しもた屋之噺(247)

杉山洋一

何故か慌ただしかった一ヶ月が、驚くほどの速さで過ぎてゆきます。
眼前の空は一面厚い雲に覆われていて、どんよりとした世界が浮かび上がり、朝方からゴルバチョフ元書記長の訃報が大きく報じられています。これから成田に向かい、ミラノに戻るところです。

—–

8月某日 ミラノ自宅
バルレッタ発8時5分の特急でミラノへ戻る。車中、三善先生の合唱曲集の譜面を広げつつ思案に暮れる。
昨日は朝早く、バルレッタの海岸沿いを家人と散歩した。海からの風が心地よく、ミラノよりずっと過ごしやすい。どことなくペスカーラを思い出させる風景だが、遠くに並ぶ小さなコンビナートが不釣り合いにも見える。
晩の演奏会で家人がエルサルバドルの母の歌を弾いたとき、数人の高齢の女性が肩を震わせて泣いていたが、何か思うところがあったのだろうか。
ホテル前の海岸に誂えられたテーブルで、昼は鱸のリゾット、夜は新鮮な魚介盛りに舌鼓を打つ。ダンテの研究家だと紹介された夜食で同席した初老の紳士と、カルヴィーノの「アメリカの授業」について話し込む。「アメリカの授業」はわれわれ音楽家、芸術家の規範だとおもう。ウンガレッティがイタリアに紹介した日本の俳句における、元来、韻の美しさが際立つイタリア詩学との親和性についても話す。

8月某日 成田行機内
今朝は夜の2時まで仕事をして、朝5時に起きて改めて仕事を続け、6時から慌てて身支度して家を出る。ミラノのマルペンサ空港のこの混みようを目にするのは、何年ぶりだろう。
現在ヘルシンキから成田へ向かっていて、北極海上空を飛行中。機内は比較的空いていたので、横になって足をのばした。ミラノからヘルシンキまで、周りはロシア人の乗客が多かった。隣の若い女性は、小さな男の子をあやしつつ、タブレットで熱心にスプートニク・インターナショナルを読んでいた。
ヴァイオリン協奏曲は「ラ・フォリア(狂気)」とバッハのコラールを素材にし、独奏とオーケストラがそれぞれ別の出発点を持つ、収斂と発散のプロセス。
ペロシ下院議長の台湾訪問で、中国は態度を硬化。今回は北航路だから、台湾を気にせず乗っていられるので、少し気が楽だ。ペロシはイタリア系アメリカ人なので、イタリアではペロージと呼ばれる。ウクライナ侵攻が進行中で、アルカイダ指導者を殺害した直後に台湾を訪れたのは、どういう意図なのだろう。

8月某日 成田行機内
飛行機は北極海を進んで、ベーリング海峡で最も狭いアラスカ・ウェールズあたりは陸上を掠めて飛行したが、海峡を抜けた直後に大きく右に舵を切り、以降ベーリング海を南下を続けて、現在カムチャッカ半島の南、千島列島南東を、舐めるように進んでいる。眼下の雲海下方には、本来ウルップ島や、択捉島、国後島、歯舞島を臨めるはずだが、現在の世情を鑑みると、少し皮肉でもあり、ロシアと日本の距離を否が応でも実感する。
北方領土問題を含め、世界の国家間の領土問題は、いつでも先住民や現住民の意志などとは別次元で扱われるけれども、例えば小笠原などは、大きな諍いもなく現在まで睦まじく過ごしてきた印象を受けるが、それも自分の無知故だろうかなどと独り言つ。
この飛行機が成層圏の端くらいまで高度を上げ、宇宙との境まで辿り着いても、人間はやはり地上の国境に拘泥したくなるのだろうか。
それとも、丸い地球の姿を客観的に目にした瞬間、我々の裡には地球人としての連帯が芽生えるのだろうか。

8月某日 三軒茶屋自宅
深夜、仕事をしながらラジオをつけていると、富安陽子さんが彼女の絵本「盆まねき」について話している。光の中に浮かび上がる人々の描写に思わず涙がこぼれたのは、そこに、「揺籃歌」で書きたかった世界を見出したからだ。
この世を通り過ぎた人びとは、美しく眩い光線に浮かび上がる人影となり、その顔は少しずつ溶けて、やがて光に収斂されてゆく。いやそうではなくて、かかる眩い光線は、無数の発光体が、優しく寄り添って出来ているのかもしれない。
そう思うと、いよいよさめざめと涙が頬を伝った。悲しみよりもっと深い、感動のようなもの。それこそ悲しみと呼ばれるべきものかもしれないが、正直よくわからない。
バルレッタでの家人の録音を、在スペイン人権団体を通じて、エルサルバドルに伝えてもらうよう頼む。息子は「水の戯れ」を読み始めた。

