しもた屋之噺(225)

杉山洋一

目の前は一面深い霧です。こんな乳白色の闇夜は、今年初めてかもしれません。街灯の周りだけがぼうっと白く浮き上がって見えます。何故か今夜は対岸のアパート群から全て灯りが消えていて、霧の向こうは漆黒です。
今日の政府発表では、新感染者数31758人でICUは97人。死亡者数は297人。陽性率は14.71%まで上昇しました。ロンバルディアとピエモンテの実効再生産数Rtは2を超え、都市封鎖はしないと言い続けてきたイタリア政府が、州を跨ぐ移動の制限、州単位での都市封鎖の具体的検討に入ったと報道されています。
イタリアの音楽院は11月から始まるので、来週からの新年度を前に、学校閉鎖に怯えながら学生たちを励ましています。ただ、素人目にはこれから本格的な冬に向け、状況好転を期待できる理由は見つかりません。
都市封鎖をすれば、指揮の対面レッスンは出来なくなるでしょうが、滑り台の傾斜を緩められるかもしれません。ともかく現状は、ブレーキが壊れたまま少しずつ加速して、どこまで続くか知れない下り坂を走り始めたところです。
 
 …
 
10月某日 ミラノ自宅
北イタリア、フランスに豪雨。ヴェニスの高潮対策に長年建設を続けてきた移動式防潮堤Moseが初めて作動し、見事に市街の浸水を回避。北部イタリアで橋梁3基流失。
来年春のプログラムを考えている。マルトゥッチの交響曲第二番は、レスピーギやカセルラの世代までは、イタリアの交響作品の金字塔と広く認識されていた。
パリも一部都市封鎖になるのか。ラツィオ州、カンパニア州、マルケ州でマスクが義務化され、陸軍も出動している。イタリアの非常事態宣言は1月末まで延期となった。新感染者数2578人。死亡者数18人。
 
10月某日 ミラノ自宅
2006年から16年ぶりに「最後の夜」の大きなスコアを眺める。
2006年この曲をロサンジェルスで演奏した。そのときイタリアでも演奏したかどうか、殆ど記憶がないが、当時楽譜を勉強した跡をみると、細部に拘り過ぎていて俯瞰が足りない。
40年前の1980年、シエナで作曲されたこの作品の経緯は興味深い。シエナで毎夏開いていた作曲の講習会のため、フランコとマリゼルラは夏の間空き家になるアパートを借りて住んでいた。この年、初めて借りたアパートの書架に、出版されたばかりの伊語訳ペッソア詩集をマリゼルラが見つけたのが切っ掛けだ。
当時ペッソアは未だイタリアで殆ど知られていなかったし、このアデルフィ刊のペッソア詩集が、まとまって出版された最初の伊語訳だったと聞いた。
マリゼルラは直感的に、死をうたい、死んだ子供をうたう、ドナトーニを体現するような深い闇を纏ったこれらの詩が、きっとフランコの興味を惹くと思い、わざと目の付くところに置いておいたのだという。
ドナトーニが、これらの詩で作曲していると知ったのは、作曲が進んで随分経ってからだったそうだ。「外で、風が…」など、「最後の夜」に使われた詩の断片は、その後、彼ら二人だけの符牒となり、しばしば会話に登場するようになった。
新感染者数4458人、死亡者22人。
 
