しもた屋之噺(232)

杉山洋一

家人は、現在のミラノは羽目を外しすぎていて心配だといいます。長い規制に耐えながら、ワクチンも80歳代以上から年齢順に接種してきて、現在ロンバルディア州では30歳以上が接種対象となっています。その結果、漸く外食や劇場など規制全体が緩和され、誰もが文字通り喜びに湧き立っているというのです。

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5月某日 三軒茶屋自宅
昨晩19時からリッチャルダのラジオ番組を三軒茶屋で聴く。悠治さんの「歌垣」と「般若波羅蜜多」をかけてもらったが、今晩のように稲妻の閃光が煌めく嵐のなかで「般若波羅蜜多」を聴くと、思いがけない臨場感と異様な高揚感に包まれる。リッチャルダの伊語を聴くと、これが上流階級のイタリア語なのだろう。少しくぐもった母音に、巻舌ではなく仏語に似たRを発音する。スカラ座を創設したのが、リッチャルダのBelgiojoso家だ。
生まれた時から猫アレルギーだけれど、どうにも可愛くて猫を譲り受けてしまって、案の定暫く酷い喘息で大変だったの。でも馴れてきたのか、少し落着いてきたから、収録が再開できるようになったのよ、と笑った。
 
夜半0時からは、ヴィオラのマリアが優れた学生を集めて演奏した、ヴィオラ四重奏の「子供の情景」演奏会。練習を一切聴かなかったから、どんな風になるのか想像出来なかったが、素晴らしい仕上がりに大変感銘を受ける。マリアとその門下生たちだからか、和音の作り方も、演奏方法の処理にも一貫性があり、それは特に野平さんの「シャコンヌ」で実感した。「シャコンヌ」は譜面の読み方がとてもイタリア的なのにも興味をそそられたし、「子供の情景」では、長年マリアがゴルリの現代音楽アンサンブルで培った経験がそのまま反映されていた。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
大阪の医療環境が急激に悪化。訪問看護医療が強化されるという。戦後の高度成長期を経て迎えた日本の黄金期以来、我々日本国民は、国を我々自身が築く意識をすっかり消失してしまった。民主主義とアナーキズムが表裏一体なのは誰もが薄く予感していたけれど、最悪の時期に全てが露呈してしまった。政府を批判する以前に、批判されるべきは、我々自身ではないか。
国民一人一人が自らの権利を保障され、国はそれを守る役割があるならば、国民それぞれの国への帰属意識は必要不可欠な大前提であるはずだ。国への参加意識が希薄な儘、徒に権利ばかりを主張すれば、政府も国民も、深く泥濘む混沌に足をとられて次第に沈下してゆく。
細かい音符を正しく並べてゆけば、美しい音楽が仕上がるわけでも、音楽が正しく流れるようになるわけでもない。予め音楽全体の流れが理解された上で、それに最も適した方法を探しながら、中に置かれる音の精度を調整する。巨視的から微視的に視点を変化させることにより初めて音楽は成立するが、反対は不可能だ。
音楽は社会であり、社会は音楽だとおもう。故に、社会も巨視的なアプローチを欠けば、どれほど国民がそれぞれ精を出しても、ただ徒にエントロピーが拡大してゆく。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
日本の感染状況は変わらず。15日のニューシティフィルと悠治さんとの演奏会も開催できるかわからない。延期されれば演奏会実現は2年後だそうだが、その頃自分がどうしているか、見当もつかない。実現出来るか分からない演奏会の楽譜を開くのは、やはり切ない。熱川の義父母のところでも、陽性者が見つかったという。イタリアはもうすぐ50歳代のワクチン接種が始まる。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
マクロン大統領、ナポレオン没後200年を記念して演説。ミラノはナポレオンが作ったイタリア共和国やイタリア王国の首都だったから所縁は深く、ナポレオンは自らのためにと凱旋門まで作らせて、それは今でも「平和の門」として残る。
フランスの英雄は、イタリアから見れば無数の侵略者の一人に近い。ナポレオンはハプスブルグ支配から北イタリアを解放し、そこに傀儡国家を作った。その土地に住むものからすると、どちらも支配者に過ぎなかった。
現在も残る、イタリアのヨーロッパ列強各国へのどこか冷笑的姿勢の根底には、何百年と続いた不信が未だに巣食っている気もする。翻って言えば、かかる支配を甘受しつつ、イタリアであり続けた自らの文化への誇りは、絶えたことがない。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