8月某日 三軒茶屋自宅
Kさんよりメールを頂き、エミリオとヴァレンティ―ナが無事に東京のホテルにチェックインしたと知る。早速メッセージを送り、夕刻、ホテルのラウンジで旧交を温めた。蝉の声がまるで電子音響だと繰返していて、エミリオは最近Covidを患い5キロも痩せたこと、来年にはまたパリに転居するつもりだということ、最近演奏したノーノの作品の話や、ドナトーニのIn Cauda IとIn Cauda II以降の作品の関係とか、もうすぐ8月17日はドナトーニの命日で、22年前のドナトーニの葬式と同時刻に、エミリオと二人でミラノからツアーに出かけた思い出話とか、四方山話は尽きることがない。

8月某日 三軒茶屋自宅
エストニアとフィンランドがロシア人渡航者の入国制限実施。日本では与党と宗教団体の癒着が問題化。
ついこの間まで現政権は国民からの高い支持を誇っていて、特に国民に不満もなかったのだから、与党の組織票について何某か分かったからと言って、特に問題はないように思うが、或いはそれは間違っているのかもしれない。
組織票がなければ選挙に勝てないのは自明の理だし、我々国民自身が与党の采配に危機感を覚えなかったのなら、義務であるはずの投票を放棄した国民の責任か、国民の大多数と特定の宗教団体との政治思想の共有を認めれば充分ではないか、とも思うが、憤懣やるかたない国民はどう捉えているのだろう。
西さんより、10月にアルバニアで演奏する伊福部昭「日本組曲」弦楽版の楽譜が届く。

8月某日 三軒茶屋自宅
感動と感慨が入り雑じりつつ、本当に久しぶりにエミリオの実演にふれる。
音の芯はとても太く、音と音とが互いに非常にしっかり有機的に繋がっていて、このような音は自分には到底出せない。彼は音一つ一つを積みあげ、音次空間を形成、醸成してゆくが、それこそ弩級の信念と揺るぎない探求心の賜物であって、常に先に空間を構築して、その中に音を開放させる自分のやり方が、とても浅はかに感じられた。
音楽の方向性、指向性を形成するにあたり、彼は出発点に於いて、収斂点を敢えて視覚化せず、宙吊りの緊張を保ちつつ、長いフレーズを完結させる。
それは到底真似できないので、収斂点まで、放物線状にフレーズを視覚化して演奏するようになったが、その昔、悩んだ末にこの解決策に至った当時の触感が、ふと甦る。演奏会に参加していた打楽器の安江さんより、エミリオへの惜しみない賛辞が綴られたメールが届く。

8月某日 三軒茶屋自宅
舞台上のイサオさんと神田さんの躍動感に心が奪われる。二人の存在はそのまま音楽を体現している。イサオさんの音からは人間愛が溢れていて、それが会場を満たしてゆく。
エミリオのクラーネルグは、自分がボローニャで演奏したものとはまるで違ったから、すっかり愉しんだ。バレエを主眼に演奏するかどうかで随分違うだろうし、実演音響を増幅してテープと混ぜるか、或いは増幅しないかによっても、音楽は全く違った側面を表出する。
今回は敢えて実演を増幅しなかったことで、テープ音響と実演の間によい意味で距離が生まれ、現在と過去が語り合うような時間が浮かび上がった。

8月某日 三軒茶屋自宅
朝10時、エミリオとヴァレンティ―ナに挨拶しようとホテルに寄ると、残念ながら既に出発した直後であった。昨夜エミリオが演奏した舞台で、今日は自分が演奏し、彼が使っていた楽屋でのんびり昼寝をしているのは、改めて考えるとどことなく不思議でもあり、愉快でもある。
新日本フィルの音は毎年深くなる印象を受けるのだが、今年は特に驚くべき集中力で、存分に掘り下げられ、且つしっかり底まで詰まった音で奏して下さった。オーケストラは実に不思議で有機的な生き物である。西江さん初め皆さんに深謝。作曲者の皆さんには心からの拍手を送りたい。

8月某日 三軒茶屋自宅
町田駅朝7時半、仏花の花束を6つ抱えた母が姿を現したが、思いの外元気そうで安堵する。彼女が育てられた酒匂川沿いの旧家は、こちらが記憶していた場所とは全く違う場所にあったようだ。子供の頃にハヤ釣りに通った酒匂川の瀬と、勘違いしていたらしい。
母は、御殿場方面に靉靆く雲で富士山が見えないのを残念がったが、小田原から久能霊園に行く途中は、この旧道は箱根へ抜けていて、休日はアスレチックにくる車ですっかり混雑する、などとすっかり饒舌であった。
茅ケ崎の西運寺にも堀ノ内の信誠寺にも、思いがけず早く到着したので、何だかあちこちの仏さんから、母が歓待されているようであった。
死んだからといって、この墓石の中に長年じっとしているわけもあるまいが、母が墓参すると、華やいだ面持ちの墓石からどことなく微笑みが感じられるのが愉快で、薄く漂う相模湾の潮の香りには、強烈な郷愁をそそられる。

(8月31日三軒茶屋にて)