もう今年が半分以上終わったというのを、正直信じたくないという思いです。半年の間にやろうと思っていたこと、会おうと思っていた人、したいと思っていたこと、殆どがやり残してきている気がします。早すぎる日本の夕焼けの訪れを恨めしく眺めながら、今日はあと何を片付けられるのか、必死に知恵を絞ってみているところです。
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7月某日 ミラノ自宅
生徒たちが振るミヨーの演奏会を聴きに出かける。中庭に面した扉を開放していたので、リハーサル中に老若男女構わず、ふらりと入って来ては、半時間とか1時間とか、随分長い時間、ニコニコとミヨーのリハーサルを聴いて立ち去ってゆく。別に邪魔もしないので、客席が随分予定外の訪問客で埋まっていても気にならない。意外だったのは、小学生低学年くらいの子供たちが、別に親に促されたわけでもなく、嬉しそうにいつまでもミヨーの多調音楽に耳を傾けていたこと。
息子が一週間ダブリンに出かけるので、朝空港まで送ってゆくと、リナーテ空港は同じく中学生くらいの子供たちの長蛇の列。
7月某日 ミラノ自宅
息子が通うシュタイナーの整体師から、歯ぎしりで頸の後ろが固く詰まっているからと、デントゾフィー医を訪ねるよう言われる。
調べると確かに下歯が多少陥没していて、噛み合わせが悪くなっている。デントゾフィー医の勧めるままattivatoreというグミ状の歯固めを噛ませると、息子曰く、突然頭の後ろがぱっと開くような快感を感じるらしい。
そこで紹介された痩せた初老の整体師が息子の重心を治すのを眺めていて、これはどんな治療なのかと興味を覚える。マッサージでもなく、尾骶骨と頭を少し触る程度で何をやっているのか判然としないが、確かに施術後、前屈みだった重心が踵で支えられるようになった。
ちょうどこちらも先月から左肩から頸にかけて激痛で動けなくなっていたので、興味半分で彼に診て貰うことにして、日を改めて出かける。
息子も同じように言われたのだが、首から頭へ髄液を送る管が曲がっていて、流れが極端に悪くなっていると言う。本当かな、何だ同じ文句を言われるだけかと少々落胆しつつ、黙って施術を受ける。
時に深呼吸をしてみてと言われる程度で、何をしているのかさっぱり分からない。
暫くして、頭と尾骶骨を軽く触りつつ「畜生め、何だこれは」と独り言を呟くので、吃驚して「何か悪いのですか」と尋ねると、「積年の何かがあるようだ。全く通らない」と困ったように言う。
「どこかにぶつかったりした記憶は」「先ほどお話した通り、小学生の時に交通事故で10メートルくらい飛ばされたらしいですが、何処を打ったかよく分からないのです」「もしかしたら関係あるかも知れないが、どうも解せないんだ。他にはどこか打った覚えはないかね」「特には覚えていませんが」。「顎のあたりをぶつけた記憶は」「子供の頃に転んで顎から血を出しましたが」「それかなあ」。
そこまで話したとき閃くものがあって、幼い頃に母から聞いた話をふと思い出した。
自分は難産の末、吸引のせいで頸が曲がって生まれ、その後、かなりの大手術で首を真直ぐに治したこと、手術痕が頸のどこかに残っているはず、などと彼に説明すると、なるほどと言いながら、丹念に首の周りを調べ始めた。
「どうもここに手術痕らしいものがある。ちょっと触って良いかい」と彼が手を当てると、左肩を引き攣っている筋のずっと先にある、遠く懐かしいじんわり痺れるものに触れ、思わず鳥肌が立つ。子供の頃から常に薄く感じていた正体を、思いがけず目の前に引き出され、動揺とも当惑、安寧ともつかぬ、生まれて初めて感じる不思議な心地。
7月某日 ミラノ自宅
家人からメールが届いて、オリヴァー・ナッセンの訃報を知る。翌日東京のKさんからもメールが届く。
「ナッセンがなくなりましたね。A、Yには連絡したけれど訃報は出ませんでした。寂しいです」。
