感染状況が安定しているロンバルディア州は今週から屋外のマスク着用義務が廃止されました。そんな中、スカラ座もミラノのさまざまな街角での小中規模の公演を企画しています。オーケストラに限らず、バレエや合唱、弦楽合奏などもあります。市立音楽院校舎のシモネッタ館には、スカラ座女声合唱団が訪れます。ミラノの公団住宅の中庭などでは、パイプ椅子を並べて小規模の屋外映画館を作って、毎晩映画を上映しています。いきなりCovid以前の社会生活には戻れないのは自覚しているからこそ、少しでも生活に潤いを取戻すべく、皆が知恵を絞っているのでしょう。昨年のように、夏が過ぎて新しい感染が広がらないことを、誰もが切に願っています。
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6月某日 三軒茶屋自宅
日本歌曲協会での沢井さんの「六段」を拝見した。筝から独りでに音が湧いて来るようで、傍らに佇む沢井さんの姿に色即是空をおもう。包み込む空間全体は、虚無でありながら、世界の総体でもある。最後に向かって沢井さんの身体が熱を帯びてゆき、そこにじんわり色が浮び上がる。
町田の両親はファイザーワクチン1回目接種終了。父は全く問題なく、母は多少接種した腕が痛いそうだが、危険な副反応もなく安堵。
6月某日 三軒茶屋自宅
朝3時起床。5時過ぎに世田谷観音まで散歩するまで、間宮先生の楽譜を開く。高校に入ったばかりのころ、同門の先輩方が受けていた間宮先生の室内楽レッスンを、譜めくりしながら聴講していた。バルトークの「2台ピアノと打楽器のソナタ」が課題で、先生が時々さらりと弾いて聴かせてくださるピアノが素晴らしかった。少し乾いた、飄々としながら深く穿つ音に、胸が一杯になった。あのピアノの音だ、と目の前のページから初々しい当時の自分が語りかける。バルトークを通して、ドナトーニの質感とも通じるものがある。
家人はミラノでプレトニョフを聴き、楽譜から瞬間的に音楽が気化する様だ、と興奮冷めやらない。
6月某日 三軒茶屋自宅
ドナトーニの誕生日だったので、次男のレナートと便りを交わす。なかなかヴェローナの墓地に出かけられなくて、と書くと、生前フランコは、ヴェローナ記念墓地の「Ingenio Claris 誉れある偉人」神殿に埋葬されることだけ切望していたけれど、それ以外は何も興味なかったから気にしなくていい、と返事が届く。
現在、ドナトーニの亡骸は記念墓地のずっと奥にある、味気ない集合住宅のような区画に眠っていて、Ingenio Clarisの石碑には、フランコ・ドナトーニの名前だけが刻み込まれている。
妻のスージーの遺灰は故郷アイルランドの海に、長男ロベルトの遺灰はアイルランドの私有庭園に撒かれたように、フランコの遺灰は長年教鞭を取った、シエナのキジアーナ音楽院の古井戸に撒きたかったけれど、法律に抵触するので実現できなかった。
長男ロベルトより前に、マルコという赤ん坊が生まれた。マルコは心臓の欠陥をもって生まれたので数時間しか生きられず、洗礼すら受けられなかった。そのマルコも、ヴェローナ記念墓地に埋葬されていたが、死後25年経ってドナトーニはマルコの墓地契約更新をしなかった。そこにマルコはいないと確信したのだろう。親父らしいだろ、とレナートは書いた。このレナートという名前も、「再び生まれたre-nato」という、マルコの生れ変わりを意味する。マルコに捧げられた「最後の夜」をこの秋演奏するとき、自分は何を思うのか。
6月某日 三軒茶屋自宅
西村先生「華開世界」。楽譜を眺めていると、曼荼羅を描くにあたって、先ず幾何学的に空間を区切り、それぞれ順次内容を埋めてゆく姿を想起する。
その曼荼羅の客観的空間配置を描くべきか、そこに描かれる仏教の世界観を表現すべきか、曼荼羅を描く作者の心情を表出すべきか、曼荼羅に香る官能的な色彩感を立上らせるべきか、それらをどのように選択すべきかは悩ましい。
6月某日 三軒茶屋自宅
17時から24時までオンライン試験。イタリア時間で朝10時から17時まで。イタリアの昼食時間に、スーパーで慌ただしく買ってきた弁当で夕食にする。東京にいながら、イタリアの同僚とイタリアの学生の試験をするのは不思議な感覚。夕焼け頃に試験を始めるのも初めての経験で、終盤は意識が朦朧としていた。時々面白がって、学生に今こちらは東京だと話すと、一様に驚いていた。