首都圏知事が揃って、今月31日まで緊急事態宣言延長を国に要請。15日の演奏会は都が管理する東京芸術劇場の予定だから、演奏会はやはり難しいかもしれない。レスピーギの「鳥」は、昨年のクリスマスに家人と息子が連弾していた「Natale, Natale!」を思い起こさせる。マルトゥッチは、ヴェルディとプッチーニのちょうど中間の響きがする。当初、譜面を勉強するほど、アカデミックで堅苦しく感じるかと危惧していたが、全くの杞憂に過ぎなかった。寧ろ、一見とても生真面目で、くすんで見える譜面は、丹念に倚音を重ね、輪郭を敢えて曖昧にしているからだ。
直截に表現するのではなく、輪郭を点で縁取りしつつ本質を浮かび上がらせる手法は、丁度同年代のイタリア絵画、例えばエミリオ・ロンゴ―ニ(Emilio Longoni)やアンジェロ・モルベルリ(Angelo Morbelli)のような、分割主義の画家を思い起こさせる。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
昼前、水町さんより電話をいただき、東京芸術劇場は開館決定、15日の演奏会開催が決定したそうだ。慌てて、ライブラリアンの武居さんに、カスティリオーニ、マルトゥッチの訂正表を用意して送付。長年親しくお付き合いしているミラノのKさん一家も、Covid-19で両親も子供たちも揃ってCovid19に罹り、家中で大変な思いをされたそうだ。
毎日少しずつ時間を見つけては、ブルフィンチの「ギリシャ・ローマ神話」を読返すのが、ささやかな愉しみになっている。高校生のころ買って一回くらいは読んだはずだが全く記憶にない。今改めて読むと、水木しげるの妖怪辞典のようで面白くて仕方がない。ローマ神話は現在イタリアの日常にそのまま反映されていて、合点のゆくことも多い。多神教の逸話はどれも人間臭く心情が豊かで、ラテン的な楽観も諦観も等しく映し出される。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
朝7時半、イタリア時間の午前0時半、日付が変わり50歳代一般ワクチン接種受付が始まったので、インターネットで家人の予約を入れた。
日本で不思議に思うのは、救急車、消防車、パトカーなど、緊急車両がサイレンを鳴らして公道を緊急走行する際、なぜ、拡声器から指示を出し、謝礼を言わなければならないのか。少なくともイタリアでは、サイレンが聞こえたらどの車も路肩に寄り、両方向の車道とも緊急車両に道を譲るのが、住み始めた頃は新鮮だった。我々日本人は、各人の社会への参加意識が希薄なのか。
外国人技能実習生や入国管理局の問題など、将来日本が国ぐるみで搾取に加担し、自身が強制労働を強いられたと訴えられ、国際裁判などで賠償を請求されるかもしれない。
近隣諸国と戦後処理で軋轢が深まっているが、戦時中、一般の日本人は、在日外国人に対して我々と同程度の認識しかなかったかもしれない。つまり現在でも、外国人の視点に立てば、日本社会は全く違った側面を見せる可能性もある。
日本国民と外国人との感覚の齟齬に鈍感なままでは、我々日本人は国際社会から愈々取残されるばかりではないか。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
一昨日、昨日とニューシティーフィル定期の練習。自主待機が明けた日が最初のオーケストラ練習だった。マスクのせいか、自主待機で身体が呆けているのか、体力が思いの外落ちている。昨日まで届いていた入国者管理センターからの所在確認メールは、今日から届かない。
全てが非合理的、非効率的に書かれてあって、マルトゥッチは演奏がとてもむつかしい。ブラームスやドボルジャークも、より見通しよく合理的で演奏効果が上がるよう書いた。
そうした作品に慣れていれば、ここまで丹念に織り込まれた生地に、最初演奏者は戸惑うに違いないが、ニューシティフィルのみなさんは、献身的にそして丹念に音符について来て下さり、心から感激した。自分が作曲者だったら、とても嬉しかったに違いない。カトリックとプロテスタントの土壌の違いなのだろうか。
レスピーギとカスティリオーニに関して、特に音符を情報の実現、再現と捉えないようお願いし、かくありべし、たる予定調和を忘れてもらう。
レスピーギであれば、絵に描かれた「鳥」や、剥製の「鳥」を眺めるより、この瞬間に、どこかで啼いている「鳥」の声に耳を澄ますことができる。
カスティリオーニであれば、自在に変化する悠治さんのピアノの音と、直截に絡み合うことができる。
明日は一日休みなので練習後町田へ出掛け、久かたぶりに両親に会う。家には上がらず10分ほど玄関外で立ち話。ワクチン接種券が届いたそうだ。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
