拍手

大野晋

コンサートで拍手が難しいと感じることがある。
特に、クラシックのコンサートではさまざまなルールや習慣がありややこしい。私自身も完全に把握しているわけではないが、こんな感じで拍手をしたらどうかと提案したい。

もともと、こんな文章を書く気になった原因は、最近、切羽詰ったような拍手や他人と競争するような性急すぎる拍手を聴く機会が多かったせいだ。いつの世も、新しい方がクラシックのコンサートに来られるようになると、不思議な拍手が時たま起きる。まあ、ここでぼやいてもなくなるわけではないのだけれど、拍手は聴衆が音楽家に直接渡すことのできるメッセージなのでぜひとも大切に使いたいものだと思うのだ。

開場の拍手:音楽家がステージに出てくると拍手をおくる。このとき表現する気持ちは、「私たちはあなたの登場するのを心待ちにしていましたよ」ということになる。だから、晴れ晴れしく、しかも演奏の邪魔にならないようにするとよいだろう。オーケストラではフランチャイズ(そこの会場を演奏の基盤として定期演奏会などを行っている)の場合には登場の時の拍手をしないのだそうだ。もちろん、全員が揃った後に、コンサートマスターが一人で登場してご挨拶(一礼する)ような場合には、全員の分は省略して、コンサートマスターで代表させてもらうのだが、この場合にはフランチャイズかどうかは関係ない。一方、遠方からツアーに来たオーケストラは登場した全員に拍手をおくるのが慣習のようだ。

曲間、曲後の拍手:本来は「感動した!」「よかった!」という気持ちを表現するので、どこで拍手してもいいはずだが、実際には曲の間にまとめて拍手することになっている。ただし、演奏された曲になじみがないと拍手するタイミングが難しいが、総じて、演奏家が終わりましたよと一息入れたタイミングで拍手をすればよい。現代曲などに多い小さな曲や休止符で終わってしまう曲なども、演奏家がくれるタイミングで拍手を入れれば問題ないので、心配する必要はないだろう。初心者なら他の多くの方が拍手をするのを聴いてから拍手すればよい。

困ってしまうのが我先にと先走る拍手で、どうも初心者をちょうど卒業したくらいの方がやってしまうことが多いようだが、休止符で終わっていたり、最後の音の余韻を味わうように演奏者が工夫しているような場合にはこの類の拍手で演奏者と観客との意図が無に帰してしまうのが残念だ。どうも、テレビなどで「感動した!」と我先に拍手をするような場面に毒されているように思われるが、本当の常連は、演奏を味わった上で、演奏家自身の緊張が解けたのを見計らって拍手をするのだよ、ということをぜひテレビでも教えて欲しいと思う。

最後の拍手:演奏後、何度も演奏家を拍手で呼び出すことをカーテンコールと言う。カーテンコールは演奏を聞いた気持ちを正直に表現すればいいと思う。良かったと思ったら「良かった!」という気持ちを表せばいいのだし、わからなければ「わからなかったがご苦労さん」でもいいだろう。もちろん、「ご苦労様、でも面白くなかった」というのでもいいと思う。そのときの気持ちを正直に表すことを心掛ければよいだろう。

よく気になるのが、カーテンコールもそこそこ(というのか、演奏家や指揮者がまだ舞台の上にいるのに)で、帰り支度をして帰ってしまう方たちだ。もちろん、「良くなかった!」という意思表示のためにそうやることもある(確かに年1回かそこらは)のだろうが、どうも見ていると帰りの混雑を避けたいがためにやっているようにしか見えないときの方が圧倒的に多い。特に学生ならまだしも、分別も社会もわきまえているであろう人生のベテラン諸氏がやられているのをみると、非常に残念に思えて嘆かわしい。願わくば、そういうマナーの悪い先輩たちを若い世代が見習わないことを願いたい。

最近、見ていると舞台上で、いろいろなやり取りを見ることができるのが面白い。指揮者がはずかしそうにカーテンコールの時に下がってオーケストラを立たせて拍手を受けさせていたのを、コンサートマスターが起立させずに「あなたが受けるべきです」と指揮者を立てて見せたり、演奏中に素晴らしいパフォーマンスをした演奏者を探し出してコールに応えさせてみたりといったやり取りが繰り広げられていることも少なくない。拍手を送りながら、そういったやり取りを楽しんで欲しい。

最後に、コンサートで観客が演奏を聴いて、演奏者と一緒に参加できるのが拍手という行為である。
ぜひ、拍手もコンサートの一部として、楽しんで欲しいものだと思う。
では、お後もよろしいようで。しゃん!しゃん!