6月某日 三軒茶屋自宅
朝5時に世田谷観音に出向くと、読経を初めから終わりまで通して聴けたので、何だか得をしたような有難い気分。早三拍子で大太鼓を打ちつつ、般若波羅蜜多と経文が読まれるのを聴いていると、悠治さんの「般若波羅蜜多」が折重なって聴こえてくるようだ。読経のあいだ手を併せていると、掌には気のようなものが溜まって、すっかり温かくなった。
今日、息子はミラノでイタリア中学卒業資格試験を受けたそうだ。東京の新感染者数はわずかに増え始めているが、日本政府は緊急事態宣言の解除を決定した。ロンバルディア州はホワイトゾーンになったそうで、何だか信じられない心地。
6月某日 三軒茶屋自宅
昨日はN響との最初のリハーサル。和気あいあいとした愉快な練習は、コンサートマスター、白井さんの存在が大きい。深謝。篠崎門下の白井篤さんとも初めてご挨拶ができて、ちょっと感激。西村先生も細川さんも大変満足していらして、演奏はすっかり出来上がっているから、指揮者は殆ど何もすることがない。ちょっと方向性を伝えると、そちらに向かって一気呵成にエネルギーが発散してゆき、疲れないかしらとこちらが心配になる。終了後、渋谷トップでサーディン・トーストとグァテマラ。グァテマラは今まであまり嗜んでこなかったが、こんなに美味なのになぜだろう。習慣とは妙なものだ。
6月某日 三軒茶屋自宅
昨晩西村先生と電話でお話ししたのは、とても有益だった。今日のリハーサルでは、曲全体をよりアジアの民族音楽的に捉え、スラー付きの細かい音符は西洋音楽的フレーズ感によらず、ガムランのような響きを提案してみる。
管楽器の情感豊かな唄について、西村先生はメシアンのようにと形容していらしたが、実際はメシアンが目指した極彩色のアジアの鳥を直截に歌っていて、迦陵頻伽やら鳳凰とか、むつかしい漢字の鳥の印象が脳裏を駆け巡る。
リハーサルの後、西村先生は作品に命が吹き込まれるようだね、とオーケストラを絶賛していらした。
大学が終わって少し時間が出来た頃、東京音大に大学院が開校した。伊左治君に誘われ、その大学院の西村先生クラスに何度となくお邪魔したのを思い出す。3、4人しかいないクラスで、皆で話込みながらラッヘンマンやリゲティのスコアなどは眺めていたのが懐かしい。
未だ、ラッヘンマンのピアノ協奏曲などが歴史的価値として認識される以前で、「最近発表されたばかりの新しい可能性」の音楽として、初々しくページを捲っていた。
その頃やっていた「冬の劇場」で、記憶違いでなければ、中川俊郎さんの新曲初演で、西村先生にはタイプライターだかワープロを打つ役で演奏にご参加いただいた。実に愉快で痛快な時代だった。
細川作品はIV、V楽章をオーケストラと一緒に丁寧に読み返す。押し寄せる津波に圧倒される部分と、その後、静まり返った波の上で、はらはら飛ぶ鳥の声を聴く。この作品の演奏の難しさは、音を直截に指揮し演奏してしまうと、途端に情景が消えてしまうところだ。
楽譜はとても精緻に書き込まれていて、ついそれら一つ一つを演奏しそうになるけれども、そうすると音符ばかりが浮かび上がり、海や波や空や鳥などが見えなくなる。
コロナ禍直前にこの作品を初演した時とパンデミックを経験した現在では、この作品を演奏して見える風景はまるで違う。
曲尾の鳥の歌では、われわれは鳥自身に同化せず、遠方から客観的に鳥の姿を俯瞰するように努め、漂う波と鳥の行き交う空との距離感を表現する。波の音には、極力感情を込めないようお願いした。
6月某日 三軒茶屋自宅
練習最終日。西村先生はみずから「自らは明るく死んでいく一方、新しい生命の華が次々と盛んに湧き立ってゆく」、と作品の意図をオーケストラに向かってお話しくださった。一同すっかり感じ入ったのは、作品にその姿が正格に映し出されていたから。作曲者を迎えて演奏できる贅沢を実感。
作曲者の意図を想像しながら演奏するのも楽しいが、作曲者自身が直截に作品を説明してくださると、全く違ってより具体性を宿した有機的な音になる。
練習の合間、何人かオーケストラ団員の方が控室を訪れパート譜確認をされてゆくのだが、皆さんが揃って、いい曲ですねえ、と明るく仰るのに愕く。素晴らしい!
