しもた屋之噺(213)

杉山洋一

ルガーノの街を訪れるのは本当に久しぶりのことでした。駅の辺りはすっかり綺麗に様変わりしていましたが、街の人の表情は相変わらず穏やかで、とても親切だったことに癒される思いがしました。ルガーノの放送響とリハーサルをして、駅の喫茶店で楽譜を広げて仕事をする傍らで、ダニエレと呼ばれるウェイターが、一人で実に手際よく采配を奮う姿に感心していると、追加のエスプレッソのお金を受取ってくれませんでした。「あなたは実に感じが良い人だ。差し支えなければ、このエスプレッソはご馳走させてくれませんか」。初対面の初老から、それも何を話したわけでもない喫茶店のウェイターから思いもかけずそんな事を言われるのは、長いイタリア生活でも初めてで、感激しながらミラノへ帰途につきました。今日はこれからコモのオルモ宮にベリオ編曲のバッハを演奏しに出かけてきます。気持ちの良い秋晴れにかこつけて、折り畳みの自転車で出かけて、コモ駅から会場まで湖畔をのんびり走ってくることにします。


9月某日 三軒茶屋自宅
朝起きてバッハの未完のフーガを弾く。左手は先月自転車で転げてから全く動かず、薬指には激痛が走るが、憑かれたようで止められない。バッハは苦手だ。現代作品やどんな音の込み合った後期ロマン派より比較を超えて複雑で、そこには叡智が詰まっているようでもあり、その範疇を突き抜け漆黒の宇宙にまで及んでいると感じることがある。よろめきながら弾いていても、思わず涙が零れる。人の心を動かすために書いた筈のない音符に、何故我々の心の襞一枚一枚をなぞるような力が生まれるのか。
「フーガ」の作法が理由ではない。バッハが学んだというカベソンのティエンㇳも大好きだが、ずっと人間的な響きがする。

9月某日 三軒茶屋自宅
表参道で吉田さんと話す。作曲コンクールの演奏に関わるとき、そこに演奏者の解釈やスタイルが介在するかどうか、という話。どの作品であれ自分が演奏すれば、自ずと自らの姿勢が反映するだろうし、音楽は作品と演奏者の相乗効果によって生まれる。演奏によって作品が大きく変化するのは、寧ろ当然だろう。
太陽のようだった野坂さんが鬼籍に入られた瞬間から、彼女の姿は歴史となり後世に残されてゆく。友人だった野坂さんの存在が、ひょいと敷居の向こうへ足を踏み入れた瞬間に、彼女の存在が百八十度変化する。ジャーナリストの性ね、彼女は少し寂しそうに笑った。

9月某日 三軒茶屋自宅
野坂さんの葬儀ミサでお目にかかれなかったので、夕方少しだけ沢井さんの顔を見に自転車を走らせる。稽古場の中国風の円卓には、数年前の九州のツアーの折に取られたお二人のスナップ写真と、颯爽と筝に向かう野坂さんの姿が表紙に冠された雑誌が置いてある。
葬儀ミサに日本で参加するのは初めてで、伊語で聴きなれた文言を日本語で耳にするのは、不思議な心地がした。同じカトリックで国によって少しずつ意味合いも違う、ヨーロッパのカトリックと日本のカトリックの意味も勿論違うのよ、と大原さんが話してくださったのを思い出す。確かに日本の葬儀ミサは、より優しく柔らかい印象を持った。
説教が終わりに近づくと、ふと我に返り溢れるように悲しみが込み上げてきて、どうしようもない。

9月某日 三軒茶屋自宅
安江さんと加藤くんが演奏してくれた小さな新作を聴き、感慨に耽る。作曲家として作品に手を施さず、素材が素のまま提示されるのだが、演奏者の感情移入がそこに深い意味を与えてくれた。オラショがOgloriosa dominaに、ひきずる錫杖が中世のカリヨンが奏でるDies iraeに変化する。演奏者はそこに歴史的コンテクストを無意識に掬いとり、演奏に反映されてゆく。とすれば、我々がrequiemを演奏し、聴くときも、それに近い化学反応の連鎖が起きる。
同じ旋律が喜劇オペラのアリアで歌われるのと、レクイエムに転用されるとしても、歌詞は挿げ替えられるにせよ、楽譜から受ける我々演奏者、聴取者の感覚(イタリア語ではpartecipazione、その状況に能動的に参加する、と表現する)は、大きく影響を受ける。