武満さんの最後の「Music Today」で、ロンドンシンフォニエッタとナッセンによる作曲のワークショップが催されたとき、Kさんの奥さんが通訳をしてくださって、当時英語などまるでわからなかったが、とても優しい口調でナッセンが「キューリアス」と言われたことと、「なんだかこの先が早く聴きたくなってきたよ」とMさんがそれを微笑みながら訳してくださったことを、鮮明に覚えている。
何度かナッセンの曲を演奏したことがあって、思いの外演奏がむつかしかった。音が全部聴こえて書いている作曲家の作品は、流れに任せて音を並べれるという単純な作業では終わらなかった。彼の楽譜を開くと、あの「キューリアス」が聴こえる気がした。
7月某日 三軒茶屋
ミラノから成田への機中、打楽器とピアノのための小品を書く。暫く前に読んだジェラルド・グローマーの「瞽女うた」は、音楽的視点からも社会的見地からも、大いに感銘を受けた。彼女たちのような、現在では社会的弱者と呼ばれる人々を、日本の伝統的社会がどのように扱い、或いは手を差し伸べて来たのか。この本を読む限り、健常者は弱者を助けるためでなく、むしろ民衆がもっと素朴に瞽女の音楽を心待ちにしていた場合も多かったに違いない。
少し時代を遡るし、音楽的性格も違う部分が大いに見受けられるが、聴き手が心待ちにしていた側面から、彼女たちの姿の向こうに、ふとヨーロッパ中世からルネッサンスにかけての吟遊詩人を思い出す。もちろん、宮廷に仕える吟遊詩人は多かったけれども、民衆のために歌う吟遊詩人やハーディガーディを抱えて歌う辻音楽師たちも存在した。
盲目のハーディガーディ弾きを描いた絵画は思いの外多く残っているが、フィンクボーンズ(David Vinckboons)やジョルジュ・デラ・トゥールの有名な作品を思い返しても、瞽女の社会的位置も音楽的価値も、ヨーロッパを放浪する裏ぶれた辻音楽師とは違い、誇り高き吟遊詩人に喩える方がしっくりくる。
打楽器はほぼ原曲の三味線をそのままなぞり、ピアノは榎本ふじの残した「一口松坂」の祝い唄を7回読み返しつつ、最後に原曲にたどり着く。
アリタリアの機長のアナウンス。「当機はこれより成田国際空港に向けて高度を下げて参ります。地上からの連絡によると、天候は曇り、気温は摂氏31度。ああ暑い…本当に暑い…」。
機内のイタリア人乗客たちも、機長と一緒に溜息をついている。
7月某日 三軒茶屋
酷い熱波のなかを自転車を漕いでインタビュー会場へ向かうと、最後の坂を登りきったあたりで、頭が少し朦朧とする。
楽譜を読むのは、本を読むのに似ている。演奏するということは、本の朗読に似て、意味を理解しないまま朗読しても、聴き手に意味が伝わらないのと、楽譜の音符を咀嚼しないまま演奏することも、よく似ている。
では、咀嚼して読んだからと言って、意味が本当にわかっているのか、と改めて問われると言葉に詰まるところも同じ。
読んだばかりの加藤周一の「読書術」から、役立つヒントを沢山教えてもらった。
捉えどころのない難しいものは出来るだけ簡単にして伝える。一件単純なものは、それがいかに豊かな深さを含んでいるかを伝える。
本でも楽譜でも、ともかく自分の言葉でもう一度説明できなければいけないだろう。演奏者も作品を造り上げる上で、重責を担う。
矛盾しているけれど、音楽を理解する必要などない気もする。現代音楽を理解するのは難しい、と言われるけれど、それなら我々はモーツァルトやハイドンやバッハの楽譜を理解できているのか。現代音楽は、作品を取り巻く社会背景、環境は我々の生きている世界であるから、むしろ理解し易い部分もあるかもしれない。
シューベルトを取り巻いていた社会情勢を、資料を通して知ったところで、現代社会のように、実感をもって接することは出来ないだろう。
7月某日 三軒茶屋
猛暑が続く中、玄関を開けると年の頃二十歳を少し過ぎたくらいの、あまり人相の宜しくない若い二人組が訪ねてくる。
湯沸し器の付替え工事を、マンション全体でやるのだが、お宅の確認が取れないと言う。家の者が居ないので分からないと断ると、今度は自称現場監督という25歳前後の、似た感じの男性がやって来た。
「こちらの機種の定価は31万円、それに工事費など入れ、総額35万円程度になります」。
「そうですか。先ほども申し上げたのですが、本当に申し訳ないのですけれど、家の者がおりませんもので、お話のみ承らせていただきます」。
