しもた屋之噺(241)

杉山洋一

春の訪れなのか、この処強い風に煽られる毎日が続いています。見渡すアパート群から電灯もすっかり消えた夜半の漆黒の中、低く息吐く風の音だけ、どこか虚ろに響き渡ってゆきます。

2月某日 羽田ホテル
ラヴェル「左手」和声備忘録。
一切無駄なく理知的且つ合理的に並べられるさまに驚嘆。3度集積された和音も基本的低音進行も先日のプーランクを思い出すが、実際浮かび上がる和声がまるで違うのは何故か。
プーランクは、シューベルトの影響か、伝統的カデンツを平行調性域を押し広げつつ並べてゆく。ラヴェルは集積和音それ自体を旋法として扱うので、巨視的には従来のカデンツであっても、一つの和音に対し一つのパネルを宛がう。
プーランクは3度集積和音を属和音の緊張や方向性を高めるために用い、ラヴェルは寧ろ和音を集積させることから、緊張を飽和させ解放する。
だから、従来カデンツが規定してきた音楽の尺に左右されず、同和音を帯状に拡げるのも容易で、その延長線上にスペクトル作法が誕生したのも自然な成り行きだったと理解される。「左手」の時代ラヴェルはジャズに影響を受けていたから、テンションコードを、3度集積と非和声音の同時発音の収斂点として分析的に扱うことで、自らの語法として咀嚼している。グリゼイ「時の渦」の出現は、必然だったのだろう。
ラヴェルより若い「六人組」の作家たちが、ジャズや複調、集積和音を使用しても、後のフランス現代音楽と袂を分かち、あくまでも近代フランス音楽の延長線上で作曲していたのは、彼らが従来の下部構造の尺、カデンツがアプリオリに規定する基本フレーズの長さを踏襲していたからかもしれない。その意味に於いて、ドビュッシーやサティは、寧ろ現代フランス音楽にずっと近しいのではないか。
ラヴェルと同世代で親交の深かったカセルラがイタリアで近しい立場なのは偶然だろうか。カセルラが存在によって、現代イタリア音楽は存在している。彼がいなければ、恐らく全く違った方向に進んでいたに違いない。
ラヴェルの無駄のないオーケストレーションに見惚れる。
Covidホテルの居心地は悪くない。肉が食べられないと伝えると、ヴィ―ガン弁当が用意されていて、美味。弁当は温かくないので、携帯した即席スープを添えて食べる。

2月某日 羽田ホテル
あの世がどんなものか知らないが、地球上から人間だけがいなくなったなら、地球上には、生きる動物たちのまにまに、透き通った我々の精神だけが犇めくのだろうか。それとも、宇宙まで空間は無限に広がっているから、それほど窮屈な思いもしないで、皆それぞれに居場所が見つかるのだろうか。いつでもどこでも会いたい人に会えて、安寧な世界なのだろうか。
ある人から、あちらの世界では、リストが音楽家たちの世話役になって、さまざまに面倒を見ているらしいと聞いたが、一度足を踏み込んだら永遠にそこに留まっているのだろうか。著作権のように、500年も経てば存在は次第に消えてゆくのだろうか。どうもリストがペロティヌスやマショーの面倒を見る姿は想像できないのだが。
恩師曰く、自分が死んだら杉山に玄関で見張りをさせ、自分の亡骸が家に入るのは絶対人目に触れさせないように、と夫人に伝えていらしたと聞いた。真面目に仰ったのかもしれないし、少年のような遊び心も多少交じっていたのかもしれない。今度あちらで改めて伺ってみたい。

2月某日 羽田ホテル
時差ボケを曳きずり朝4時前まで仕事していて寝ようすると、アルフォンソから電話がかかる。「山への別れ」演奏に関しての質問など。元気そうだがCovid陽性で自宅待機中だという。その後で漸く眠り始めると、朝5時過ぎ、今度は一人ミラノに残る息子から電話がかかってきて、ベッドが壊れたという。支板が外れたがどうしたらよいか、とのこと。
町田の両親、3回目接種完了。
一週間のCovidホテル暮らしは、少なくとも自分にとっては悪いものではない。一人で過ごす時間も、静かに頭を休ませる時間も必要だったと気づく。不自由なのは、身体が動かせず、温かいものが口に出来ない程度。
オミクロン株による東京感染拡大はほぼ頂点に達したとの報道。