9月某日 三軒茶屋自宅
悠治さんの「般若波羅蜜多」のテープ録音。波多野さんはサンスクリットで歌っているから、般若心経の経文としては理解されないが、特に経文の終わり「即説呪日、羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦」の下りは、歌詞も短く耳で追いやすいので、日がな一日お経に浸りながら録音し、集中力と体力が困憊してきた演奏者のあいだに、得もいわれぬ有難いような不思議な雰囲気が漂う。
この作品は、半世紀前サイケデリックなアメリカで自然に生まれた産物にも思えるし、そうだとすれば、当時のアメリカ人がこれをどう演奏したのかとても興味が湧いた。初演者たちは当時同じレジデンスに滞在する仲間で、この難解な作品を必要なだけ練習が出来たと聞いて納得した。悠治さん曰く、アンサンブルの真ん中に位置する歌とハープ以外、初演者は全員男性だったので、この二人を少し前に出すのは視覚的にもとても効果的だったとのこと。

9月某日 ミラノ自宅
ミラノに戻った翌朝、ダヴィデの0歳の娘の訃報と葬式の知らせを受け、慌ててバッジョの教会に自転車で駆け付けた。教会前の花屋でティートと会い、二人で一緒に白百合の花束を作ってもらい、本当に小さな柩の傍らに手向けた。
クーポラに描かれた子羊の巨大なモザイク画を背に、神父は「亡き子をしのぶ歌」の歌詞を引用して説教した。ダヴィデは娘から皆への感謝の手紙を読み、ダヴィデの弟は、「何故彼女が、何故今、何故この運命に巡り合わねばならないのか、答えが見つからない」と慟哭した。神父は、神の神秘は時に我々の理解のずっと先にある、と応えた。野坂さんのように、長い時間をかけ築いた人生の深さが悲しみにつながることもあれば、キアラのように、その可能性を毟り取られた悲しみもある。人を失う悲しみは、本来誰でも等しく同じだけ持っている。神父の説教を聴いていて、やはり自分には近づけない、理解できないと思うのと同時に、ふと、死ぬ前までに一度は真面目に信仰を持ちたい心地になったことに、自分でも新鮮な愕きをおぼえた。思わず息子の顔が脳裏に浮かび、麻痺から快復して元気で居られる幸福を噛みしめる。

9月某日 ミラノ自宅
ベリオのバッハ未完のフーガ編曲。途方もない高密度に封じ込まれていた音符を、真空状態のオーケストラの空間に放つ。数箇所原典と違う音が選ばれているのは何故だろう。シャイーの録音を聴くと、ベリオの音符通りに弾いていて、恐らくそれは正しい姿勢だろうと思うが、シャイーがそうなら、バッハの原点通りでも演奏してもよい気がして、結局音を直して弾くことにする。元来臍が曲がってい提出、素晴らしい作品を聴いて感動すれば、少しでも自分はそこから外れなければいけないと思い、素晴らしい演奏を聴けば、少しでもそれと違う方法を試さなければいけない強迫観念に駆られる。偉業は既に為されているのだから、自分がそれを真似するのは無駄だとも思い、無意味と感じるのも、尊大に過ぎる気もするが、それを自分が超えられないと理解しているのだから仕方がないのではないか。それでも影響を受けるものは無意識に受けているはずだから、その程度に留めておいて差し支えはないだろう。

9月某日 ミラノ自宅
階下で家人がメタテーシスを練習している。放射される音は、予め規定されているのか改めて偏った音で縒られた響きがして、錯乱しているようでもあり、中心の渦を遠くに望みながら、どこか巡り巡っているように聴こえることもある。
日がな一日カセルラをひたすら読む。譜読みは相変わらず極端に遅い。その上、振ればオーケストラが合わせて弾いてくれる訓練を受けて来なかったので、自分が何某か理解したと認識できるまで、本当にともかく振ることすら出来ないから、実に始末が悪い。カセルラで言えば、細かく音を読めば読むほど、複雑に音を聴きすぎて音楽にならない。彼が調性感、和声機能感の設定に関して実に保守的で、堅固な下部構造の上に、拡大し、それぞれ別の色を持たせた素材を展開したのは、彼がこよなく愛したマーラーの手法を踏襲している。結局は、少年時代から長年培ってきたワーグナーやマーラーの音楽の上に自身の音楽を展開したのだ。フォーレのクラスでラヴェルと一緒に学んだフランス的な和声に耳を傾け過ぎていた。たかがそれだけに気が付くのため、これだけ苦労し時間がかかるわけだから、自らの能力に絶望に目を向けないようにして、そこに何かが見えてくることを信じて、ただひたすら楽譜を開く。

9月29日 ミラノにて