「総額35万円なのですが、それを今回は世田谷区全体で仕事をまとめてやらせてもらっているので、25万円で結構です」。
「なるほど、素晴らしいですね。それではその旨、家の者に申し伝えます」。
「来週の工事になりますので、せめて機材だけでも至急注文したいのですが、口約束でいいのです、ここで決めてもらえませんか。ご主人は、奥さまと相談しないと決められないのですか」。
「すみません。お恥ずかしい限りですが、全くその通りでして。何しろ何も分からないものですから、すみません。名刺かなにか、ご連絡先をいただけますか」。
「仕方ないですね。この携帯電話の番号は今は使われていませんから、今手で書いたこちらの方をお使いください」と言ってから、少し後ろめたそうに、
「多分ですね、インターネットなどで調べていただくと、もっと安い値段で引受けている業者もいると思うんですが、ああいうのは、新品の機材を使わずに古い型落ち機材を使っているんです」。
「おやおや、それはいけませんね。同じ業者で人をだますようなことをされると、さぞお困りでしょうね」。
「そうなんです。あの…ただ、本当に出来るだけ早くに機材を注文しなければならないので、早くご連絡いただけますか」。
「わかりました。出来るだけ早くにいたします」。
「必ず、ご連絡いただけますか」。
「もちろんです。これほどお暑い中、わざわざご足労おかけしてすみませんでした」。
「きっと電話くださいね」。
「はいご心配なく。どうかお気をつけて」。
名刺に書いてある会社名で検索しても何も見つからず、書かれている住所は普通の分譲住宅。管理組合曰く、湯沸し器付替え工事の予定はないそうだ。
もしかして彼らも改心して仕事に打ち込んでいるのかもしれない、こんなに夏の暑い最中にやってきたのだし、それなら多少高くても彼らに頼んだらとも考えたが、残念だった。
こちらも伊達にイタリアに20年以上住んでいるわけではなく、かかる土地では狐と狸の騙し合いは日本の比ではない。
最後まで恨めしそうに電話を催促すると、女々しい上に余計疑われるから罷めた方が良いと助言したいが、却って詐欺を増長するので止しておく。
日がな一日、ブリアート族のシャーマン音楽を採譜している。本條さんの三味線とロシアとポーランドの弦楽合奏団の新曲のためで、シベリアで初演する。「杜甫二首」では陝西省の民謡を、「馬」では四川省のチベット族自治区道孚県の民謡を使った。チベットからモンゴルを越えて地図上でずっと上に辿ってゆくと、この曲を初演するクラスノヤルスクあたりにぶつかる。
民族音楽学者でもないので、聴いた印象でしかないが、ブリアートの民謡はトゥバ、それを越えたモンゴル、チベット、中国、朝鮮、場合によっては日本の民謡に通じるものを感じるが、同じブリアートのシャーマン音楽は、むしろカムチャッカ族のシャーマン音楽に近い気がする。きっとアイヌやイヌイットまで続いてゆくのだろう。国境など関係なく海を渡ってカナダまで音楽は続いてゆく。
ところで、懐かしいロシアの「メロディア」レーベルが出している「トゥバ音楽選集」は、アコーディオン伴奏がロシア的な寂しさを紡ぐが、合唱はモンゴルや中国の歌手にも通じる明るい声調の元気な歌声で、不思議な調和を織りなす。これは「イーゴリ公」などを聴いて、どこか懐かしいと感じる勘所に少し近いかもしれない。ボロディンはタタール人の血を引いているせいなのか、サンクトペテルブルク生れであっても、中央アジアの文化への共感は、他の作家たちが民族的旋律を異国趣味的に使ったのとは、一線を画す気がする。
7月某日 町田実家
6人の死刑執行とのニュース。実家の本棚に、古い小さな楽譜を見つける。
音楽の友社刊 石井真木 9楽器のための前奏と変奏 ヴァイオリンとピアノのための四つのバガテレン
表紙裏に 黒マジックでメッセージ。
杉山洋一君 このヴァイオリンとピアノの曲は、ぼくが作曲をはじめてから、第3曲目にあたる作品で、ぼくはその時25歳でした。
「オーケストラがやってきた」の洋一君の実に立派な演奏を記念して、この譜面を贈ります。がんばって下さい!
