音の記憶

大野晋

この原稿をテレビの第九の放送を聴きながら書いている。日本の師走に恒例のベートーヴェンの交響曲第九を聴くという(もしくは第九を演奏するという)風習は日本だけのものらしい。一説によると、オーケストラのボーナス稼ぎという話もあるし、派手やかに大編成のオーケストラに合唱を交えて終える演奏形態がなんとなく景気良かったとか。おそらく、マーラーの流行る前にできた風習だから、ベートーヴェンなんだろうけれども、マーラー以後ならおそらくマーラーの第八番が選ばれたのかもしれない。ただし、今の大ホールならいいが、昔の日比谷や紅葉坂のような小規模なホールだったら観客も入らずに大赤字だったろうから、風習として根付かなかったかもしれない。その前に、演奏者全員がホールにはいれたかどうかすらも怪しいし、両方のホールにはパイプオルガンもないときている。どう考えても、年末に千人の交響曲は根付かなかっただろう。

2013年はベルディとワグナーの生誕200年だったと放送で言っているが、私にはそれほど昨年は二人の音楽を聴いたという記憶はない。それよりも、都響がエリアフ・インバルとマーラーチクルスを昨年から始めた関係で、ずっとマーラーを聴いていたような気がしている。これほど、集中してマーラーを聴くことは今までなかったので、ようやく、マーラーの音楽が違和感なく聴けるようになってきた感じがする。そういえば、大学時代の仲間が学生オーケストラにトロンボーンで参加していて、よくマーラーを私の部屋や自分の部屋で聴いていたものだ。当時はあまり面白さがわからなかったが、今なら彼ともっと違う感想が交わせるような気がする。

面白いもので、音楽は知れば知るほどに面白く聴くことができるらしい。マーラーは得意でなかった私は、なぜか、学生時代からプロコフィエフは平気だった。ショスタコーヴィチは今一つだった(ただし、すべての交響曲をきちんと通しで聴いている)けれども、プロコフィエフはメロディアのレコードで、たくさん集めている。そういえば、洋盤レコード店も随分と少なくなった。ま、今はレコードではないのだろうけれども。

子供時代はエレキギターの音が苦手だった。それがいつ頃からか平気になった。

最初の強烈な音の記憶は、テレビの「ジャングル大帝」というアニメ番組の冒頭の音楽なのだろう。それが、富田勲の作曲だと知ったのは後年のことである。広大なジャングルの夜明けを暗示するトランペットの咆哮に、どきどきとしたものだ。

まあ、そう考えると、音楽は味覚とよく似ているのかもしれない。小さな頃は、苦いものや辛いものは苦手だけれど、年を経るにしたがってだんだんと感覚が変わり、平気になりうまいと思えるようになる。最初飲んだビールは苦いが、大人になって飲んだ暑い日のビールはとてつもなくおいしい。

とは言え、味わう機会がなければ、知ることもできない。なにか、ファンだけが一部の音楽を聴くような現代の風潮を考えると、もっと幅広い音楽を聴く機会があってよいように思う。

もうすぐ除夜の鐘が鳴る。
ここは横浜に外れの山の中だけれど、耳を澄ませば、港に停泊する船が年明けとともに発する汽笛を遠くに聴くこともできる。
ひとりひとりが音の記憶を持つためにも、静寂と機会はもっともっとあっても良いように思う年の瀬である。