2月某日 三軒茶屋自宅
自宅待機解除。カジキ鮪と菜の花、それに大根と茸とトマトでパスタを作り、刺身を軽く炙りレモンとオリーブ油を垂らして主菜とした。
昨日はシラスと菜の花、トマトでパスタを作った。日本でイタリア料理を作るのなら、作りたいもののイメージさえしっかりしていれば、日本の美味しい野菜を存分に使って作る方がよほど美味である。
ピーマンも茄子もズッキーニもイタリアと日本では味が違うし、触感こそ違えども、日本の大根はイタリアのズッキーニよろしく甘みがあり気軽に使えてよい。ズッキーニのとろみはないので、パスタの茹で汁を多めに使ってとろみをつける。

川口さんから「山への別れ」の録音が届く。自分が思い描いていた音楽の流れそのままだったので、愕いてしまった。自分の想像通りの演奏でなくて構わないのだが、ある程度緩い指定で書いて、自由に弾いてもらう程度で丁度よいのかも知れない。平井さんに深謝。
一週間のヴィ―ガン弁当生活で3,4キロ痩せた。体調頗る良し。

2月某日 三軒茶屋自宅
自宅待機が解けて、父に誕生日祝いを届ける。平井さんに2回お電話したが、呼び出し音だけでどなたも出られなかった。2回目にかけた時は、呼出し音が鳴り始めたかと思うと、すぐに無音になった。平井さんが受話器の向こうで「そりゃあ通じるわけがないでしょう」と何時もの口調で話しているようで、電話を切る。仕方がないので、メールを書いた。
「平井様 大変ぶしつけながら、ご家族のどなたかにご覧いただければと思い、お便りさしあげます」。こう書いていると、なんだか不思議な心地になった。
夜、奥様からお電話をいただき、暫くお話しする。
ヴィオラの般若さん曰く、河の向こうとこちら側は、思いの外近いはずだというが、案外そんなものかもしれない。
大学生のころ、とてもお世話になったヴァイオリンの高橋比佐子ちゃんが肺癌で永眠していたと聞き衝撃を受ける。彼女には弦楽合奏曲のトップを何度もお願いしたし、ピアノトリオも何度か弾いていただいた。何十年も会っていないが、彼女の音は忘れられない。
はにかみながら、「杉山氏はねえ」と少し首を傾げて話すさまが思い出される。上品でまるで現代作品など弾きそうにない風貌なのに、いつも見事な演奏を披露してくれた。素晴らしい演奏家だった。同い年だと言うのに、俄かには信じられない。

2月某日 三軒茶屋自宅
エミリオの義弟にあたるフェデリコ・アゴスティーニさんが名古屋に住んでいて、久しぶりに再会できると互いに楽しみにしていた。ヴァレンティ―ナのイタリア語に似て、親しみ深いが海外生活の長いイタリア人らしい丁寧な文章のやりとりが印象的だ。首都圏に少し遅れてこの処中京圏は感染が一気に拡大している。

2月某日 三軒茶屋自宅
昨日は悠治さんと美恵さんと三軒茶屋で再会。しもたや240回記念で、健啖家の悠治さんはロコモコ完食。素晴らしい!
「どうということもない時間をともに過ごせるのを、こんなにぜいたくだと感じるなんて。世界はやはりおかしいですね」と美恵さんよりメッセージ。
日本国内全体の死亡者数も一昨日は236人、昨日は230人、今日は270人と上昇していて、思わず先月のイタリアを思い出す。

2月某日 ミラノ自宅
殆どを自主隔離に費やした日本滞在よりミラノに戻ると、思いがけぬ開放感に感動する。タクシーの運転手曰く、目下の心配事はウクライナ情勢だそうだ。もしものことがあれば、今年急激に値上がりしたイタリア国内の経済がどうなってしまうのか、ガソリンなど到底払えなくなるのではないかと話す。
庭の樹に棲んでいた3匹のリスは留守中に引っ越ししたようで、別のリス2匹が代わる代わるクルミを食べに来る。クルミをもって庭に出るだけで小鳥たちが近くの梢に飛んでくるさまは以前と変わらない。春が近づき動物たちの食欲も増しているように見える。

