仙台ネイティブのつぶやき(17)見えない人と歩く

西大立目祥子

 この6月から、縁あって、視覚障害者の人たちの街歩きガイドをすることになった。友人と交代しながら、3月までに隔月で5回。会を運営するNPO法人の担当者には、集合と解散がしやすいように始点と終点に駅やバス停を定めてもらえばどんなコースでもいいですよ、といわれる。さて、どうしよう。ガイドは何度もやってきたけれど、見えない人と歩くというのは初めてだ。

 最初の打ち合わせのとき、ひと月の活動カレンダーを見せていただいて驚いた。街歩きやウォーキングにはじまって、パソコン教室、オセロの日、将棋の日、音楽サロン、英会話サロン、アロマサロン、茶の湯倶楽部、鉛の入ったボールで行うサウンドテーブルテニス、iPadのいろは教室まである。何と意欲的なのだろう。これは、かなり積極的に動きまわる人たちのようだ。

 あれこれ考えて6月の最初の回は、宮城県美術館の庭にある彫刻めぐりをしようと思い立った。地下鉄駅に集まり、広瀬川のほとりを歩いて美術館へ。建物のまわりをぐるりとめぐるように配置された彫刻をさわりながら歩いたら、きっと楽しい。特に西側のガラス張りの壁面の前の一区画は「アリスの庭」と名づけられていて、巨大な猫やら長身の兎やらひっくり返った蛙やら、ユーモアあふれる彫刻がつぎつぎとあらわれて、だれもが心遊ばせられるから。

 暑い日だったけれど、15名ほどの白杖を携えた人たちがヘルパーさんに腕をとられ集まった。中にはお一人で参加の人もいる。まず、職員の方が本人とヘルパーさんの点呼をとる。だれが来ているのかをみんなで共有するためだ。見えないがためのこの時間で、「こんにちは!」「久しぶりです」と声がつぎつぎ上がっていくうちに空気が和んでいく。この会にくるときは、大体決まったヘルパーさんなのだそうだ。ヘルパーさんたちも街歩きを楽しみにしているらしい。

 年齢は60歳以上、ほとんどの人が中途失明だという。何人かの方に「40代から緑内障でね」「加齢黄斑症で見えなくなって」とうかがった。私と彼ら彼女らの間に明確な線引などできないことを、齢を重ねてきたいまはよくわかる。齢をとるということは、少しずつできないことが多くなっていくこで、その先に見えなくなることがくるかもしれないのだから。

 白杖の先はわずかな段差をとらえ、足取りは軽く早い。「道路わきに黄色いお花が咲いてるよ」「川の水は少ないけど、澄んでるよ」と、目の代わりを務めるヘルパーさんが、歩きながらことばをかけ続ける。「みなさん、若いころ眺めた広瀬川の風景、覚えてますか?」とたずねたら、ほとんどの人が手を上げた。その風景がよみがえるように、と願いながら、いつもより情景をていねいに説明しながら歩く。「この橋は青葉山から流れる沢の上に架かってます。7、8メートルはあるかなあ。水音が聞こえるでしょう」そう話すと、みんなが橋の上で耳を澄ました。つぎつぎと質問を投げかけてくる人もいる。

 街歩きガイドをするようになって10年ぐらい経つだろうか。何度かやるうちに、これはライブなんだ、と感じるようになった。同じコースを歩いているのに、盛り上がって楽しいときがあれば、そうじゃないときもある。参加者が、今日は見てやるぞと前のめりで歩くときは、こちらもそれに応えようと歩き方にも説明にも熱がこもる。反対に、ちょっと勉強になりそうなので来てみましたというような参加者のときは、反応が鈍くこちらも何だかつまらない。そんな経験に照らすと、今日は楽しい。みんな積極的。熱心。好奇心にあふれている。見えないぶん感じ取りましょう。一人ひとりからそんな思いが伝わってきた。

 美術館のアリスの庭は大当たりだった。F・ポテロ作の「猫」の前で、「猫といったって3メートルもあるようで、しっぽはふさふさタヌキみたいですよ、ほらさわってみて。ここが顔、出っ張ってる目玉、背中は子どもが乗れるくらい」と話すと、ヘルパーさんに手を取られブロンズにさわる人たちの顔が嬉々としてくる。「あれ、しっぽの下に突起物があるよ」と笑い出す人がいる。「◯◯さん、あっちはなんだろう鳥よ」「ウサギだ、行ってみよう」と、ヘルパーさんも積極的だ。ひっくり返った蛙にロボットが乗っているT・オタネスの「蛙とロボット」。物静かな雰囲気の年配の女性の手を取って「ここが逆さまになってるカエルのでかい口で、ほら中まで手が入りますよ」と話しかけたら、一瞬驚いた表情になり、やがてくすくす笑い始めた。

 日常の風景をこえるもの。想像力を刺激して、毎日の生活の時間に風を通してくれるもの。解散のときのみんなの晴れ晴れとしどこか意気揚々とした表情を見て、美術のそうした不思議な力を思わずにいられなかった。

 そして、障害がある(と思われている)人と健常(と思っている)人は、いっしょに過ごすのがいい、とあらためて思う。遠景で眺めて、大変だろうなと勝手に抱く想像は吹き飛んで、こちらの方がその前向き姿勢に引っ張られて元気をもらうのだから。
 
 8月は仙台駅近くの寺町で墓参り街歩きにした。「今日は墓石をなででもらいますよ」と話したら、どっと笑い声が沸き起こり、2時間、炎天下を歩いた。そして10月は、この稿でも紹介した仙台市野草園に行き、木の実を拾ってみようかなと思っている。

 さわって、耳をすます街歩き。私にとっては、少しマンネリ化し始めたガイドを見直すいいきっかけになりそうだ。見えない人と歩くことを、しばらくの間、楽しみにしよう。