しもた屋之噺(105)

杉山洋一

今朝、時差ぼけで朝早く目が覚めたので、久しぶりにエスプレッソマシーンで淹れた濃いコーヒーと一緒にクッキーを齧りながら、コンピュータの前に坐りました。

一ヶ月ぶりにミラノへ戻ると、夕暮れはすっかり秋の気配に包まれており、拙宅の庭は無残に荒果てています。こう書くと、ペンペン草が生えているような、雰囲気がある朽ちるさまを思い描かれそうですが、実際のところは、自分より少し背が低いだけ、1メートル半はあろうかという、青青として立派な雑草に覆われた生命感溢れる茂みが広がっていて、畏れをなすというのか、手をこまねくばかりです。尤も、このさまを見る限り一月間、雨は充分に降っていたようですから、からからに乾いて辛い思いをさせたのではないと救われた心地もします。原稿を書き送ったら、まず隆々と繫茂する雑草を引き抜いてから、練習に出掛けなければならないでしょう。

今回三軒茶屋にいた時は、目の前の小学校の校庭で、今時分から朝のラジオ体操が始まります。夜になると夏祭りや盆踊り大会なども催されるので休み中でも賑々しく、近所から和やかに親子が集う様子からは、日本滞在中に聞いた幼児虐待、不明高齢者や孤独死など、地域のコミュニケーション不足による問題など嘘のようで、現在の日本社会の表と裏を垣間見る気がしました。

今回暫く息子を伊豆熱川の義父母に預けていて、暫く熱川の隣町の山の上にある保育園にも通い、皆と一緒に伊豆稲取のお祭りに参加してから東京に戻りました。毎日捕ってくるカブトムシやクワガタに餌をやり、海の上で打上げられる立派な花火大会を眺め、朝夕保育園への途すがら出会う野生の鹿や猿に驚いたりしながら、少しの間に逞しく頼もしくなったのには驚いたし、義父母や周りの人たちにすっかり頼ってしまいましたが、彼が夏休みらしい充実した時間を過ごせたのは、何より嬉しいことです。

お祭りのとき出かけた伊豆稲取漁港で、湯河原で網元をしていた祖父や、夏になるとバケツ一杯の磯蟹がとれた、その昔の船着場を思い出しました。眼前に茫々と広がる相模湾も、湯河原と稲取は多少離れていて表情も違うけれども、祖父が眠る湯河原の山の上から見える濃い蒼色で、同じ匂いがしました。

子守ついでに家人について静岡に出掛けた折には、畳張りの昔ながらの旅館に泊まり、小学校の遠足で訪れた東照宮のロープウェイに乗り、新設された猛獣館にシロクマを訪ねた日本平の動物園を日がな一日カキ氷片手にのんびり周ったのは、イタリアでは動物虐待問題で動物園が厳しく制限されているからでもあります。息子が三軒茶屋に戻ると、一時的に通う桜新町のインターの幼稚園との送迎を家人と分担しつつ、空いた時間は目の前の演奏会の譜読みで精一杯で、作曲まで手が回らないまま、果たしてミラノに戻ってきてしまい、今後どうやりくりすればよいのか途方に暮れています。

演奏会のリハーサルが始まった途端知った、古くからの友人の逮捕に、はからずも涙が溢れました。自分でもどうして泣くのか分からなかったし、知ったところで相手も当惑するだけに違いありませんが、リハーサルや演奏会の曲間、控室の灯りを暗くして一人考えていたのは、友人が今頃どうしているだろうかということでした。

演奏会の翌日、ミラノに戻る前日のこと、既に結婚して久しい家人と互いの家族が集まり、代々木八幡でささやかな結婚式を挙げてきました。無宗教なので当初挙式など考えたこともありませんでしたが、5年経ったら何かする約束は前からしてあったので良い機会はないかと考えていて、3歳の頃から通った篠崎先生の家の隣にある八幡さまを思い出したのです。境内のお寺には最初にヴァイオリンを習った篠崎先生のお母さまのお墓もあり、レッスンの前後境内で遊んだりさらったりした親しみのある場所という一方的な理由でしたが、イタリアで友人が近所の教会で挙げる式を思わせる素朴で温かいものになりました。

煩いほどの蝉しぐれのなか、杯を酌み交わしている間も近所の参拝客が目の前でかしわ手を打ってお参りしていたり、興味深そうに上がり込んで覗きこんでいたりと東京にいるのを忘れてしまう長閑さで、家人の艶やかな和服姿や息子の凛々しい羽織袴とも相まって、珍しく家族揃って落着いた時間が過ごせたのは貴重な機会だったと思います。

と、詰まらない雑感をつらつら書いているうち夜もすっかり明けてしまいました。目の前の酷い庭を片付けないことには練習にも出掛けられませんし、明るくなって気がつくと、暑気にやられたのか目の前に哀れな椋鳥が斃れていて、穴を掘って埋めてやろうと思います。もう一杯エスプレッソコーヒーを淹れたら、煩い蚊を覚悟して庭に下りることにいたします。

(8月29日ミラノにて)