浅葱を掘り出してつくってくれたのかもしれない。茅葺きの農家の囲炉裏端に持ち出された大きな擂り鉢に味噌を落とし、使い込んだすりこぎをごろごろまわすおばさん。にいちゃんもやってみっかい? そんな声がかかったかもしれない。