阪田さんがV.ヴィターレ(Vincenzo Vitale)の孫弟子とは知らなかった。彼は小学生の頃から大学生途中まで西川先生に習っていらしたそうだから、筋金入りの孫弟子。ヴィターレはカニーノさんの師という印象が強いが、彼こそ、マルトゥッチと同じくB.チェージ(Beniamino Cesi 1845-1907)直伝のナポリ式ピアノ奏法をF.ロッサマンディ(Florestano Rossamandi1857-1933)から受け継ぎ、こうして後世我々にまでピアノ奏法を伝えてくれた。
日本国内の死亡者数発表が322人と聞き、おどろく。

2月某日 ミラノ自宅
久しぶりに学校にてレッスン。反ワクチン派のMがピアノを弾きにきてくれたが、顔からすっかり生気が抜け、表情がなく、心ここに在らずに見える。気まずい思いをしながら一日何とかレッスンをする。
夜、MAMUにて、チェッケリーニ親子の追悼演奏会。フランチェスコが「河のほとりで」を、アルフォンソが「山への別れ」を弾いた。アルフォンソは秋にバーリでリストと一緒に「山への」を再演するつもりらしい。
クローズドの演奏会だから、集う聴衆はみなチェッケリーニ家に近しい人ばかりだった。演奏前、ティートは我々が若かった20数年前の昔話をする。まるで兄弟のように毎日喧々諤々やりながら過ごしていたっけ、と笑った。
ダヴィデがリスト「アンジェルス」を弾くのを見ていると、イタリアに来たばかりのあの頃の友達が、昔のように一堂に会しみなが楽しそうに弾いたり話したりしている。
唯一違うのは、ティートのお父さんと妹がそこにいないことだけで、それがひどく不思議に感じられるのだった。
こんな風に友人やティートの家族と抱擁して旧交を温めたのも久しぶりだった。以前はこうして誰とでも気軽に触れ合えたのが、この数年ですっかり変わってしまった。

2月某日 ミラノ自宅
2年前から教えてきた学生たちに、試験で初めて会う。2年前からずっと遠隔授業が続いていて、去年は試験もズームだったから、彼らに会う機会は皆無だったのだが、実際に面と向かうと、全く違う印象を受けたりもする。
2年間ずっと南部の片田舎にある実家で遠隔授業を受けていた学生が、いきなり目の前に現れるのも現実感がなくて不思議だったし、いつも授業は自室でリラックスして受けている学生が、試験だからか、思いの外真面目で緊張した形相で部屋に入ってくるのも愉快であった。
対面で試験をすると、遠隔よりずっと手際よく進むのも意外だったが、何より衝撃を受けたのは、2年前から遠隔授業を始めてみて、明らかに対面授業よりも学生の進歩がずっと速いことであった。こんな虚しい事実は認めたくないので、今年だけは特別だと思いながら続けてきたが、接続状況が不安定だったり、音も聴き難いはずなのに、遠隔授業は明らかに学生に集中させる効果があるようだ。ただ、結果だけ良ければそれでよいのかと問われれば、答えに窮する。教室で学友と触れ合い発見する喜びも絶たれてしまうのだから。

2月某日 ミラノ自宅
ロシア軍ウクライナ侵攻。
2年前に書いた「自画像」を見返すと、ホルンセクションは、2008年南オセチア紛争のグルジア国歌から次第に変化し、2018年ウクライナ国歌で終わっている。
2014年のウクライナ騒乱から2018年のクリミア危機を併せて、少しずつウクライナ国歌へと変化してゆく。同じ部分、チェロセクションは現在は禁止されている香港「願榮光歸香港」を弾いている。
前回はここまでで筆を置いたが、やはりこの続きは書かなければいけない、と思う。社会に何ら役に立てないのなら、せめて後に何かを辿れる痕跡くらいは残す必要はあるだろう。
福田さんのギター新作も、構想から改めて考え直そうと思う。ただ音符を置くだけでは、自分を欺いている気がする。どうしても書かなければいけない何かに突き動かされたものでなければ、自分の裡の何かが、自らを許さない気がしている。

