しもた屋之噺(267)

杉山洋一

最近、朝方、鳥までが餌をねだりに来ているのに気が付きました。体長20センチほどのツグミから、4センチ足らずのシジュウカラまで、餌箱にクルミを入れるのを忘れて、こちらが黙々と仕事をしていると、近くに寄ってきてはじっとこちらを観察しています。まさかと思いながらクルミを用意し始めると、そそくさと餌箱置きにしている椅子のところへ飛んでゆき、こちらが持ってゆくのを待っています。
リスにしても鳥たちにしても、いつも仕事をしている食卓から2メートルくらいのところ、窓の手すりあたりか、春になって一気に蔦の緑に覆われた土壁の上あたりに座って、こちらが気付くのを待っています。こちらが顔を向けると、決まって少し目線を外すのが、妙に人間臭くて可笑しく感じます。照れ臭そうというのか、澄まし顔というのか。まあ、こちらの考えすぎでしょうけれど。

4月某日ミラノ自宅
フェラーリのところで、家人がアルドとフランチェスコとフォーレのピアノトリオと「浄夜」を弾いた。RAIラジオのクラシック放送の司会を長く務めるオレステが、演奏前、フォーレは、時代の潮流の狭間に捨て置かれ、不当に過小評価されてきた、と話した。つまり、19世紀が終わろうとしているころ、より先進的な音楽を目指した一群から見ればフォーレの音楽は古びていたが、伝統的な音楽を守ろうとした一群からすれば、フォーレは先を進みすぎていた。イタリアに限らず、フォーレを耳にする機会の少なさを、「不当」と強調して話したのは、オレステらしく、秀逸だと思った。
フォーレの音楽のカタルシスは、自分にとっては、三善先生の音楽のそれに繋がる。中学の終わりから、高校の終わるころまで、フォーレはプーランクと同じくらいずっと聴き続けていた。考えてみれば、先生からフォーレはいいよ、と言われた記憶もないし、先生はラヴェルにより興味を持っていたはずだけれど、自分にはあまり関係なかった。フォーレの繊細と無骨の共存する歌謡性、そこに深みを与える官能性、全てが魅力的であった。
フォーレの二楽章、アルドとフランチェスコが、ああ自分は音楽をやっていて本当によかった、と倖せを噛みしめながら切々と、そして朗々と歌を紡いでいたのが印象的に残った。演奏家がそう実感しながら弾いているとき、聴衆はともにその音楽を共有できた倖せに浸っている。
演奏会が終了後、ワインとフォカッチャ、チーズを囲んで世話話。極右ともいわれるメローニ政権で、文化面でも大きく変化が出ている。RAIのラジオで話すときに、検閲があるのか、これは話すな、とか規制はあるのか、と尋ねられ、今のところオレステはそれはない、と否定したが、新聞でも盛んに取り上げられている、スカラ座の団員95パーセントが継続を希望しているフランス人のメイヤー総裁の代わりに、現政権関係者がヴェネチア・フェニーチェの総裁、イタリア人のオルトンビーナ総裁を据えようしている話に、思わず皆が色めき立つ。
イスラエルがシリア、ダマスカスのイラン公館を攻撃。将官7人死亡。

4月某日 ミラノ自宅
アンリ・シャランの和声課題も、フォーレのカタルシスにも通じる勘所があって、三善先生は、シャランがその箇所を弾くとき、教室の生徒たちが決まってうっとりするのが苦手だと書いていらした。三善先生には申し訳ないが、そのシャランの和声課題を、毎週学校で学生たちに歌わせていて、彼らも同じようにうっとりする。例のカタルシスには、国境はないのである。メシアンやディティーユ、ガロワ・モンブラン、ピェイグ・ロジェ、マルセル・ビッチュなど、さまざまな和声課題を歌わせてみたが、アンリ・シャランの人気は抜きん出ていて、結局シャランばかりを歌うことになる。三善先生が見たら苦笑するだろうと思いながら。
イスラエル、ガザ地区で人道支援活動中のワールド・セントラル・キッチンの車列を砲撃。国連の職員7人を殺害。米大統領、イスラエル首相に対し、米イスラエル政策見直しの可能性を警告。

4月某日 ミラノ自宅
山田剛史さんが大阪で演奏した「君が微笑めば」の録音が届く。聴き始めると、階下にいた家人もあがってきたが、それほど、突き抜けたような、鬼気迫る名演であった。聴いていると、当時何かに引き寄せられながら作曲した感覚が甦り、その引力を司る「何か」を、山田さんがしっかり理解していることにおどろく。書いている本人が理解できずにいたものが、すっと返附されたような、欠けていたものが、すんなり嵌り込んだ様な、不思議な心地。

