仙台ネイティブのつぶやき(90)年取りの準備の時間に

西大立目祥子

この原稿を書きながら、おせち料理の仕込みをしている。まぁ、おせちといっても、このところ広告でよくみかける3段重にぎっちりと豪華に海老やら蟹やらきんとんが詰まっているものには程遠い。

必須は雑煮。それからお煮しめ、ナメタガレイの煮付け、仙台五目引き菜、数の子のひたし豆、なます代わりのマリネ、チキンロール、余力があれば松前とろろに豚の角煮。そして、黒豆、小豆のあんこ。
…んー、とここまで書いてきてけっこうあるじゃない、と気づく。これはやはり段取りが大切だよな。段取りが悪いから、いつもぎりぎり大晦日の夜6時に滑り込みみたいなことになるんだ。元日の朝に味わう雑煮は別にして、仙台では、こういうごちそうを、大晦日の夜に「年取り」と称して食べる。年にいっぺんの弟の家族と開く大宴会と相成って、テーブルには所狭しと皿や重箱が並ぶ。みんなで味わう料理とお酒とおしゃべりはもちろん楽しいが、私にとっては今年の黒豆は固すぎたとか、お煮しめに味のしまりがないとか、3日間の怒涛の中でつくった品々をチェックし反省し、1年の幕引きとなる。

ところで、12月は忙しい月だ。仕事の締め切りに加え、引き伸ばしにしてきた友人との約束があったり、打ち合わせが入ってきたり、親戚にお歳暮を送ったり雑事が重なって疲れがたまり、それに加えて、2週目あたりから日を追うごとに弱まっていく日差しと日没の早まりで、気分はうつに傾いていく。ここ数年は、冬至に向かって命が削られていくような気分にさえなる。今年もあと何日と、終わりの日が押し迫って来るのもなんともつらい。日の短さが底を打って、クリスマスも過ぎると、いくらか気分が上向きになっていくのだが、こういう一年で最もしんどいときに、どうしておせち料理をつくるのをやめないのか。去年は三段重を買って食べきれなかったとか、どこぞのおせち料理はおいしいとか耳にするたびに、買うくらいなら食べなくていいや、とつぶやいているじぶんがいる。

おせち料理の思い出を探ると、まっさきに思い浮かぶのは煮上がったお煮しめを重箱に詰める父の姿だ。煮炊きにもけっこう手出ししていたのかもしれない。いずれにしても、仕事納めのあと買い出しに出向き、そう乗り気でない母をなだめ、台所仕事も手助けして、大晦日の晩の食卓には煮しめとナメタガレイの煮付けと、酒の肴を整えていた。仏壇と神棚に料理を上げ、下ろしてきたら熱燗で乾杯。こういう暮らし方は、さかのぼれば、父から祖父母へ、そしてその前の代へとつながるささやかな家の文化なのだろう。考えてみれば、みんな仙台ネィティブ、宮城ネイティブである。

重箱の中の煮しめは、ゴボウ、こんにゃく、人参と一品ごとに詰められていたから、今思えば、手間暇をかけて一種類ずつ別々に煮炊きしていたのだ。
おせち料理にしか登場しない食材として印象深いのが、クワイだ。ほくほくしていてほろ苦く、一年の悲喜こもごもを口の中で味わうようなクワイ。子どもなのに、私はこの苦味が好きだった。角があるから縁起がよいとしておせちの材料になったのだろうが、父の煮るクワイに角はなく、ゆで卵に包丁を入れてギザギザに切り分けたように2つにされていた。思えば、高価なクワイを家族に2回ずつ行き渡るようにする苦肉の策か。年取りの番から食べ始め、重箱に隙間ができると詰め直すのも父なのであった。

私も一年にいっぺん、クワイを求め、煮る。子どものころのクワイはもちろん国産だったろうが、いま国産は高すぎて手が出ない。角がくずれ落ちないようにやさしく扱いながら出汁と醤油でそぉっと煮る。そして人参も一年にいっぺん、梅と桜のかたちに型で抜いて晴れ姿にする。数年前から抜いた外側もいっしょに煮ることを思いついた。間の抜けた感じが何ともいい。

煮しめは「つきじ田村」の田村隆さんのきょうの料理のレシピを参考に、黒いものと白いものを別々に煮ている。ゴボウとこんにゃくと椎茸をひとまとめに、凍み豆腐と人参と筍をひとまとめに、火の通し方が難しい里芋とクワイをいっしょに鍋に入れる。黒と白と人参の赤のコントラスト、角のあるクワイの造形、その上に緑のスナップエンドウ。味はともあれ、見た目は楽しくきれいだ。
くたびれている12月につくるのをやめないのは、料理の細部を味わいたいからなんだろう。醤油の加減、火の通し方の違いで首尾よくいったり失敗したりを毎年のように繰り返している。年齢を重ねて味の好みが変わってきたじぶんに気づき、鍋をのぞき込むときに家族の記憶がおりてきたりもする。年に一度のこの集中した料理の時間に、生きていることが凝縮されているような気さえする。
と、ここまで書いて、筍を煮るのを忘れていたことに気づく。あと3時間、急がなければ。

冬至から1週間。少し日が長くなり、少しずつ気持ちにも日が差し込んでくる。新しい年もいいことが起こるとは思えないけれど、みなさまどうぞよいお正月をお過ごしください。