10月某日 ミラノ自宅
1月の高橋悠治作品演奏会は、合唱を使わずにプログラムを組むこととなった。西川さん曰く、東京文化会館の小ホールは舞台が狭いので、現在の状況を鑑みると合唱演奏は厳しいのだそうだ。「たまをぎ」を補完させるために時間が出来て、正直すこしほっとしている。
随分前から、悠治さんの「橋」第2番に興味を持っていた。オーボエ2本、クラリネット2本、トランペット2本に、ヴィオラ3本で、演奏時間3分40秒。一体どんな曲かと想像を膨らませていた。この作品はその昔ペータースから出版されていたが、出版契約が切れて以降、所在不明になっていた。
悠治さん曰く、演奏された形跡はないし、聴いた記憶もないそうだ。「橋」第1番のように、一つの旋律を他の楽器がなぞるような試みだったから、楽譜が見つからないなら、自分で作れば良いのでは、というお話しだった。
全世界図書館検索をすると、オランダのセラミック図書館のカタログに、この作品が記載されていて、早速連絡を取った。カタログには、この妙な楽器編成も確かに書かれていたから、間違いないと思って複写をお願いすると、送られてきたのは「橋」第1番だった。聞けば、図書館にはこれしかないと言う。
それから何年も探し続けたが、途方に暮れ、もう諦めかけていたころだった。
暑い盛り、荻窪で「般若波羅蜜多」テープパートの録音が終わり、波多野さんや小野さん、エレクトロニクスの有馬さんと駅前の喫茶店に入ったとき、この曲の話になった。
有馬さんがふとコンピュータを取り出し検索を始め、程なくして「あったよ」と顔を上げたので、一同呆気にとられた。灯台もと暗し。何故か桐朋学園図書館に保管されていた。それどころか、「橋」第3番という、悠治さんの作品リストに載っていない弦楽四重奏曲まで、桐朋の図書館で保管されていた。
「たまをぎ」が延期されたので、従来から懸案だった「フォノジェーヌ」初演実現にむけ、有馬さんに、残されているフォノジェーヌ録音から、電子音のみ抽出する大役をお願いした。
新感染者数5372人。ロンバルディア州983人、カンパニア州769人が突出している。ICU29人で死亡者28人。
 
10月某日 ミラノ自宅 
マリゼルラと久しぶりに話す。ヴェニスのビエンナーレでドナトーニ特集があって出かけた折、階段で躓き、倒れてしまったと言う。それからは、まるでオデュッセイア物語さながらだった。彼女曰くヴェニスは非常に美しい街だけれど、救急病院に行くには実に厄介な街だそうだ。何とか救急船を呼び、救急病院でレントゲンを撮り、足を少し骨折していることが分かった。
その日は丁度、ソルビアティ夫妻とラガナ夫妻が車でドナトーニの演奏会を聴きにきていたので、彼らがマリゼッラを抱きかかえて、ローマ広場から一緒に車で連れて帰ったそうだ。ラガナはマリゼルラの席をあけるため、一緒に帰るのを諦めた。ドナトーニもよい弟子を沢山持ったものだと思う。
26日のミラノ・ムジカの日に漸くギプスが外せるはずだが、演奏会を訪れるのは難しそうだ。自分に捧げられた大好きな作品だから、本当に悲しいけれど、仕方がないわね。RAIで放送されるだろうから、それを待つわ。
新感染者数5456人、ICUは30人増。死亡者数26人。
 
10月某日 ミラノ自宅
午後久しぶりに地下鉄に乗り、コマジーナに出かけた。AARからニグアルダ病院小児病棟へ贈られた寄付金で、貧しい子供たちに遠隔授業のためのタブレットが給与される。そのため、コマジーナの教会の一室で、ちょっとした授与式をひらくという。
数年ぶりにお目にかかったベルガモ―ニ先生もファッシャ先生も元気そうだったが、病院の白衣姿しか知らなかった上に、二人とも大きなマスクをかけていたので、最初一瞬誰だかわからなかった。
感染が急速に広がっているので、授与式も簡略化し、子供たちにタブレットを直接手渡すだけになった。イタリア人に交じって、アラブ系だったり、東南アジア系南米系の幼いこどもたち20人ほどが、満面の笑顔を浮かべて受け取るさまに、心を打たれた。
「みなさん、本当に生活に困っていたんです。それぞれ自分の病気だけでも大変な苦労をしているのに、その上にこの毎日ですから。タブレットが手に入ると聞いたとき、どれだけみんなが喜んだことか」。
夏まで学校では遠隔授業が続けられていたから、その間タブレットのないこの子供たちはどうしていたのかと考えると、胸が痛んだ。ここ数日の感染拡大を鑑みれば、今更ながら、彼らがタブレットを手に入れられて本当に良かったと思う。
地下鉄では、皆律儀にマスクをしているが、案外に混んでいるので、普段から乗りつけていないと少し怖い。コモ、モンツァ、ヴァレーゼ、ミラノは第三段階に入った、とニュースで話している。
サッコ病院は、今後Covid患者のみ受入れることになった。新感染者数は8804人、検査での陽性率は5.4%で、83人死亡。
 
