システム

大野晋

おおまかに分類するとシステムの構築とその理解に関するお仕事をしている。最近、特にシステムについて考えることが多くなり、自分のことをそう思うようになってきた。

システムは実際にはモノではなく、システムとはもののミカタなのだそうだ。だから、同じものでも見方によってはシステムに見え、見る人によってはシステムに見えることはない。

もともと、生物分野の人間なので、自然の姿を見てもその中にある食物連鎖のつながりに感じたり、植物の構造が見えてきたりするが、一般の人にはそういうものは見えていないのが普通のようだ。

システムの面白いところは見る人間の見方によって、違う面が見えるということだ。例えば、更地になった土地を見ても、見る人によっては土地で暮らした思い出に見えることもあるだろうし、人によってはその土地の経済価値からお金に見えることがある。そんな見方の違いを中学生の頃に思い知ったので、随分とませた子供になっていたことだろう。

見方の違いというと、最近では音楽も聴く人間の違いによって、聴こえ方が違うということに気づかされた。まだ、ジェームズ・デプリーストが存命の頃だから、結構前になるかもしれないが、ひとつのアニメ、コミックがきっかけになって、クラシックが注目を浴びた時期があった。そこで聴いたのだけれど、子供の頃からクラシック音楽を聴いたことのない子供にはオーケストラの響きは混雑した音の塊にしか聞こえないらしいというのだ。小さなころに、親が買った世界の音楽全集?などといった名称のレコード付の本の音楽を聴きながら育った私には思いもよらなかったが、音楽の認識もひとつひとつの音を認識して、それを識別するところからアンサンブルが聴こえるようになるらしい。

ところで、私はそのシステムの複雑さに心を奪われ、最初はコンピュータのプログラムに心魅かれたのだが、その後、関係した人間関係というシステムに鞍替えをして随分と経ったことになる。なぜ、プログラムよりも人間の方がよいかというと、複雑さがコンピュータとは比べ物にならないと感じられるからのように思う。

さて、写真、絵画、音楽など、様々に散らかした領域に共通するのは、私の興味がそこにあるシステムの構造に心魅かれるということなのかもしれない。かくして、一歩ひくか、頭上2メートルからモノを見る自分が出来上がることになる。