昨日に続きリハーサル後渋谷トップで遅い昼食。奮発してオイスター・トースト。美味。PCR検査まで時間があって、ジュンク堂で丸谷才一の「後鳥羽院第二版」、セネカ「哲学する政治家」、カズオ・イシグロ「クララとお日さま」、服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」購入。森林浴で心が癒されるのに似て、特に決めずに本屋をぶらつくのは、童心に帰ったような、言い尽くせぬ倖せ。
6月某日 フランクフルト行機中
今朝は先ず荷造りをしてしっかり朝食を摂り、8時くらいに改めて布団に入って暫く目を瞑った。10時過ぎに渋谷でPCR 検査結果を受取り、トランクなど一切を抱えて会場に入る。
昨夜から「ルワンダ中央銀行総裁日記」を読み始めたが、面白くて止まらない。「自画像」で取上げた時点のほんの数年前のルワンダ、ブルンジの独立直後の姿が綴られていて、さまざまに納得ゆく部分もあって興味深い。服部氏の矜持に感服。
読書の欠点は読み始めると止まらないところで、ドレス・リハーサルの合間も指揮台で「ルワンダ中央銀行総裁日記」を読んでいて、作曲者とオーケストラには失礼してしまった。
最初のリハーサルから本番まで、吉川君の一貫した強い信念には大変心を動かされた。真摯で誠実でありつつ、楽観と遊び心を忘れない姿勢は、長年のイタリア生活で培われたのだろう。それらが結実した本番の素晴らしい演奏にただ感嘆。間宮先生と吉川君の音の質感も、とてもしっくり噛み合っていた。
本番中、オーケストラの音は火傷しそうに熱を帯びていて、馬力のあるスポーツカーが頭に浮かぶ。アクセルをどれだけ踏み込んでも、まだ余裕が感じられる。演奏会終了後慌てて控室でシャワーを浴び、トランクをタクシーに積み込み羽田空港を目指した。
6月某日 ミラノ自宅
朝10時過ぎにミラノ着。機中、朝焼けの眼下に広がるアルプスや湖沼地帯の美しさに目を奪われる。荷物を受取り、多少なりとも検査はあるかと思いきや、EU宛てに帰国の詳細をオンライン登録し、日本のPCR検査証明を持っている以外、何のチェックもない。これがホワイトゾーンという事なのか。
つい数日前に規制改正があって、日本からのイタリア入国は、48時間以内のPCR検査陰性があれば10日間自宅待機は免除となった。午後、伸び放題だった庭の芝を刈る。
6月某日 ミラノ自宅
朝5時、朝焼けが始まろうかというころ、ナポリ広場まで散歩に出かけ、新聞と朝食の甘食を買う。イタリアも7月はワクチン供給量が少し減少する可能性があるらしい。
ワクチン2回目接種についてコールセンターに連絡すると、教員枠に関しては直接会場へ出向くよう指示を受けた。早速、自転車を漕いで旧見本市会場へ出向く。
アストラゼネカ1回目接種は3月21日で、2回目接種は本来6月8日だったが海外渡航中で接種不可能だった旨、受付で妙齢に説明すると、最初は「fuori range-2回目接種の期限を超えているかしら」と心配されたが、「でも大丈夫、何とかするから。ちょっと待ってね」と頼もしい。
医師に確認すると、何とかアストラゼネカの有効期限内だったそうで、「良かったわね、今日打っていってね」と明るく言われる。問診票と一緒に「アストラゼネカ2回目接種」と大きくプリントされたA4の紙を渡されて、これをもって歩いていると、5、6メートルごとに通路に並ぶ屈強な係員たちが、「はいよ、アストラ!」、「了解!はい、アストラ!」と伝言ゲームのように係員通し言葉をかけてゆく。その声に従って歩いてゆくと、何だか朝市で競りにかけられるマグロの気分。現在、使用が一時中止されているアストラゼネカは、確かに少し特殊な扱いなのだろう。