4月某日 ミラノ自宅
シャリーノから興奮したショートメッセージが届く。シャリーノの住むチッタ・ディ・カステッロからほど近い、サンセポルクロ村、サンタゴスティーノ教会を飾ったピエロ・デルラ・フランチェスカの名作祭壇画は、現在はリスボン、ロンドン、ニューヨーク、アメリカなどの美術館に分断されて保管されているが、500年の時を経て、ミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館がこれらを一堂に会し、オリジナルの複翼祭壇画の姿での公開に成功したという。この展示のための祭壇は、イタロ・ロータが設計した。こればかりは見逃せないからミラノへいくつもりだが、お前も一緒にどうかね、とのこと。確かに、これを逃せば一生後悔するかもしれない。
だしぬけに、家人が「もう、少ししか一緒にいられない」と言うので、てっきり成人した息子が早晩家を出る話をしているのかと思いきや、我々夫婦の話だというのでおどろく。彼女曰く、我々はここから思いの外早く老いてゆき、気が付けば死んでいる、ということらしい。客観的な「時間」クロノスと、主観的な「刻」カイロスが、家人の裡で自由に混在している。尤も、日々大学生や演奏家と顔を合わせていれば、こちらはさほど齢をとっていないつもりでも、相手からはすっかり老け込んで見えているはずだと理解できるようになったから、こちらもまあ似たようなものである。
そんなことを思っていると、ミラノのデ・アミ―ティス通りとコッレンテ通りの交わるあたり、パルチザン抵抗広場から息子が電話をかけてきた。突然歯が痛くなり到底我慢できないが、ミラノの見本市で道が混雑していて路面電車もタクシーも通らない、自転車で迎えにきてくれ、とのこと。
仕方ないので、自転車を漕いでパルチザン抵抗広場まで迎えにゆき、迎えに来るのに20分もかかるなんて、と文句を言われつつも彼が小学校の時のように、二人乗りで家路につく。家族全員クロノスが欠如している。
在シリア・イラン大使館攻撃への報復措置として、イランがイスラエルに向けてドローン170機、ミサイル150発の大規模攻撃実施。とんでもないことになった。

4月某日 ミラノ自宅
ドバイ国際空港に到着した友人家族が、暴風雨、冠水に見舞われ大混乱、立往生したという。最初息子からその話を聞いたとき、何を言っているのか全く意味がわからなかった。イタリアでは人工降雨が要因かとも報道されているが、果たして偽情報なのか。以前から偽情報は報道されていたが、現在真偽の見極めはより困難になった。
家人曰く、人工知能が発達して似たものが簡単に作れるから、わざわざ丁寧に基本を学ぼうとする姿勢は、最近急激に薄れているらしい。コンピュータの仕組みなど知らないが、こうして日記をコンピュータに打ち込んでいるのも、煎じ詰めれば同じかもしれない。
少しずつテクノロジーが我々の能力と知能を奪ってゆき、同時に、現実が仮想に少しずつ乗っ取られて、結局は我々の脳の電気信号だけが仮想世界で生き続けるのかもしれないし、どこかの時点で仮想世界の全プロセスが破綻して、手と足を使ってすべてを作動させなければならない時代が再び訪れるかもしれない。

4月某日 ミラノ自宅
日本公演に向けシャリーノから送られ来た文章を翻訳していた。
彼はインターネットを使っていないので、ワープロ打ちの文章を階下の文房具店でスキャンし、文房具店がこちらに送ってくる。こちらがシャリーノにメールしたい時は、文具店のメールアドレスに送ればシャリーノに届けてくれる。短い内容であれば、互いの携帯電話のショートメールで済んでしまうから、新旧混在したコミュニケーション手段ともいえる。
東京公演を前に届いた山田さんからのメールに、「作品と向かいあうということは、作曲した人間と密接に関わることと知った」とあり、なるほど、今回自分も久しぶりのシャリーノの演奏にあたり、同じ経験をしているのかもしれない。
パレスチナの国連加盟決議案採決においてイギリス、スイス棄権、アメリカが拒否権行使。イスラエルはイラン中部、イスファハーンをミサイル攻撃。

4月某日 ミラノ自宅
久しぶりに家人と二人、学校へ出かける。家人は足を痛めているが、リハビリを兼ね自転車でゆくというので、ゆっくりゆっくり自転車を漕ぐ。漕ぎ始めに股関節が痛むらしいので、出来るだけ信号で止まらないよう留意しながら、のんびりと進む。
もう10年近く前、息子の左半身麻痺が恢復したばかりのころ、用水路沿いの遊歩道を二人でゆっくりサイクリングしていた頃を思い出す。一日かけアッビアーテグラッソを通り、遠くパヴィアのベッレグアルドまで足を延ばしたことも何度もあった。
春先、咲き誇る色とりどりの花を眺め、水路に足を浸しながら二人で昼飯のパニーノを食べた。ベザーテの牧場では乳牛と戯れたものだ。将来息子の身体がどうなるか想像できなかったが、当時は彼の体力回復に必死だったから、たとえ途中で息子がへばっても、二人乗りで家まで連れて帰ればいいと思っていた。
その体力も覚悟もこちらに無くなった代わり、息子は見違えるように元気になった。彼曰く、当時を思いだそうとしても何も覚えていないという。まるで記憶がそこだけ抜けて落ちているように感じるらしい。階下で彼が変ホ長調の平均律を練習している音がきこえる。

