気づいたらそこは池袋だった

大野晋

今年の夏はとにかく暑い! 朝までは赤坂のサントリーホールに出かけなければと思っていたのだが、ふと夕方会社から外に出た途端にぽっと消え去り、気が付けば池袋にいた。しかも、料理屋で注文をした後に気づき、場所の違いに愕然とする。とにもかくにも、急いで食事を終え、赤坂へとタクシーに飛び乗った。近い将来、こんな話は忘却のかなたに消え去るのかもしれないが、暑かった夏の一事件として記録しておきたいと思う。

プログラムはサントリーホールが企画した現代音楽もののコンサート。「しもた屋」の杉山さんが都響を指揮をする。実は私は現代音楽っぽい曲も嫌いではない。これは、絵画でも同じで、抽象画や抽象的な表現をした写真も結構楽しんでしまうのが常だ。この夜のプログラムも非常に楽しく、杉山さんのちょっと指揮台の上で足をクロス気味にお立ちになり、ダンスをするような足運びを面白く拝見させていただいた。

しかし、現代音楽となると聴衆が少ないのが難点で、この日も非常に観客席はストレスの少ない状況。要は、客と客との間隔が開いた空席の目立つ状況だった。まあ、このような感じになるのは、もちろん、指揮者のせいでも、演奏者のせいでも、作曲者のせいでもなく、聴衆がなかなか現代音楽になじまないせいなのだが、そろそろこのような形式の曲も半世紀以上経つのだから、慣れてもいいのではないか? と思うがなかなかにハードルは高いらしい。

実はこのような話は特定のコンサートだけの問題ではなく、普通のオーケストラの定期公演でも同じようなことが生じており、文化庁からの支援はこういった演奏機会の少ない現代曲を取り上げると受けられるが、逆にこういった作品を頻繁に取り上げると観客が入らずに入場料収入は減収になるといった具合で、ただでさえ厳しいオーケストラの台所を悩ませることになっているらしい。
 ところで、現代音楽になじむにはどうすればいいだろうか? ま。あまり難しいことを考えずに、じっくりと、何回も聴いて慣れることだろうと思っている。なので、コンサート機会が少ないということは、客の耳になじむ機会がないという二重苦を抱え込んでいることになる。ならば、耳になじむように無料や安価なコンサートで取り上げればいいのかもしれないけれど、そうすると某音楽著作権団体が演奏料をよこせと、演奏機会を増やすのと反対の圧力をかけるだろうから、この世界はやりにくい。でも、本当に耳になじむと、結構、楽しいのですよ。

ところで、現代音楽はとにかく新しい音楽のような印象があるかもしれないですが、古典派やロマン派とは違う音の動き方はどこか、チャント(グレゴリオ聖歌)に通じる部分や日本の雅楽などの伝統の民族音楽に通じるものがあると思っているので、それほど、難しいものでもないと思う。むしろ、津軽三味線や地方の太鼓の方がより現代音楽的なように思えてならない。

そういえば、先週末、参加した(というか、仕掛け人でもありましたが)セミナーで、講演者の方が視点の転換や問題の再認識にはどのようなトレーニングが必要なのか、といった話をしていましたが、音の循環や変奏などが複雑に入り組む音楽を聴いたり演奏したりすることはひとつのトレーニング手法だろうと思っている。こんなことを考えながら、今、危機を迎えているオーケストラ運営に、文化として、人間社会としての存在意義を見出したりもしている。

とかく、文字や知識、暗記といった左脳ばかりが取り上げられる現代社会だが、その実、芸術などの右脳の活用が大切だし、そのためには情操教育、音楽や絵画といった活動も不可欠なのだろう。それで思い出したが、優秀なプログラマや数学者にはなぜか、左利きが多く、珠算経験者も少なくない。右脳の発達が柔軟なモデリングを行うことにプラスに働いているのだと私は推察している。

もし、あなたやあなたの子供を優秀な設計者や計画者に育てたかったら、塾にばかり通わせずに、ピアノや珠算、習字などに通わせた方がいいだろう。しかもざまざまな音楽を聴かせ、絵画になじませることをお勧めしたい。少なくても音楽や絵画といった芸術は人生を豊かにすることだけは確かだ。

そういえば、芸術の秋が来る。