海老名に行ったことなど

大野晋

人間ドックのあと、午後に時間ができたので最近話題になっている海老名市立中央図書館まで出かけた。なにかとお騒がせの、ツタヤを展開するCCCが指定管理者になった公立図書館の東日本一号店だ。

着いて驚くのは都会の大型書店のようなド派手なエントランスで、3階までの吹き抜けになっているらしい。その壁に本がディスプレイされており、その真ん中に雑誌や文具類が平積みされている。平積みされている雑誌類はツタヤ書店の売り物らしく、まず、入った途端にどこから図書館が始まるのかがわからない。また、1階の半分はコーヒー店になっており、館内の掲示ではどの階に持っていって飲んでも食べてもいいことになっているらしい。安いブックレットや雑誌ならまだしも、数千円、数万円もするような発行部数が数百部しかない書籍を濡らしたり、汚したりするのはまずいだろうと、まず最初に、おぼつかない足取りでコーヒーを運ぶ初老の女性の姿を見て、違和感を覚えた。

図書館を探しにほぼ全面を店舗に占領された1階から上の階に上がろうとすると、どこから上がればいいのか困ってしまう。階層移動のための手段の位置がわからないのだ。見回しているうちに吹き抜けの横に階段を見つけたのだが、ユニバーサルデザインが求められるパブリックスペースにはあり得ない状況になっているらしい。

2階、3階は図書館らしいのだけど、店舗デザインはなかなか秀逸になっていて、かっこいいと思えるようになっている。ただし、壁に沿って天井まで延びる書棚上部はどう見ても手が届く状況ではなく、そこに棚のテーマとは異なる文学全集や図鑑などの豪華本が並べられているのが、違和感を漂わせる。要は上部の本はお飾りの扱いらしい。どうしても、棚全体を見て、上部の珍しい本に興味を持つ私などにとっては、このわざとらしい演出が白々しく見える。ジャンルの異なる部屋に少年文学全集を見つけて、全部を降ろして目次を見せてくれと言おうかと思ったが今回は自重した。

ネットで有名になった不可思議な配架はずいぶんと修正されたとおぼしい感じだったけれど、図鑑が図鑑として分類されて並んでいないなど、本棚が依然としてカオス状態にあるように見えた。また、貴重書など、通常は禁貸出となるべき書籍にシールなどでマークされておらず、紛失が怖いなあと思ってみていたが、後でネット検索で禁貸出の表示が着いていたことからも、本へのマーキングなども遅れているらしい。地階の文学書のコーナーにも行ってみたけれど、以前は地下書庫として閉架式の書庫だったと思われる広い空間はここも天井までの本棚が据え付けられていた。ただし、最上段付近の棚には実物の本ではなく、背表紙だけのダミー本が置かれており、空間自体の偽物感を漂わせる。

結局のところ、海老名ツタヤ図書館は図書館の本と空間を使った書店と喫茶室であり、本は飾りものか、汚れてもいい使い捨ての消費物扱いを受けている図書館とは呼べないものらしいとの印象を受けた。

ライフスタイル分類と言い訳のように名付けられた分類にしても、おそらくは丸の内の丸善にあった松丸本舗の猿真似をしようとしたものだと感じた。ただし、松丸は松岡正剛氏の系統知に基づく推薦リストなのに対して、決して知識領域を代表するとは思えない書籍をまぜこぜにしてしまったことで、知のリンク感を演出するどころか、カオス感が充満する結果になってしっまったのだろうと推論する。まず、その前に、松丸は正当分類の棚を丸善が持っていることを前提としたインデックスであるのに対して、インデックスを持たずに書棚全体を混ぜてしまったことが間違っているのだと思う

まあ、海老名ツタヤ図書館は、結局、ハリボテなんだろうなという感慨だけが残った。海老名市民の共有資産のはずだけれど、あと5年もすればぼろぼろの書棚になっていそうな予感がする。

ところで話は変わるが、TPP基本合意のニュースは突然だった。直前の会議ではぎりぎりの時点で決裂していたので、ある意味では楽観的にみていた部分もあり、それで驚いたという面もある。

驚いたからと言うこともないのだが、先月の水牛の原稿は落としたという認識もないまま、私の中では忙しさの中に埋没していた。個人的なメール全体が見られることなく放置されていたので、TPPの青空文庫のメッセージとともに私へのメッセージは後にWebで見ることになる。

