しもた屋之噺(203)

杉山洋一

幼稚園から中学までミラノの現地校に通っていた息子が、突然日本語を勉強したいと言い出し日本人学校に転校して一ヶ月。朝の弁当作りにも、漸く慣れてきました。前から習いたがっていたスキエッパーティのレッスンに息子が出かけると、出抜けに二週間後の国立音楽院の入試を受けるように言われ、そのままノヴァラの国立音楽院にも入学してしまいました。自我の芽生えとともに生活に大きな変化を迎えた秋が、気が付けばもう過ぎようとしています。

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11月某日 三軒茶屋自宅
三軒茶屋の小さなホールで、篠崎功子先生と並んでマルモ・ササキさんの演奏を聴いた。3年前に書いたチェロ曲から、マルモさん自身の言葉が聴こえる。溢れるような彼女の伝えたかった言葉が楽譜に書かれた音符を通して、我々のところへ届く。
「この楽譜を勉強しながら、宝物を沢山見つけました。ありがとう」。イタリア語で届いた彼女からの便りを思い出しつつ、黙って耳をかたむける。
傍らの功子先生が「作曲家と一緒に勉強したから、今のわたしがあるの。わたしの読譜能力は、一緒に音楽をつくってきた作曲家の仲間から教えてもらったものね」と呟いた。

11月某日 三軒茶屋自宅
早起きして自転車で早稲田まで出向く。10年前に書いた「カワムラナベブタムシ」を、若林ご夫妻のお陰で、初めて聴かせていただいた。お二人の名演を前にぼんやり思い出すものがあって、それは曲の内容というより、3歳の頃の息子の姿や、アラブ人の子供たちが集う、スカラブリーニ広場の幼稚園の朝の風景のような、当時の身の回りの懐かしい風景だったりする。甘酸っぱい味わいが残るのは、意図せず浮かび上がるあの頃の息子の日常を描いたような曲調のためかもしれない。

11月某日 三軒茶屋自宅
エマニュエル・マクロン大統領が語った、国家主義は愛国心への裏切りだという意見に、心からの共感を覚える。馬齢を重ね日々自らの愛国心は実感しているけれど、愛国心から国粋を導くのには違和感を禁じ得ない。我が国の文化が素晴らしいのは、他国より秀でているからではなく、外からもたらされた素晴らしい文化が幾層にも織り込まれているからだ。
国内でさえ諍いは絶えなかったのだから、長い時間のなかで諸外国と政治的に齟齬が生じるのは止むを得ないのかもしれないが、せめて我々音楽家は、政治的対立と一線を画す立場でありたい。
純粋な愛国心ゆえはっきりと声に出しておきたい。国内で滞在する外国人に対して、同じとまでは言わなくとも、それ相応の処遇をとりなしてほしい。彼らへの対応が良化すれば、それだけ日本に還元されるものも良化すると信じる。彼らが故郷に戻ったとき、日本がどれだけ素晴らしかったか話してくれれば、より素晴らしい人材が日本に集まるにちがいない。
一時的な視点を一先ず置いて、どうか長期的に見て本当に有効な手段を講じてほしい。そして、本当に日本を愛するのならば、日本がどう見られているのか、相応の理解を深めてほしい。どう見られてもよい、という思いが国民の総意であれば仕方がないが、それならば諸国の尊敬を期待するのもやめるべきだ。愛国心とは、日本を豊かな国にしたいと願う心だと信じる。

11月某日 三軒茶屋自宅
沢井さんとすみれさんの二重奏。艶のあるビロードを纏ったような沢井さんの音と、深く身体の奥底まで沁みるような、すみれさんの音が出会う。お二人の音が聴きたくて書いたのだったな、と思い出す。沢井さんの音は、発音の直後の揺らぎと、幽遠な空間に消えてゆく余韻の雄弁さ。すみれさんの音は、発音の瞬間そのものが纏う、やさしさと自立心の雑じった薄い空気の層。そうして、何かとてつもなく遠いところまで、反響がのびつづけるのを見る。二人の間を行き来するつぶやきとともに。
まだ小学生だったが、湯河原の祖父が夏になると吉浜に開いていた海の家に、真木さんや田中賢さんが、何度か遊びにいらした。今も昔も泳ぎは苦手で、沖に浮かぶ休憩用の筏から、真木さんが、危なくないからここまでおいで、とニコニコ手招きするのを、波半ばで恨めしく眺めていた。

