車のラジオをつけると「天王星でダイヤモンドの雨が降っている」とラジオのアナウンサーが言った。かなりのハイテンションで言った。眠気と戦っている私まで嬉しくなった。天王星は綺麗な青い色をしていると話し続けているので、思わず次の信号で携帯をとって調べ始めた。住みたくなるような色。
そのあと好きなNHKラジオの演歌の番組に切り替えて、また眠気と戦いながら「カジマチ」という弘前の夜に賑やかになる街を通り過ぎる。たまたま幼稚園のお迎えに行く時この町を車で通るけど、毎回面白い看板が二つぐらい目に付く。ずっと前から入りたいと思う特別な映画館とピンクの服を着ているアニメのお姉さんのお店。ピンク色の看板に白くて太い文字で「男性天国」と書いてある。この雰囲気はラジオから聞こえる演歌にピッタリと感じて私は完全に眠気から目覚める。ただの3分ぐらい、別の世界に入って出るというような毎日の繰り返し。帰りも娘たちから「ルビアン」というお店の前に一時止まりするたびに「行きたい、行きたい」と言われ、いつか連れてってあげるからと言いながら右に曲がる。「ルビアン」という昭和の雰囲気がたっぷり残っている喫茶店のパフェが食べたい。
ある日、私が気に入っている無印の性別に関係ないズボンを履いてお迎えの帰りにコンビニに寄った。娘たちはおにぎりが食べたいという。一人で降りた方がグミなど他の買い物をしないで済むから「車で待っていてね」とお願いして、窓を全部開けて店に急いで入った。長女はツナマヨ、次女はシャケと二人の好みが違う。私の手作りおにぎりも好きだけど「コンビニ」の方は特別感があるらしい。1、2、3という袋の開け方も海苔を破らずにできるかどうか私は最後までドキドキする。日本に来てから一度も成功していない。長女は得意技のようにすぐできるから彼女に任せる。
コンビニでおにぎりの開け方について考えながら、知らない間に変わった振り付けのように一歩下がって、後ろにいた人にぶつかった。そしたら後ろにいたお兄さんがニヤニヤし始めた。無印の性別がないズボンをはいても女性としてみられることに対して複雑な気持ちになった。結局、自分の性別から逃げられない、と買ったおにぎりを手にとって店を出た。
そしたら、車のクランクを押しながら前面に開いている窓から顔を出して泣いている二人の娘がいた。私が遅かったせいで泣いていたらしいが、どう考えても2分しか経ってなかった。それより先に、私にニヤニヤしていたお兄さんは店を出た時、娘の姿を見てすごくびっくりしただろう。そうだった、女性だけではなく、母親だった私が性別不明のズボンを履く意味がなかった。
『WASP』という短編映画を思い出した。25分間で、シングルマザーである主人公の世界を描く女性監督のAndrea Arnoldはすごい監督だ。ここ何年か前から日本で生活しているシングルマザーの研究を始めた私にとってリアルな映画だ。私も今まで出会った女性の物語をこうして描きたい。シングルマザーではなくてもお母さんという生き物の生態をよく撮っている。映画は裸足でマンションの階段を降りて娘が喧嘩していた子供のお母さんと戦うシーンから始まる。赤ちゃんを抱きながら。そのあとは偶然に、昔の知り合いと道端で会ってデートに誘われる。先ほどのシーンからの彼女の切り替えがすごい。裸足なのに、赤ちゃんを抱いているのに、男にデートに誘われ女性を捨てることができない。だから嘘をつく。この子供たちはベビーシッターで預かっている、夜になったらバーで会えると。
急いで家に帰ってビンに入っていた小銭を集める。バーに入ってもドリンクは注文できそうだ。ミニスカートにはき替え、ベビーカーを押し、子供たちを連れて夜のデートに向かう。その前に、家で砂糖の袋を長女に渡す。「シェアして」という一言で、長女は小さい子の手のひらに砂糖をのせてみんなは嬉しそうに舐める。このおやつに対して常識的なお母さんならば眉をひそめると思うが、私はこのシーンに対して共感しかなかった。研究ですごく忙しい時、マフィンと甘いパンを焼くなんて、とんでもない。私が焼くマフィンとパンは美味いけど研究の方が大事と言いたら、死刑だろうね。正直、娘たちが隠れて台所から砂糖を盗んで舐めることは何回かあった。私はただ見ないふりをした。
彼女はバーに着き、子供たちを店の外で待たせ、一人で入る。なんともない振る舞い。それでも彼女は子供たちを家に置き去りにせず、少ないお金で自分と彼のドリンク、子供にコーラを買い、ちょくちょく様子を見にくる。女性でありながら、彼女はやっぱり母親だ。最後に外で待っている子供たちはお腹が空いて、待ちくたびれ、赤ちゃんの口に蜂が入りそうになり、「ママ」という長女の呼びかけに彼の車から飛んでいき、子供を守る。最初から最後まで彼女の複雑な境遇がリアルに映し出された、濃い25分の塊だ。最後に、デートしていた男性がお腹を空かせた子供たちをフィッシュアンドチップスの店に連れていって、お腹いっぱい食べさせているシーンで終わる。男性の優しさに感動するが苦い味が口に残る。この最後のシーンは監督の願いかもしれない。こんな優しい男性がいることを願うしかない。
ところで、調査で出会ったシングルマザーの女性のルビーの指輪は私のピアスと同じ色だった。彼女の用事のために車であちこち回りながら、5時間ぐらいいろんな話をして楽しかった。彼女のライフヒストリーを知っている私、彼女の声となって伝えたい。前に言われたことを思い出した。「私たちは似ている」。似ている理由は女性だから、母親だからではない。彼女は赤いルビー、私は赤いクリスタルのピアスを毎日のように魂の現れとして輝かせて一生懸命に生きているからだ。天王星でルビーの雨が降るところを想像してみた。東京タワーのようにたまに青から赤に色を変えても良い。
ある日、小学校の近くで長女を待っている間、知り合いのお母さんは私の疲れた顔を見て「昨日はすごく疲れていたね、歩いているのではなく浮いているように見えた」と言った。そのあとは「私もあと3年で仕事がしたい。やっぱり専業主婦は嫌だ。料理も全てできるけど仕事をしたい」と言われて、嬉しかった。