対立は対立しか生まない

大野晋

このところ、対立に伴う争いのニュースが絶えない。人類は対立するしか能のない生き物なのかと悲しくなることもしばしばである。しかし、ちょっと待てよ、と考えてみた。

一般的に対立の先に行きつく所は決まっている。
(1)言い争いになる
(2)手が出る
(3)にらみ合いになる(冷戦)
しかし、対立の先に行きついたとして、問題が解決したと聞くことはない。

洋の東西、兄弟喧嘩から夫婦喧嘩まで、対立を生む原因は「主張の食い違い」である。普通の場合には、話せばわかることが多い。それは、相手の立場の理解不足が対立の構図を生んでいることが多いからだ。対立は、相手のことを知ることで解消することが多い。
ところが、「譲れないこと」が原因になると、お互いの主張が並行線となり、対立が争いにエスカレートする。夫婦であれば、離婚の危機ということだが、国家間になると最悪の場合、戦争が巻き起こる。その原因には「棚には上げることのできない」なにかが存在する。

多くの譲れないこととは。
(1)信じていること:信仰の理由、主義の理由
(2)自分を曲げたくないという気持ち:わがままや多数派の力学
(3)なんとなく???

ここで気づいて欲しいのは、そういう場合、対立が続くということは相手も譲りたくないと思っているということだ。全くもって、人間というものは困った存在なのだが、少し気持ちを切り替えることで打開策が見えたりしないものだろうか?

例えば
(1)双方が  :片方だけではみんながハッピーにはなれない
(2)相手のことを考えて  :自分の主張だけをするのではなく
(3)良い落としどころを探ること :世の中を探せば、結構、いい落としどころは見つかるものさ。

こんなふうに考え方を変えると、対立が少しでも実りの多い議論に変わるのではないか?と考えている。ときに、対立しているという状況になっているとき、どこかにその対立を望む勢力がいるのではないかと疑ってかかることが大切だ。世界で起きている対立の構図を見ながら、そして10年近く前のマクロスFというアニメーションを見ながら、そんなことを考えた。

青空文庫も、少し、延長反対!だけではなく、落としどころも考えてみたらいいんじゃないのかな?