11月某日 三軒茶屋自宅
頼暁さんの「挑発者」を説明するのに、ブレヒトとワイルのキャバレー・オペラを思い出す。短いながら三幕から成立していて、それぞれ一曲ずつアリアが挿入され、幕終りには合唱もつく。ごく普通のオペラ形式を大真面目に踏襲しつつ、「月光の曲」やヴェルディ「マクベス」を雑じえ、早いテンポで会話をすすめて、現代社会や体制について器用に諧謔を弄する。表面的に聴きやすい旋律は、意外なほど演奏に困難を強いたりする。頼暁さんのバランス感覚のよさは、作品の素材選択にあって、徹頭徹尾、理知的に書かれる音楽の硬度を守りつつ、自在に表面の仕上がりを変化させることができる。

11月某日 三軒茶屋自宅
荒木さんと鷹栖さんと一緒に、悠治さんの「オペレーション・オイラー」を読む。意外なほど重音の羅列はよく鳴るが、指定された超高音は楽器の構造上どうやっても出ない。バルトロッツィと特殊奏法を研究したオーボエ奏者のリードが極端に薄かった可能性もあるが、今後の演奏のために、何らかの対策を立てなければならない。
「クロマモルフ」「6つの要素」「オペレーション」を悠治さんに聴いていただいてみて、思いの外長いフレージング感覚に愕くことがあって、その昔ピアノのための「クロマモルフ」や「ローザス」を聴いて、実際の楽譜の印象と違ったことを思い出す。若輩者が読んだ譜面の印象では、極小単位が積上げられ構成されているようだったのが、実際作曲者が聴いていた音の流れは反対だった。
乱暴な言い方をすれば、目の前に或る複雑な音の動きがあるとして、極小単位を積み上げる演奏方法なら、その複雑な音の動きが聴こえるように演奏するだろうし、全体のフレーズのなかにその音の動きを感じたいのであれば、あえてその複雑な動きを際立たせずに、全体の流れに沿って音をしのびこませる。
クセナキスが、悠治さんのヘルマに感銘を受けた逸話から、クセナキスも同じように音楽を捉えていたことがわかる。尤も、クセナキスの場合、独奏作品では印象は違うかもしれないが、大規模な楽器編成を扱うと、かかる傾向は如実に楽譜に顕れている。
こうした悠治さんのアドヴァイスは、「歌垣」を読むうえで、非常に役に立つ。クセナキスの「戦略」のような鬩ぎあいを想像していたので、滔々とたゆたうような流れの「歌垣」の譜面との差異に愕いた。悠治さん曰く、同じ技法をつかっても、クセナキスのように暴力的にはできなかったそうだ。
テンポやディナミークをゆらすことで、歌い掛けるというカガヒの語源に近づけるかもしれない、と助言を頂戴する。来月の演奏会では、「たまをぎ」の録音のような、大らかで土臭い祭りの音、夜松明を囲んで歌いあう男女の野太い歌声を表現してみたいが、さてできるだろうか。

11月某日 ミラノ自宅
演奏にあたってどのように楽譜を読むべきか。恣意的なルバートを極力排除し、まっさらな原典版を使って、余計な思いを籠めず演奏するのを良しとするのが、全て正しいかどうか。
われわれ演奏家は現代作品、それも身近な作曲家の作品を、もっと演奏すべきだ。彼らと一緒に曲を仕上げることで、作者の意図を実現する意味を、より深く理解すべきだ。作曲家はそれぞれ性格がまるで違うのだから、一人の作曲ではいけない。一人でも多くの作曲家と交流を深め、「作曲家の思考」という一義的な固定観念を捨てるべきだ。
実際に作曲家と付き合えば、それぞれどれほど隔たった人間であるか実感させられるに違いない。同じ作曲家でも、20年前、10年前、5年前と現在でどれだけ思考が変化し、彼の周りの環境が変化したのか、自らの20年前を思い浮かべるだけで充分だろう。
世界は、加速度的に環境は変化している気がするが、それは正確だろうか。100年前の作曲家の環境は、20年間で変化しなかったか。世界が等しく欧米式近代化を遂げているわけではないが、西欧音楽の作曲家が住む地域は、元来ごく限られた地域であって、似たような近代化を経て現在がある。そこで人間の根源的な本能に則り、生きた証を残そうとする生理、摂理の一つに作曲がある。多分それ以上でもそれ以下でもない。


(11月30日ミラノにて)