10月某日 ミラノ自宅 
夜、息子に「減三和音」を教える。国立音楽院の楽典の試験のためだそうだが、話を聞くと、単に何が分からないのか分からずに、混乱しているように見える。
茸のパスタを作る。陽気もすっかり秋めいて気温もずいぶん下がってきたから、少し濃い味が食べたくなり、最後にほんの少しバターを加える。北の、それも寒い時期の味わい。
今でも、学生たちと食事の話題になると、北イタリアはバターなんて使うから、と中部や南部の学生は揶揄う。味に深みが出る分、素材の個性が失せるのかもしれない。とは言え、新鮮な西洋パセリとレモン汁があって、美味。
新感染者数10010人、ICU52人、死亡者数55人。新感染者数は、水曜が7332人、木曜が8804人で、第一波のピーク3月21日の6557人を超えた。死亡者数は木曜の83人からは下がっている。
ロンバルディア州は、遠隔勤務はもとより、学校でも対面授業と遠隔授業の相互仕様が推奨され、屋外での食事は18時まで、店内での食事も24時までに制限され、アマチュアのスポーツ活動も禁止になった。
 
10月某日 ミラノ自宅
朝5時半に起床し、野菜のパスタを作り、7時前、家人と二人ナポリ広場まで歩く。
レプーブリカ紙に掲載された写真。閉鎖された南部サレルノの小学校校門前で、群青色のスモッグ姿の子供が、一人、学習机と椅子を並べて席につく。10月30日までの学校閉鎖を早々と決めたカンパニア州へのささやかな抗議運動。
自転車のブレーキが磨り減ったので、交換するため馴染の自転車屋に出かける。
Covid対策として自転車使用が推奨され、伊政府が12月末日まで自転車購入代金の半額支給を決定したのは春先だったが、早晩、国中の自転車店や工場から自転車や部品が姿を消し、以来売るものがなくなって、商売にならないとこぼす。6月に注文した20台のうちの1台が、昨日漸く工場から届いたそうだ。政府の給付金も未だ支給されない。
ミラノは、何時の間にか感染が最も深刻な地域となっていて、今後学校がどうなるか分からない。新感染者数10925人。ICU67人。死亡者数47人。
 
10月某日 市立音楽院にて
昨日のイタリア新感染者数は10874人。ICUは73人。死亡者数は89人。昨日は久しぶりに三善由紀子さんと電話でお話しした。マヌエルが、「オマージュ」をフルート、ヴィオラ、ハープに編作したらどうかと相談してきたので、面食らって思わず由紀子さんにご連絡した。
阿佐ヶ谷の先生宅に通い始めたころ、入試前に先生宅で和声を宿題を解いていて、流石にお腹が空いているでしょうと饂飩を作って下さったのが忘れられない。余程美味しかったのだろう。三善家のものだから、今にして思えば、手の込んだ饂飩だったに違いない。
あれ程丁寧に教えていただいたのに、和声はまるで身につかなかった。先生に申し訳ない思い。
 