4月某日 ミラノ自宅
ロー見本市駅から家人と連れ立ってトリノ行き急行に乗って一時間ほど、サンティアに着く。カミッラの運転する車でサルッソーラへ向かう。サン・ニコラ教会に着くと、サラと息子はリハーサルを始めたところだった。この教会はこの街に住む信者夫婦が、3年かけて教会内部を無償で塗り直したばかりだそうで、彩り鮮やかでとても美しい。
久しぶりに聴くサラのヴァイオリンは、音も深くすっかり堂に入り見事だったし、しばらく聴かないうちに息子の音も太くなっていた。ヤナーチェクの切迫感、緊張感などに耳を傾けながら、作曲していた大戦中の世情に思いを馳せる。
帰りの列車まで時間があったので、カミッラの車でロッポロ城やヴィヴェローネ湖を訪ねた。砂鉄のような黒く厚い雲が一面を覆っていて、山間に切り込んだアオスタの谷間のあたりから、一筋黄金色の陽光が差し込む超常的な光景。

4月某日 ミラノ自宅
ミラノ市から音楽、演劇、映画、語学など、一連のミラノ市立学校に対する給付金65パーセント削減を発表し大変な騒ぎになっている。新聞でも大きく記事になり、文化相をはじめ、さまざまな関係者からミラノ市へ送られた嘆願書が、学校から毎日転送されてくる。2026年ミラノ冬季オリンピックの経費捻出が直接的な理由らしいが、当然ながらミラノ市関係者は誰も言わない。今日の夕方は、スカラ座前広場、ミラノ市庁舎前で抗議集会が開かれ、学生たちや教員が多数集まった。
ガザ地区ラファへの空爆で破壊された家の話が、イタリアの新聞で大きく取り上げられている。夫と3歳の長女は死亡。妊娠30週の妻は重症だったが、お腹の赤ん坊は生存していて緊急帝王切開で取り上げられ、その後母親は死亡。この女の嬰児は、母親と同じサブリーンと名付けられた。
円安が加速して1ドル155円後半。アメリカでウクライナへの追加軍事支援予算が成立。

4月某日 ミラノ自宅
イタリアの終戦記念日、解放記念日の休日、ミラノ中心部は10万人もの人いきれに埋め尽くされ非常に危険を孕んだ一日となった。イタリア・全パルチザン協会、ユダヤ人団体、親パレスチナ団体が同時に集会を行い、親パレスチナ団体の一部がドゥオモ広場でユダヤ人団体に暴力行為におよび、逮捕される。
イタリア・全パルチザン協会によるファシズム解放記念集会、「ユダヤ人旅団」の名を冠し中高年の参加が目立った、ダビデの星を掲げるユダヤ人団体による反シオニズム糾弾集会、サングラスに黒マスクでパレスチナ国旗を掲げ、黒づくめの若者のひしめく親パレスチナ団体によるイスラエル糾弾集会。
親パレスチナの若者たちは、ユダヤ人団体を見つけると「人殺し、ファシスト」と叫び、間もなく小競り合いに発展。
今まで見えなかった分断が、見ないで済んでいた分断が、いよいよ可視化されつつあって、ユダヤ人への偏見もさることながら、常にくすぶっていた若年層の不満が、これを契機に爆発しつつあるのかもしれない。911の頃の恐ろしさをおもいだした。
親パレスチナ参加者たちは、ユダヤ人集会に混じるウクライナ人にも難癖をつけ、「お前らもう戦いに負けたんだ。後はプーチンが片付けてくれるからよ」と罵った、との新聞の報道。
率直に告白すれば怖い。何が怖いのか実体を理解できないことが、恐怖をより増大させているのかもしれない。70年安保闘争の写真を思いだしたからなのか、それ以前のユダヤ人迫害を想起させたからか、ベトナム戦争や太平洋戦争の写真が頭を過ったからなのか、今まで一緒に音楽をやってきた友人たちの目つきが変わってゆくのでは、との不安か。

