先月、長い長い出版延期の末に日本で一番信頼性のあった植物図鑑の改訂新版が完結した。通常、新しい図鑑の刊行には長時間かかるのが当たり前で、何年もかけてひとつひとつの植物について吟味しながら原稿を執筆するので、全巻揃うのに何十年もかかるなんていうこともざらにある。しかし、今回は新しい図鑑の刊行ではなく、定評のある図鑑の「改訂新版」である。しかも、刊行の発表から最初の第1巻までの刊行にさほど時間を置かなかったことから、すでに原稿もできていて、さほど時間もかからないだろうとたかをくくっていた。ところが、蓋を開けてみると出版時期が延期に次ぐ延期でいつできあがるのか、わからない状態になっていた。まあ、とりあえずできてひと段落というところである。
ところが、問題はできてからの方が大きく、一応、10数万円もかけて全巻そろえてみたものの、どう扱うべきか? 悩んでいる。
今回の改訂の目玉は、どうも、国立科学博物館の標本庫も採用したという新しい植物の分類と配列ということらしい。ところが、まず、この「科博が採用」という全くの権威主義のような宣伝文句がいただけない。博物館が採用したということなら、大英帝国が威信をかけて全世界へプラントハンターを派遣して収集したという王立キュー植物園の標本庫は確か独自配列である。全世界の多くの種の命名登録のもとになっている基準標本はキューにあるのでこちらに揃えたというのなら面白いが、学会の新しい学説に合わせてみましたというのはあまり聞こえのいいことではない。しかも、これがさらに大きな問題をはらんでいるのならなおさらだ。
植物分類学の学者の世界は「自然分類」至上主義とでもいうような状況にある。要は遺伝子の研究をしていた学者たちが「俺たちがみつけた配列こそが正しい」という権威付けのために、今までの外見をもとに行ってきた植物の分類を否定しようということらしい。この見解によると、いままでの合弁花、離弁花や単子葉、双子葉といった分類はおろか、木本、草本と区別することも悍ましいということになるらしい。この主義を新しい「改訂新版」は徹底しようとしたために、新しい図鑑では、木も草もなんもかんもごちゃまぜに並ぶことになってしまい、全5巻、数千ページの図鑑の中にどこに何があるのかが容易にわからなくなってしまったのだ。
図鑑とは、名前のわからない植物を探すためにあるものだと思うが、残念ながらこの新しい植物図鑑はそうした用途には向いていない。この問題の出どころはどこなのか考えると、出版者が出版物の目的をよく理解せず、目的の達成から、変えることが目的にすり替わってしまっていることが理由だろう。立ち止まって身の回りを見回すと、こうした問題は意外と多いことに気づく。これはなんなんでしょうね?