10月某日 ミラノ自宅
朝から映画音楽作曲科の学生相手に、指揮の基礎を教えにでかける。
夜会うはずだった、「最後の夜」のピアニストも、生徒がCovid陽性と判明して自宅待機となり、リハーサルに参加できない。世界中でこうした不都合が頻発しているに違いない。
陽性率はほぼ9%で、新感染者数は15199人。127人死亡。
皆が乗る長大な列車が、ブレーキが壊れたまま、緩い下り坂へ差し掛かる。
車窓の風景が突然スローモーションになり、鮮明に見えるような、壊れかかった古いヴィデオデッキの画像が突然コマ送りになって、ずっと先までコマが飛んでしまうような、春先に知ったあの恐ろしい感覚。
誰もが止めたいと願っていても止まらないのが既に判っている、ぞっとする皮膚感覚と既視感。
授業の終わりに、生徒たちから、月曜のミラノムジカ演奏会楽しみにしています、と声をかけられるが、答えに窮して狼狽。
アンサンブルも音楽祭側も、演奏会は開催する意向のようだ。これが最後になるかも知れないと思いながら、ドナトーニの「最後の夜」のリハーサルをする。
皮肉なほど、この暗澹たる毎日と釣り合った内容だと思う。帰り道、自転車を漕ぎながら、すっかり人気の失せた夜の中華街に、肌寒かったこの春を回想していた。
 
10月某日 ミラノ自宅
夜間外出禁止発令一日目。夜の帳とともに、春を思い出す静寂。既にここ数日、今後外出が禁止される23時前から、運河の向こうのアパート群の灯も、すっかり疎らになった気がする。
新入生のマルティーナよりメール。「テレビで、ロンバルディア州の高等教育機関は、今後一律遠隔授業になると報道していましたが、レッスンはどうなるのでしょう」。
昨日の新感染者数16079人、ICU66人で陽性率は9.4%。死亡者数136人。三月以来の夜間外出禁止令に、やるせない、無気力な感覚に陥る。
三月は得体のしれないCovidと想像の付かない未来への不安だったが、今回は感染症もさることながら、誰しも今後の生活への不安は抑えられない。
学校のマルチェロに、今後の指針について何某か上から連絡はあったか尋ねると、「こちらも情報は皆無だ。助けてほしい」、と痛切が返事が届いた。
ノヴァラからの帰途、息子が地下鉄車内で小競り合いを見たそうだ。鼻を露出させてマスクをしていた男を、別の乗客が咎めたのが発端だった。
ジョを迎えて「最後の夜」リハーサル。彼女はおどろくほど楽譜を読み込んである。一度通してから、丁寧に返してゆく。今晩でリハーサルも終わりかも知れないと思いつつ、ていねいに返す。
フルートのソニア曰く、彼女が教えるベルガモの音楽院のホルンの同僚は、姉と母をCovidで失くしたそうだ。ベルガモはあれだけ大変な日々を送ったので、むしろ今は安全だという。
夜になって今日の保険省の発表を見る。陽性率は1日で11%に跳ね上がり、新感染者数19143人。死亡者数は91人。酷い雨。夜、濡れそぼった道は寂しくみえる。
 
10月某日 ミラノ自宅 
朝11時より、Fabbrica del Vaporeにて「最後の夜」リハーサル。メゾソプラノのジョも、すっかりこなれてきた。彼女は実に呑み込みが早い。
昨日やり残した8曲目から始め、丁寧に問題個所を返してから、全体を通したが、実に感慨深い響きがする。アンサンブルの音量を落とすより、寧ろ歌手を少しだけ前に立たせることで、遠近感をつくる。声のパートは全体を通じてアンサンブルより弱音で書かれているが、何か明確な理由があるのだろうか。初演者を念頭に定着されたのかもしれない。
声のパートの中だけでも、また別の遠近感を描き、アンサンブルは、それと弧が振れあう形で、また別の遠近感を浮かび上がらせる。今日の練習をボーノが聴きにやってきて、しきりに感嘆していた。
「炎に包まれる最後の夜」は、「ブルーノのための二重奏」や「階段の上の小川」に匹敵するドナトーニの傑作であり、魂が震える感動的な音楽だ。
昨日までは、リハーサルが終わると、これがきっと最後の練習になるね、良いクリスマスを!などと冗談めかして挨拶を交わしていたが、今日はその雰囲気すら消失してしまった。
街の賑わいは明らかに下火になり、時間に急き立てられているような気がする。まるで巨大な波乗りをやっていて、すぐ後ろに何十メートルという巨大な波が迫ってきているような錯覚。間に合うのかという焦燥感。
カジラーギの同僚も3回PCR検査を受けて、3回とも陽性となった。先週まで室内楽を一緒にやっていたから、このままではカジラーギにも自主待機命令が出るかもしれない。
これまで、コンテ首相は経済再生のため、厳しい制限措置は控えてきたが、今晩には何某か新しい首相令が発表になり、26日発効になるという。俄かに慌ただしくなってきた。
 
