電子書籍はiPadの夢を見たか

大野晋

二ヶ月ぶりです。このところ、時間が経つのがおかしくて(もしくは私の感覚がおかしくて)、とうとう先月は気が付いたときには6月になっていました。いや、驚いたこと。さて、日本でもiPadが発売になりましたね。私は店頭に並んで買うことはしなかったのですが、購入した人間のものを触ってみてよかったので、すぐに入手できそうなので注文して手に入れてしまいました。うちには、このようにして購入した電子書籍端末のなれの果てがうずたかく積み重なっていますが、いまのところ、iPadはその中の最善。やはり、最善の選択は一番新しいものなのかもしれません。早速、電子ブックアプリケーションのiBookとi文庫HDを入手して、青空文庫読書端末化しています。

実際に使ってみるといろいろと気になることはあるものの、読書端末としては大きな文字とともに秀逸なインタフェースのように思います。ようやくここまで来ましたね。特に、論文や国際規格などを持ち歩いたり、参照したり、読んだりといった機会が多い私にとって、情報端末としての利用価値が高いように思っています。現在、学会の論文やジャーナルは出版費、運送費、学会運営費の圧縮のために、軒並み電子化されてきていますから、そうした意味ではこういった端末がノートや冊子の代わりに教育機関や研究機関で使われるようになる素地はあるように思っています。むしろ、ディスプレイを立てないと使えないPCの方がそうした用途には不向きだったように思います。

一方、雑誌や新聞など、一時的な情報を提供する媒体もこうした端末向きの「情報」のように思いますね。新聞紙がなくなると古紙回収の仕事がなくなったり、箪笥の引き出しなどに新聞紙を敷くこともできなくなったりするので寂しい気もしますが、情報だけを得ることを考えると月額500円くらいでこうした端末への配信サービスに切り替えるといいように思います。ただし、販売店網の対応も含めていろいろと問題があるのか、実際のマスコミの動きが遅いように思います。(Web版に舵を切った日経あたりがもっと頑張って欲しいものです)
まあ、同様に書籍や雑誌の出版界も、一気にこうした端末になだれ込めば、書籍取次ぎや書店の反発にあうために二の足を踏んでいるような気もします。はてさて、いつになれば、適正な分野のコンテンツが電子書籍として提供されるようになるのか、なかなか見えません。

結局のところ、青空文庫が唯一、最大規模の電子書籍コンテンツの提供母体だったりするのはこの10数年なかなか変わらないわけで、今のところ、日本の電子書籍端末の雌雄は青空文庫をいかにして取り込んだか、であったりするわけです。それとともに、なかなか、日本の出版界そのものが変わらない現状があるわけで、いくら著作権論議をしたところで、実際の書店店頭の大きさは変わりませんから、人気のある新刊はそこに置かれ、あまり売れない書籍は結局、返品、絶版という流れは変わりようがありません。むしろ、書店自体が減ってきていますから、競争自体は激化しているのかもしれません。そして、売り場にない書籍の著作権も、それは経済的な価値は無に等しいわけですから、突然の映画化でもない限り、二度と読者に届く機会もなくなると言えるでしょう。まあ、そもそも、関係者の目にも触れない著作物が二次利用される機会もないわけで、返品された時点でそういう意味では経済物として書籍は一生を終えてしまうと言えるのかもしれません。著作権の経済価値は思いの外、短いものです。

これは、おそらく、青空文庫やアマゾンの電子的な本棚やショーケースでも同じことで、タイトルがたくさん並んでしまえば、多くのインディーズコンテンツはアクセスされる機会がほとんどなくなる可能性は高いですから、そこに経済的な論理が働く限り、電子書籍の価値も有限だと言えるかも知れません。残りは青空文庫のようなところの奥深くに潜伏して、好事家の目に触れる機会を待つしかないでしょう。まあ、それでも古書店の店頭で見つかるのを待つよりはずっと機会は多そうです。

そう言えば、今年の年頭に伊藤永之介の作品を公開しましたが、同作品が掲載されている書籍の市場価格がどーんと上がってしまいました。(底本に選んだ時、言いかえれば著作権がまだ有効だったときは古書市場で今の4分の1程度の価格で購入できました)そういう意味では、市場は著作権の有無ではなく、需給に敏感です。(全作品を電子化したら下がるかな?)

ということで、電子書籍の世界ではリアル書籍の世界よりも、書籍というコンテンツに関してはプロモーションが大切になるということなのでしょう。コンテンツの著作権を過剰に主張して露出機会を減らすよりも、無償と有償をうまく使い分けて、ファンを維持しながら増やす努力が必要なのだと思います。

故郷に文学館を建てて欲しいと懇願した現役作家がいたというニュースがありましたが、自分の文章を読んでもらえない文学館でいくら紹介してもらっても本が買えなければ読んでもらえません。それよりも、過去の代表作を青空文庫で公開して、読んでもらった方がよほど目に触れる機会が増えるように思います。あとは、実力の世界ですから、面白ければファンが増えますね。フェアユースの落とし所って、そんなところにあるようにも思えます。

さて、皆さんはこの文章をなにを使って読んでいるのでしょう?