2月某日 ミラノ自宅
家の片付けを手伝ってくれるアナが手術して休養しているので、ウクライナ人のマルタが代わりに手伝ってくれている。
彼女の義兄は外科医で、現在、場所が知らされない前線の野戦病院にて傷痍軍人の手当てにあたっている。以前の紛争時も同じく前線で軍医を務めていて、毎日、手足を失った兵士などの看病にあたっていたそうだ。
何年かして家に帰ってくると別人のように精神を病んでいて、その後何年もかけて漸く元気になったと思ったのに、また今回の戦争で招集されてしまった、と落涙。
彼女はルビウ出身だが、ルビウの山岳地帯に住む有名な占師が何度占っても、この戦争はウクライナが勝利すると出るから、絶対に負けるはずがないと言う。
指揮を教えているキエフ生まれのアルテンにも連絡したが、アルテンも彼の奥さんも現在はイタリアにいるから安全だし、アルテンの両親はキエフから早々に安全な場所に疎開したので大丈夫です。ご心配有難うございます、と返事がくる。文末には「Forza Ucraina!ウクライナ頑張れ!」と書いてある。

2月某日 ミラノ自宅
昨日は一日サンドロ宅でレッスン。マッシモとY君には、指揮棒の中に音を入れる、棒で音を集めるスタンスで指揮してもらった。
表現する気持ちが先走ると、感情が空回りして棒で音を拾いきれなくなるので、順序を整理して、先ず音を拾い、拍と拍の隙間から、シャボン玉に息を吹き込む要領で、すっと感情を滑り込ませ、音の向こう側で膨らませて演奏家を包み込んでみよう、と試す。

秋からバチカンで司祭になるための神学校に入るアレッサンドロがモーツァルト40番を持ってきた。彼は、先日スカラでゲルギエフが振った「スペードの女王」を見に行ってきたそうだ。新聞で書かれているように、開演時、ゲルギエフが指揮台に立つと、劇場中からブーイングが沸き起こったという。言うまでもなく、ゲルギエフがプーチンに近しい関係だからで、この数日間で、カーネギーホールでもウィーンでも同じ理由からゲルギエフは演奏を降板している。
ミラノ市長ベッペ・サーラは、ゲルギエフがロシア軍のウクライナ侵攻を咎める発言をしなければ、残りの「スペード」公演の指揮を許可しないと宣言した。
兎も角、アレッサンドロ曰く、それは素晴らしい公演だったそうだ。言尽くせないほど信じられないような素晴らしい3時間を過ごした、と感無量の表情で語る。
「いくら政治的な理由があるにせよ、音楽家と政治家を同次元で扱うのは違うと思う」
と言ったのが、この通世を捨て聖職に就きたいと願っているアレッサンドロだったので、何とも不思議な心地がした。それだけ演奏が素晴らしかったのだろう。
自分には何が正しいのか判断できないが、これが音楽の力なのかもしれない。
そこに居合わせた他の学生たちは、「気持ちは分かるが、今回のような特別な状況において、音楽と政治を切り離すべきかは、慎重に考えなければいけない」と口を揃えた。
スカラの次の演目「アドリア―ナ・ルクヴルール」の、アンナ・ネトレプコ、ユシフ・エイヴァゾフ夫妻の処遇も不明だ。
ナポリの広場で、ウクライナとロシアの女性二人が口論しているヴィデオを見た。ウクライナの女性は、「ロシアがわたしたちの子供を殺戮している、人殺し」と叫び、ロシアの女性は、「それはわたしたちも同じよ、わたしたちの子供も殺されているのよ。悪いのはプーチンよ。ロシアじゃないわ」。二人とも涙を流しながら、言葉にならない叫びを続けていた。

2月某日 ミラノ自宅
今日からロンバルディア州はホワイトゾーンとなる。一寸信じられない。
レプーブリカ紙一面の写真。ウクライナ西部スロヴァキア国境の街ウジホロドの広場では、市民が集って、空き瓶に発泡スチロールをつめ火炎瓶を作っている。
アムステルダムから日本に向かっていたKLM機がロシア上空の飛行禁止に伴い出発地に引き返したそうだ。EUとカナダはロシア機領空飛行禁止。ロシアはEU航空機の領空飛行禁止。SWIFTよりロシア排除。中立国スイスはロシア資産凍結、同じく中立国スウェーデン、フィンランドもウクライナに武器供与。アメリカ、オーストラリアなどロシア滞在中の自国民退去を勧告。ウクライナEU加盟申請提出。

(2月28日ミラノにて)