追記
未だ正確な首相令は発表されていないが、テレビのニュースが、10月26日から11月24日まで禁止になる事項に、劇場、演奏会も含まれると伝えている。それが正しければ、残念ながら演奏会の実現も不可能だろう。せめて明日のリハーサルは予定通りやり、ヴィデオだけでも撮れないか、とアンサンブルに打診する。
息子は、居間に居座り、夜遅くまでパワーポイントで学習発表製作の準備をしている。「抗議活動において、暴力を容認するか否か」について。BLMや黒人解放運動の歴史など。ナポリでは封鎖反対の暴動が起きた。
ローマでは病院から溢れた救急車が列を作り、8時間待機を余儀なくされていると言う。ミラノ・ニグアルダ病院の救急受付にも、救急車が列をなして待っている。トリアージが再開されたのだろうか。スロベニアがイタリアとの国境を閉鎖したとも聞くが、実際どうなのか。
今日の陽性率は11パーセントで、ICU79人。新感染者数は19644人。
 
10月某日 ミラノ自宅
10時49分にコンテが首相令にサインした、とフマガッリから電話がかかる。アンサンブルのメンバーは、一様に消沈しているという。明日の演奏会のみならず、これから一カ月間全て中止になったのだから、当然だろう。
誰も声には出さないけれど、春と同じように、一ケ月の予定が二カ月になり、三カ月になり半年になる不安が、頭を掠める。
感染状況を鑑みて、ヴィデオ録画も日を改めて行うことになり、手持ち無沙汰な思いで一日を過ごす。姉がベルガモで救急隊員をしている映画音楽作曲科の学生が、どれだけ家族も感染に慄いて暮らしていたことや、トリアージ「生命の選択」がどれだけ辛い経験だったかなど、弁当を食べながら訥々と話してくれた。
30日にベートーヴェンの「サリエリの主題による変奏曲」を弾くはずだった息子の演奏会もなくなるかもしれない。
閉鎖されていたミラノ見本市会場のCovid専用病院が再開された。新感染者数21273人でICU80人。死亡者128人。
 
10月某日 ミラノ自宅
週明けの新感染者数が少し落着くのは日本と一緒で、17012人。ICUは76人。死亡者は141人。演奏会中止を知って、慰めのメールやメッセージ。本日のレプーブリカ紙には、文化事業閉鎖に関する記事多し。
見事な紅葉と相俟って、雨に濡れる庭の美しさが、より際立つようだ。学校から、Covidに関して新しい連絡はなし。息子が階下でヘスの「主よ人の望みと喜びを」を弾いている。
トリノでは封鎖に反対するデモで、略奪行為が起きたが、ミラノでは、ブエノスアイレス通りで、火炎瓶や紙爆弾を投げる激しいデモが繰り広げられ、見馴れた街並みに起こる信じられな光景に言葉を失う。
何のためのデモなのだろうか。救急車のサイレンが、明らかに耳につくようになった。
夜、家の前を、春と同じように無人の列車が通り過ぎてゆくのを、虚しい心地で眺める。
 