若い女医から問診を受け、「アストラゼネカ1回目はどうだった」と楽しそうに尋ねられ、答えに窮すると、大笑いされる。
「ともかく、今日はファイザー打って行ってね」、「最近流行りのミックスですか」、「そうそう!」。
そんなやりとりがあって接種は直ぐに終わり、15分待って帰宅した。
前回3月と比べ、明らかに接種会場の雰囲気は明るく、皆、顔がほころんでいる。前回、この会場は教員専用だったが、今回は車椅子の子供から年配者まで、様々な人種や年齢の市民が、まるでピクニックのように、楽しそうに接種会場を訪れているようだ。
3月の時点ではワクチンの効果も分からなかったし、自分も同僚も、ともかく社会実験に参加するつもりでワクチンを打ったから、皆どことなく不安な顔をしていた。今はある程度ワクチンの効果が実感できるようになり、ホワイトゾーンにまで状況が好転したのだから、表情が変わるのも当然だろう。
夜、ハノーファーの大植先生を訪問していたマルコとズームで話しこむ。何でも1時間半のレッスンを3回も受けられて、泊めてもらったドイツ人の学生が振る合唱団のリハーサルについていったら、ちょっと振らせてもらったそうだ。大植先生には夜遅くまでさまざまな話を伺ったんです、と興奮している。先生や美和ちゃんはじめ、皆さんのご厚意に感激。
天皇陛下、五輪とコロナ禍に憂慮を表明、とレプーブリカ紙に大きく掲載あり。吹かせる天皇陛下が直々に危惧されていて、今回ばかりは神風も期待できまい。それでも政府はまるで気にもかけず、なんともお気の毒だ。
6月某日 ミラノ自宅
早朝散歩から帰る道すがら、グェーグェーとリス2匹が樹の上で呼び交わし合っていて、お世辞にも可愛らしい声とは呼び難い。カラスに似た鳴声だが、共鳴体となる身体が小さく声は響かないから、ちょっと鼻がつまったような余計妙な塩梅になる。以前はネズミのような鳴声を想像していたから、初めて聞いたときは当惑した。庭のリスも、目を凝らせば枝から枝へとすばしこく走り回っているのがわかるが、葉がすっかり繁茂していて、リスの姿を目視するのはすっかりむつかしくなった。
近所の工事現場を通りかかると、件のクレーンの天辺の運転台に向かって、作業員が梯子を登っていた。おそらく12階分くらいはあろうかと思しき高所に鎮座する、鉄塔上の小さな運転台まで、休憩をはさみつつ少しずつ梯子を登ってゆく。
心地良い朝日と抜けるような青空を背景に、遥か彼方の小さな作業員の姿は、神々しく映える。
夕刻、保健省から携帯電話にグリーンパス、つまりワクチンパスポートのパスワードが送られてきた。Immuniという、日本のCocoaにあたるアプリケーションにこのパスワードを入れると、QRコードつきの正式なグリーンパスが生成される仕組みだ。
昨日打ったファイザーワクチンは、接種した腕に疼痛とほんの少しだるさを感じる以外、殆ど何も問題がない。前回のAZ接種後、呂律が回らず手に力が入らなくなり、眩暈が随分長く続いたのは、今にして思えば、軽い血栓の症状ではなかったか、と空恐ろしくなってきた。当時は、とにかく何か起きたら息子が一人になるといけないと気を張っていて、血栓の可能性など露ほども想像しなかった。町田の両親もファイザー2回目接種終了。
ジェフスキーの訃報に言葉を失う。
6月某日 ミラノ自宅
長く教えてきたBが、夜分拙宅を訪れた。折入って顔をみて話したいと言う。彼は、こちらが日本に帰る前の4月のレッスンで、教室にいた誰もが深く心を揺さぶられるような素晴らしい演奏をした。素晴らしい演奏という当たり前の形容とは少し違う、それは不思議な体験だった。