さて、基本合意を受けて、事前に伝えられていたように、著作権の保護期間は70年に延長されることが参加国の方針になった。これから、国内法制度の整備が行われることだろう。この点について、青空文庫の名前で出されたメッセージは単なる批判になることなく、非常にバランス感覚に優れたコメントだと感じた。

石川欽一の著作引き継ぎの依頼はいつものように快諾した。青空文庫の入力作業に関して、いろいろなタイプがあると思うが、私は入力できそうな作家が見つかると資料の収集と確認といった作業から始めることにしている。このため、入力の登録をする頃には、手元には多くの資料が集まることになる。だがしかし、決してこの作業はタダでも、即席でできる作業でもない。そこで、ある程度の資料が集まって、準備ができた段階で登録をすることにしている。そうは言っても、仕事が忙しいので、すぐに着手できるものではなく、リストに残しながらぽちぽちと作業を進めることにしている。まあ、世の中には私よりも作業が早い人も多いので、この時点で引継に手を挙げてくれる人がいれば喜んで引き継ぐようにしている。それもこれも、私にとって楽しい作業は、作家や著作を見つけて、それの入力を準備する段階だからかもしれない。普段、あまり目に触れることの少ない作家について、調べるのは入力するよりも知的好奇心が刺激される。

このところの報道ではいつの間にやら、TPPの基本合意を受けて青空文庫が潰れるらしい。少なくとも、20年著作権の保護期間が延びると、青空文庫には登録できる新規の著作がなくなると言われている。あまり、最近は熱心な工作員ではないが、少なくとも私にはそんなことがないことくらいは分かる。少なくとも、私の手元には入力しきれないくらいの著作権保護期限の切れた著作リストが存在するし、青空文庫のバックログだけ見ても、校正待ちのリストが長く続いている。これを片づけるだけでもかなりの時間が必要になるのだから、新しい作品が登録されなくなることはまずないだろうことが容易に想像できるだろう。すでに著作権の切れた著作物を対象に作業を進めるだけでも、最低20年は有に必要だと思う。

ここ数年、正月に新しく保護期限切れを迎える著作物の公開を行ってきているが、ある意味、活動のPRの目的が強いので新規の著者の追加がなくなったとしても本質的な問題はないだろう。常に新しい著者は追加されている。

一方、問題となるのはいわゆる孤児著作物と保護期間が20年延びることで忘れ去られる著者が増えることだと思っている。50年の現在でも、一部の有名作家以外の著者のプロフィールを調べるのは苦労することも多い。実を言うと、数年前に出版された著作物の著者でも行方不明になることがある。これが1世代は確実に超えてしまう死後70年ではどこの誰かもわからなくなり、生きているのか、死んでいるのかも不明になるケースがとても多くなることが想像できる。一部の有名著作権者の利益は守れるが、絶対的多数のそれ以外の著作権者の権利を損なうのが長期にわたる著作権保護なのである。しかも、一度連絡先の分からなくなった著者に関してはほとんどの場合、権利者の許諾が容易にとれないことから、その後、その著作権が活用されることがなくなってしまう。実は著作権法は著作権者にとっては両刃の剣となる。青空文庫の入力の調査の中で、たくさんの著者が分からなくなった著作を見るにつけ、死蔵される著作物の多さに驚いている。実は、20年延びる問題の前に、現状でも保護期間の切れる時期すら分からない著作物が多いのだ。

もちろん、映像などに利用する場合には、それ相応の経費をかけて著作権者を探すだろうが、まず、著作物の入手が難しくなっている状態では映像作家の目に留まるかどうかすら怪しいものだ。少なくとも、著作がすでに商業ベースに乗らなくなっている著者については、映像などの権利は留保した上で、著作の配信権などを解除することができないか?と考えている。

いま、多くの著者の著作物は人の目に触れる機会もない状態に置かれている。たとえ文学館で取り上げられたとしても、その文学館で紹介されている著作自体が流通どころか、通常の図書館でも入手できないケースも多く、文学館の目的が著者の本の出版だということもあるそうだ。一方で、インターネットの普及は管理されない多くの無償著作物を生み続けている。TPPの締結による著作権の見直しが新しい時代の著作権のあり方に生かされることを望んでいる。

さて、海老名のツタヤ図書館で、実は私は三島由紀夫もその師匠の川端康成も棚で見つけることができなかった。全国にツタヤ図書館が広がると、意外に早く、三島も川端も忘れ去られる日がやってくるのかもしれないな、と思いながら、その日の帰路についたのだった。