10月某日 ミラノ自宅
「今日は壮観でした。鵜の大群白鷺、青鷺までも川下の方から群れなして飛んできました。空一面白鷺が舞い、次に鵜が大群をなして来て、ちょっとびっくり。歩いている人も皆立ち止まり見上げていました。群ごとに旋回しながら川上へ向かって行きました。素晴らしい光景でした」。
母から青空一杯に広がる、見事な鳥の写真がとどく。
新感染者数は21994人。ICUは127人。221人死亡。スカラ座では、合唱18人、オーケストラ管楽器奏者3人から陽性反応。昨日はムーティがコンテ首相に向けて書いた公開書簡がコッリエーレに掲載されたが、今日はコンテ首相からムーティへの返信が、コッリエーレに載った。
夜間の外出、外食が禁止になったので、朝5時にレストランで夕食を出す、ヴェニスのレストランが話題になっている。ミラノとナポリは都市封鎖が必要との声が一層高まっている。
学校でもレッスン中、距離を保つから、とマスクを外したがる学生や演奏者もいて、気持ちはわかるが、これからは容認は許されないだろう。
感染が拡大するのは、やはり時間の問題だったのではないか。コンテ首相を糾弾する前に、我々自身の行動を糾すべきではなかったのか、そう思うのは、日本人だからか。
キアラから、最早早晩ミラノとナポリの都市封鎖は避けられないとメッセージが届く。新年早々、漸く始まる指揮の対面レッスンは中断せざるを得ないのか。
30日の息子の演奏会、中止決定。
 
10月某日 ミラノ自宅
昨日、新感染者数24991人、ICU125人、死亡者数205人で陽性率が13%へ上がって愕いていたが、今日は、新感染者数26831人、ICU115人、死亡者数217人、陽性率は13.32%まで更に上昇してしまった。
漸く学校から正式に来週より対面レッスン再開との通達を受取り、その旨学生に連絡したところ、新入生のSから、自身がつい数日前に陽性であると判明し、自主待機で2週間レッスンに来られないと返事があった。文末は、「本当に残念です。ではまたすぐにお目にかかりましょう(それが実現しますように)」。と結ばれていた。
感染者は20日間でほぼ8倍にまで跳ね上がった、と保険省が発表。ニースでテロのニュース。二週間前にイタリアに入国したばかりのチュニジア人のテロに、イタリアでも大きなショックが広がる。
 
10月某日 ミラノ自宅
新感染者数31084人、ICU95人、死亡者数は199人。陽性率は14.45%に急激に悪化した。ICUでは、生存率の高い患者を優先的に扱う「生命の選択」が始まっている。
生徒Bよりメールあり。彼のパートナーが陽性となったので、自分も「死にかけた象のように」家に引き籠らなければならないと言う。SとBのレッスンを、何とか他のレッスンと入れ替えてレッスン回数が減らないようにしたいが、今日になって、別の新入生Gからもメールが届き、漸く来週から始まる国立音楽高校の仕事が決定したが、それがレッスン時間と重複してしまうので、全て変えなければならない、どうしたらよいでしょう、と言う。
フィレンツェで首相令に反対する暴力的デモ。毎日、国内のどこかでデモが散発している。ロンバルディアは、週明けに都市封鎖を実行するか決定との発表。
 
10月某日 ミラノ自宅
映画音楽作曲科の指揮入門、最後のレッスン。科の必修授業なので、指揮者になりたくて勉強しているのではないから、教えていて沢山の発見がある。指揮者らしさとは無縁かもしれないが、表現への欲求が、指揮科の生徒よりも強い気がする。
楽譜に書いてあるからこう演奏するというスタンダードを通り越し、自分はこう表現したい、どうやったらこんな風に表現できるのか、と奇天烈な質問を次々浴びせてくる姿に、むしろ親近感すら覚える。
指揮科の生徒のように基礎から積み上げるものではないが、それぞれ自分の表現に特化しているから、必要な表現に充分応じられる技術が実践的に身についてゆく。
当初、学校からこのセミナーを頼まれたときには、簡単な振り方を教えればよいのかと高を括っていたが、実際蓋を開けてみると、思いがけなく中身の詰まったものになった。
 
