歓喜の歌

大野晋

今年も歳末がやってきた。
私のところにも何枚かの第九のお誘いが来て、いやおうにも師走モードになっていく。元来、あまり、第九には縁がなかったが、ここ数年は演奏会に行くようになった。ベートーヴェンの書いた、独唱と合唱付のこのオーケストラ曲はアジアの端っこのこの多少、落ち込みやすい国の人々にはなにか、心に触れるものがあるようだ。

第九で思い出したが、つい最近私が学生時代に聞いたことのあるホグウッドのベートーヴェンの交響曲全集を入手して、聴く機会があった。あのときは、古楽器の響きになにかおかしいものを感じたものだが、最近はピリオド奏法や古い形態のティンパニーでの演奏が多いせいか、なんとなく、今っぽく聴こえていたのが変な感じがした。そう、もう30年も昔の話なのだ。

フロイデ!《友よ》とベートーヴェンは呼びかける。友よ、このような音楽ではなく、もっと歓喜に満ちた生への賛歌を奏でようではないか!

そう言えば、この間、まだ数年、命を永らえることができたという人の話を聞いた。そのときはあまり感じいることもなかったが、こうして年の瀬を実感すると、命をつなぐこと自体への感謝の念が沸いてくる。たとえ私でも、また、来年の今日を迎えられるかどうかは不確定なのだ。

いいことも、悪いことも、暗くなるようなニュースも多かった1年だったが、この1年を無事に送れて、そしてまた新しい歳を迎えることができそうな今を祝おうじゃないか。生命への賛歌として聴けば、第九をこの落ち込みやすい人々が好むというのも納得できない話じゃない。

友よ! 今日を生き、明日を迎えられそうないま、歓喜の歌を歌おうではないか!