余りに吃驚したので、君はやはり今年、学校が終わっても指揮を真剣に続けるべきだ、よく考えて欲しい、と連絡して日本に発った。
彼はこちらがミラノに戻るのをずっと待っていたらしく、早速街の反対側から夜遅くにバイクを飛ばしてやってきた。
「将来についてなんですが」と話し始め、
「せっかくああ言っていただいたのですが、自分なりに色々と考えた上での先生へのお返事はまあ否定的なものなんです。でも、先生とは長年胸襟を開いて何でも話してきましたから、どうしても顔をみて話したくて」。
彼は音楽と同時に、ミラノ大で法学を学んでいる。卒業論文は既に提出してあり、7月12日の最終口頭試問をもって、無事法学部を卒業する予定だ。両親も人権派の弁護士だったと記憶している。
「実は、法曹界に進むつもりもないんです」。
「指揮と法学部だけではなくて、実は昨年秋から、もう一つ別の道を模索していて、それに掛けてみようと気持ちが固まったんです」。
「実は、聖職者になる決心をしたんです。去年秋から毎月数日ずつ、ローマの宣教団のセミナリオに滞在して少しずつ自分を試してきたのですが、やはり自分の人生を捧げたいのは、聖職だと確信をもてるようになってきたのです」。
「昨年の春、幼いころから世話になってきた親しい神父がCovidで亡くなり、教会の合唱隊で彼の葬儀に関わりながら、親しい教会関係者から話を伺っていて、もっと深く知りたいと切望するようになったんです。Covidによる都市封鎖が、落ち着いて自らを振返る時間をくれたんです」。
「4月のレッスンで、先生に嬉しい言葉をかけていただいたとき、自分でも明らかにそれまでと違う世界が開けたのを実感したんです。実はあのレッスンの直前、ローマのセミナリオに滞在していて、自分の裡で何かが解放される霊的な体験をしたばかりでした。その直後、レッスンでああいう不思議なことがあって、やはりこれは自分の核心にふれるものだと納得したんです」。
「まだ親にも兄弟にも誰にも話していません。ローマに行くときは、論文準備のために友人宅にでかけると嘘をついて今までやり過ごしてきました。宣教団からは、もう一年はローマに通いながら、自分と対峙する時間を持つよういわれています」。
「来年秋になって宣教団から受入れてもらえると決定すれば、もちろん両親には話します。きっと両親は喜んでくれると思いますが、長男の自分に彼らが期待してきたものとはまるで違う現実が待っています。だから、彼らがどんな風に感じるのか、全く想像もできません。一度その道に入れば、両親に会うこともままならないでしょう。クリスマスも離れ離れですし、宣教師として今後どの国で過ごすのかもわかりません」。
「7年の研鑽ののち、教会が自分を聖職者として迎えてくれるかどうか、それは神のみぞ知るところです」。
「音楽も指揮も、もちろん続けてゆきます。指揮コンクールを勝ちぬき成功を目指すような王道とは袂を分かちますが、無尽蔵の宗教音楽の世界について、これから少しずつ見識を深めてゆきたいとおもっています。まずは合唱指揮者に助言を乞うつもりです。以前から、ヴィクトリアとか大好きでしたから」。
「先生もご存じの通り、一昨年までちゃんとガールフレンドもいましたし、こんな人生を自分が選択するとは露ほども思っていませんでした。文字通りの青天の霹靂です。でも、自分が指揮を学ぶなかで実感した、時間や人生を他者と共有する喜びを、どうしても人生全体にまでひろげてゆきたいんです」。
(6月30日ミラノにて)