昨日のオーケストラ渾身の演奏に感動。カスティリオーニ3楽章で、悠治さんの独奏ピアノとオーケストラとの音量を吟味していて、敢えて悠治さんに凸凹に弾いていただくと、藤田さんが奏でるチェレスタと3次元的に美しく絡みあって、愕く。ホログラムのように、突然、音像が空間に浮かび上がる姿に、思わず息をのむ。
悠治さんのピアノは、最初の練習から信じられないような音を放っていたが、本番は、飛びぬけて耀いていた。豊かな倍音、という陳腐で均質な表現では伝えきれない何か。
物質の密度は異様に高く歪な鉱物状に圧縮されていながら、その断面を抵抗もなくすうっと空気が通抜けてゆく。自然界ではあり得ない現象で、手品のようだ。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
東海以西の梅雨入りは、例年より三週間早いそうだ。世田谷観音へ歩く道すがら、紫陽花が美しく咲き誇っていて、目を愉しませてくれる。
一日かけて町田の両親のワクチン接種をインターネットで予約する。どうすればデュサパンの譜読みを間に合わせられるのかと途方に暮れる。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
昼過ぎからHinterlandの弦楽四重奏練習。そのほんの数時間前に成田君に広島の病院にて女児誕生。写真を見せてくれる成田君の全身から喜びが伝わってきて、部屋の空気も華やぐ。こんな大切な時に、練習に時間を取るのは申し訳なかった。成田君初め、石上さん、田原さん、山澤くんは、弾けるように鮮烈な、時には峻烈な程の音楽を奏でる。
母より真赤な孔雀サボテン大輪の写真が届く。今年は去年より二週間程早かった。思わずマティスの絵が頭に浮かんだのは、数年前、母と息子とマティス美術館を訪ねたからだろうか。当時、息子は未だ充分回復していなくて、オントルヴォ―の山上の砦まで登り切った時には、三人とも言葉にならぬほど喜んだ。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
デュサパン演奏会、二日目リハーサル終了。コンサートマスターの山本さんに、マスクの中に入れる、マスクブラケットを頂く。これを付けるとマスクが顔に貼りつかないので、呼吸が随分楽に出来るようになった。深謝。
相変わらず軽い眩暈が続いているのは、寝不足だからか。デュサパンのオーケストラ作品は、クセナキスの「Jonchaies」のような旋法的響きが、フランス人らしい上品さと色彩感によって再構築された印象。
デュサパンを直接は知らないのだが、以前からイタリアのFabio Vacchiに似ている気がしていて、今回ファビオの弟子が最終選考に残っていると知り、我が意を得た思い。
揃ってドナトーニの下で研鑽を積み、複雑な作風から出発した後、オペラで成功し旋法的な作法に至る。風采もどことなく似ていて、大柄で知性的で上品な雰囲気が漂う。
初めて、渋谷の銀座線ホームに降り立つと、広く西日に輝く明るい駅舎に感動し、すぐに絶望した。子供の頃から通った渋谷の姿は、最早見る影もない。
二年ぶりに通いなれた「トップ」に足を向けると、全面にべニア板が貼られて閉店していて、外に掛かった橙色の古看板だけが残る。聞けば、井の頭線のガード下に移転したそうだが、子供の時分から存じあげていた、店長の宮原さんは辞められていた。
道玄坂を上って、三軒茶屋まで何の気なしに歩きたくなった。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
デュサパン演奏会終了。チェロの横坂さんの深い集中力に脱帽。彼が発した最初の一音から、この日の演奏会全体に霊感が吹き込まれるのが分かる。やはり音楽とは不思議なものだ。横坂さんの一音で、オーケストラ全体がめくるめく変化してゆく。彼ら若い独奏者たちから、我々は沢山よい刺激と生気を頂いたことに、改めて感謝している。
昨日も、初台の練習の後、やはり三軒茶屋まで歩いて帰った。道すがら、ずっと気になっていた下北沢辺りの幾つかの庚申尊に手を併せ、拝顔した。
東京の緊急事態宣言延長決定。
 
5月某日 三軒茶屋自宅
湯河原、茅ヶ崎、横須賀と慌ただしく墓参。熱海駅構内にて、子供の頃から食べつけた「鯛めし」で慌ただしく朝食を摂り、茅ケ崎の西運寺から駅に戻るタクシー車内からは、雄大な富士山に見惚れた。尤も運転手曰く、彼は毎朝近景の大山を愛でるのが愉しみだという。富士山の姿はいつも同じだけれど、大山は山肌に霜が光ったり、毎日まるで違う表情を見せるそうだ。横須賀の信誠寺では、待っていたかのように、墓地に降りるなり澄んだ美しい声で春告げ鳥、ウグイスが啼いた。帰りしな、町田で母から小鯛の昆布漬け、野菜の糠漬けなど受取る。美味。
家人はガンバラのトリブルツィオ養老院にて、ファイザー一回目の接種終了。


(5月31日 三軒茶屋にて)