4月某日 ミラノ自宅
BBCニュースによると、2月25日ブルキナファソ北部の2村落、マリ国境より20キロのノンディン村ソロ村虐殺において、56人の子供を含む少なくとも223人を、軍事政府軍が殺害したとのヒューマンライツウォッチの発表があったそうだ。14人の生存者などの証言に基づく検証の結果だという。この報道により、BBCとVOAはブルキナファソで2週間放送停止。
政府軍はまずノルディン村について、一軒ずつ訪ねて住人に外に出るように促し、男、女、子供の3グループに分けて至近距離から銃殺したのち、続いてソロ村に到着すると、なぜイスラム聖戦主義者が来訪を我々に知らせなかったのか、お前たちも同罪だと叫び、銃撃を始めた。
Covid流行の直前、ある国際作曲コンクールで審査に関わった折、一作ブルキナファソからの応募があった。素朴な作品で、結局本選に残すことができなかったが、審査員全員とても感激した。この作曲家は、果たして本国でオーケストラを聴く機会に恵まれるのだろうか、そんな議論にもなった。
今にして、改めておもう。この作曲家において、作曲する行為とは何を意味し、外国に作品を送る意味は何があったのだろうか、と。実は特に深い意味はなかったかもしれないし、全く不自由のない生活を送っているブルキナファソ人か、案外外国に出て、良い暮らしをしているブルキナファソ人かもしれない。そうであってほしい。

4月某日 ミラノ自宅
家人がミラノの日本領事館にパスポート申請に出かけたところ、初めてイタリア政府発行の身分証明書の提出を求められた。そんな話は30年近く住んで聞いたことがないけれど、最近始められた取り締まりだという。
イタリア政府発行の身分証明書にイタリア国籍と記載されていないか、つまり二重国籍や重婚を厳しく確認するようになったのは、なんでも、日本人でも悪いことをする人が大勢いるからだそうだ。
日本人口戦略会議が発表した2050年消滅可能性自治体には湯河原町も山北町も東伊豆町も含まれていて、信じられない。1ドル157円まで円安進行。ベネチアで日帰り観光客へ5ユーロの入域税試験開始。

4月某日 ミラノ自宅
町田の母が平塚に住む従兄の操さんに会いに出かけた。何十年もの間、互いに連絡先すらわからなかったから、母が操さんに会った記憶はなかったが、操さんは、母が若かったころ会ったと言っていたそうだ。数年前、茅ヶ崎に墓参の際、偶然操さん家族と出会って以来、直接の交流が続く。
互いに高齢でもあり、コロナ禍で会うことも侭ならず数年が過ぎ、漸く対面が実現した。操さんは母より数歳年上で93歳、母の父親、竹蔵さんの兄の三男坊にあたる。
母曰く、祖母テツさんは意志の強い人だったようだが、祖父の作次郎さんは、旧姓を山田といい、三橋銀蔵さんの娘テツさんの家に婿養子に入った。作次郎さんとテツさんは、9人兄弟の三男だった竹蔵さんをとても可愛がり、勉強の得意だった竹蔵さんを大学にまで通わせてくれた。竹蔵さんは家業の宮大工を手伝いながら早稲田に通った。当時、大学に通わせるというのは、大変なことだったんだよ、と操さんが説明してくれたそうだ。
鈴木万次郎さんとヨシさんの間に生まれた母の母親セツさんは、裕福な家庭に育ったそうだから、嫁ぐまで家事などする機会もなかったと思う。操さんはなぜかそんなことまで事細かに覚えていて、とにかく明るく聡明な方。母の生後わずか数日で竹蔵さんは病死してしまったが、操さんの両親が母を受入れる話もあった。「その頃は家が苦しかったから迎えてあげられなかったけれど、そうなっていれば、妹になっていたんだよ」。
ガザで瀕死の妊婦の胎内から取り出された嬰児サブリーン・ジューダ、5日間生存の後、死亡との報道。ガザで死んだシマ―のため、「悲しみにくれる女のように」による断章、変奏と再構築を書いたのが10年前の2014年。

4月某日 ミラノ自宅
朝9時から、学校で第二高等課程の学生たちの授業。今日は出席人数が少なくて、7人足らず。紅一点のピアノのエリエルはイスラエルからの留学生で、音楽を続けながら、スカラのバレエアカデミーも修了した俊英。彼女がトランペットのロレンツォやミケーレらと肩を組んで、笑顔で歌っているのを見ながら、これ以上世情が歪まないよう心の中で祈る。20年前2004年、バレンボイムのウルフ賞受賞スピーチの言葉を思い出しながら、平和を願う。
円安が進み、対ドル一時160円をつけた直後、一時間足らずで4円高騰。対ユーロでは一時171円に到達。ユーロ導入以来の最安値更新。アメリカでは週末にかけての親パレスチナの大学デモで275人逮捕。国際刑事裁判所、ネタニヤフ首相の逮捕準備との報道。週末モンツァの旧王宮で弾くことになった、息子のウェーバー2番ソナタを聴く。

(4月30日ミラノ自宅)