今日の指揮伴にはエレオノーラも参加していた。彼女は、音楽中学校でもピアノを教えている。彼女曰く、Covidにすっかり怯える同僚も多数いて、体育の教師が、何重にも手袋をして、マスクにフェースシールドをつけて授業をしている姿は滑稽だという。
Covid以降すっかり涙もろくなった同僚も多く、学校全体が精神的にすっかり不安定になった、と肩をすくめる。
普通であれば、中学生くらいの子供たちは速い曲が大好きだし、合奏すれば速く走ってしまうものだそうだが、Covid以後子供たちは、遅くなるようになった。
それどころか、皆の顔から笑いも表情も消え、気力そのものが希薄になったと嘆く。今までなら、生徒たちは集うとすぐに動物園のように大騒ぎではしゃぐから、大声を張り上げて静かにさせなければいけなかったのに、本当に見ていられない、と声を落とした。
 
来週月曜に、政府が新しい首相令を用意しているが、火曜からミラノも都市封鎖されるとの噂が飛び交っている。
2月から8月まで、イタリアの中学は全て遠隔授業だった。
音楽中学校も遠隔レッスンを余儀なくされたが、楽器を始めたばかりの生徒にとって、遠隔レッスンは無理を強いるものだった。
ヴァイオリンでもギターでも、調弦が狂ったとしても、全くの初心者では楽器を触るのは難しい。
中学生ならチューナーは使えるかもしれないが、最初の導入は本来教師が手解きすべきものだろう。弦が切れてしまっても、半年間、弦を張替えることすら、ままならなかった。
たとえスカイプで教師が教えたとしても、調弦すら覚束ない初心者の中学生や親に弦を張らせるのは酷だろう。
今年の2月終わりから、出し抜けに学校は軒並み閉鎖になり、教師も生徒も何も準備出来ないまま、出し抜けに見ず知らずのヴァーチャル空間に放り出された。
あの時の経験から、政府は今後学校は閉鎖しないと繰返してきたけれど、ここまで状況が悪化しても、そう言い続けられるだろうか。
エレオノーラの生徒には、直接の感染者は出ていないそうだが、勤めている中学の幾つかのクラスは、クラスの一人が感染したためそれぞれ学級閉鎖になった。
そうして漸く二週間待機が解ける直前、そのうちの何人かは、家族が別の経路で感染してしまい、再び二週間の自宅待機の対象となり、ずっと学校に来られないままだと言う。ここまで蔓延すれば、Covidと関わらずに生活するのは不可能だろう。
 
今日は朝の10時から授業を始め、17時に終わった。
「これで終わりなんですか、これでお別れなんですか、お話しとかないんですか」と、学生たちが寂しそうにしているのは、これで暫く学校にも来られなくなるし、今度何時会えるかも分からないからだ。これから、生徒通しも自宅から遠隔授業のモニター越しにしか会えなくなる。
暫く雑談くらいしたかったが、Covidの制限で、一刻も早く学校を出なければならない。
音楽院の受付にいたアレッサンドラと言葉を交わす。
「来週も会えるかね」、「そうね、それが問題よね」、「じゃあ取り敢えず、メリークリスマス!」、「やめてよ、縁起でもない」。
学生たちと、校門の外で立ち話。「とにかく、元気でいてね」、「先生もどうかお元気で」、そう言って学生たちは固まって地下鉄の方へ歩いていった。
首相令で喫茶店も閉まるし、アルコールも夕方以降禁止だから、喫茶店に寄ることも、ビールを呷ることもできず散会したに違いない。なんて可哀想な青春だろうと心が重くなる。
自転車のペダルを強く踏み込み、帰途に就く。
(10月31日ミラノにて)