温故知新?

大野晋

最近、自分も古い方に分類されるようになってきたなと感じることが増えてきた。古いことよりも新しいことに興味を感じるのが若さだとすると、それが新しさを作り出す厳選なのだろう。しかし、それだけでいいのかとも思う。

上辺の新しさは、実は誰かが通った道なのかもしれない。誰かの失敗の経験があるとすると、無理にその道を通って失敗する必要もない。歴史は古い事象を知るとともに、そこから今や未来に経験を生かすための学習だろう。ならば、そこから十分な経験を得なければならない。物事を表層の現象にとらわれて、その真相を見なければ決して歴史から学ぶことはできない。人間の教育の中で一番大切なのは歴史の年号ではなくて、事象を抽象化させて、そこから共通項を取り出す練習なのではないか?などとこの頃考えている。

新しいは未来を紡ぐ源泉になる。しかして、過去の柵を引きずる歴史の経験をふまえない方法は新しい未来を開くきっかけにはならないのではないか。そう考えると、本当の新しさの難しさが見えてくる。