もの書き(2)

スラチャイ・ジャンティマトン

荘司和子訳

中でも大物はスート、つまりプラスートだ。ペンネームは相当たくさん取り換えたとはいえ、仕事についてはもの書き以外のことはしたことがない。いちばん上手かったのはグローン、つまり詩である。

プラスートは書くのが速い。詩も即興で吟ずることができるから、イマジネーションの豊かさは言うまでもない。借りている部屋に朝から晩まで座り込んで何か書いている。ウィスキーの小瓶にソーダが1、2本、肴に煎りピーナツか酢漬け唐辛子にネーム(注:東北のソーセージ)でもあれば、ドアを閉めて誰も入れない。同時に仲間たちに、俺は書きものしてるから誰も入ってくるなよ〜などという調子でどなっている。

その頃はぼくたちそれぞれが人生と直面していたのだ。何かを探し求めていた時期で、本棚と紙の中みたいな生活をしていた。自分の書いたものが出版されるなどということは、宝くじに当たったようなものだった。自分の書いたものだろうと同居する仲間のものだろうと意味するところは同じだった。

「おまえのが載ったな〜週刊のほうに」ということは食費やシェアしている部屋代が払えることを意味した。ぼくたちは家を共同で借りていた。部屋がふたつと浴室ひとつに3人で住んでいたが、時には4人になった。

プラスートはわたしと同様、高原(注:東北地方のこと)から出てきた。県も隣だし方言も似ている、しかしわたしたちの書くものは似ていない。彼は他の誰と比べてももの書きで食べていけたひとりだった。

わたしには本を作るというもうひとつの仕事がある。もっと言えば、本を作ること以上にしていることがある。校正の仕事がないときは挿絵を描くし、作品を選んだり本の装丁を考えたりもする。本漬けの生活といったところだ。というわけで本を作れて当たり前だった。

時には1冊1バーツの本を作って大学の門前で売った。仲間のもの書きの中にはまだ学生で大学に通っている者もいた。学生や若者たちはみな共通した意識をもっていて、それは時代についてその意味を探求し熟考することだった。

ただしチェートはその手の若者ではなかった。どこから来たのだかわからない。プラスートはこの男は着たきり雀じゃないか、という。腰巻布(パーカウマー)1枚だけ持って出てきたふうである。壁に寄りかかっていたと思ったらいつのまにかぼくたちのマットレスをのっとってしまった。パーカウマーを腰に巻いて昼となく夜となく何か書き続けているのだった。(つづく)