石井真木 29 Apr. ’79
自分が10歳の時に贈っていただいたもの。あれからちょうど40年が経って来年は齢五十歳。真木さんのバガテレンの倍の歳。
この世の中で二つ、恐らく真理に近いものを挙げるとすれば、一つは、時間は不可逆的に流れてゆくこと。もう一つは自分が死ぬということ。
7月某日 三軒茶屋自宅
個人的に死刑判決に違和感を覚えるのは、死刑が随分昔から廃止された国に住んでいるからであって、日本に住み続けていたら何も感じなかったかも知れない。社会常識や習慣など、そうした日常における意識の積重ね方次第で、どうにでも変化し得るのかもしれない。
日本の憲法改正が盛んに話題にのぼっていて、普段日本にいることの少ない自分が何も言えないと、黙って動向を見守るしかないなかで、ふとした切欠から溜飲が下がった。
東京オリンピックの開催に併せて、政府が都内の大学生に協力を促す発表をしたところ、学徒動員だと猛反発を買ったと言うではないか。そうであるなら、これが近隣国からの突然の軍事介入であったとしても、日本中の成人男性が我先に日本政府に身を捧げる状況だとは思えない。自衛隊に任せたいがための憲法改正かも知れないが、それでは国民として無責任な気もする。ただ長い目で見て、そちらの方向に我々の意識は流れつつあるかもしれない。
ちょうど10年前に松平頼暁さんが書いていらしたオペラ「挑発者たち」の台本は、頼暁さんご自身で書かれた。未来のどこかの国は、国民は全てよく政府によって悉く管理され、「生産性」を高めるため男女は別に暮らし、性的リビドーさえ極力抑える暮らしが求められる。
そんな日々の中で「革命分子」が周りの仲間を挑発し、新しい世界を求めようとするけれど、時既に遅し、近隣諸国から国境封鎖、軍事介入を受けミサイルが発射されてしまう。頼暁さんがどんな思いを込めて台本を書かれたか、考えるに余りあるものがある。戦争を経験した世代だから言える言葉もきっとある。
7月某日 町田実家
都内某所で父が巨大なムカデを見つけて驚いたとか。この位あったと両手で20センチほど示してくれたが、そんな大きなムカデはいないと笑い飛ばすと、確かにこのくらいだと憤慨している。ミラノの拙宅にもしばしばムカデは出没するが、ずっと小さいし益虫ではなかったかと言うと、そんなことはない、咬まれれば激痛が走ると反論する。どうもこちらが勘違いしている気がして写真で確認すると、果たしてミラノの自宅のはゲジで、毒もなく体長もムカデよりずっと小型だった。
ミラノで暮らし始めて以来、ムカデとヤスデとゲジが混乱すると思っていたが、西洋語で百足(centopiedi)は確かにムカデだが、ミラノの自宅のゲジも百足(centopiedi)と呼び、ヤスデが千足(millepiedi)だった。ギリシャ語を混ぜて千((chilopiedi)と書くと、これはどうもムカデ属全体を表すらしいので、面倒だ。
進化論は詳しくないが、世界中の人類も動物も煎じ詰めていけば、同じ穴の貉になると聞いたことがあるが、百足など眺めながらそう言うと、少し気まずい心地がする。
(7月30日 三軒茶屋にて)